地下で流通した会員制の雑誌を紹介します。 ここでは詳細な説明は出来ませんので、各々の総目次を掲載した資料室の雑誌資料他を参照して下さい。 また、関連雑誌として公刊誌や地下流通とは言い難いものも含まれています。
戦前編 |
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大正十四年十一月に文藝市場社から創刊された文芸雑誌です。 当初は地下ともエロとも全く関係ない純粋な左翼系文芸誌でしたが、経営難から編集方針を風俗雑誌化して行き、最後は軟派雑誌に変遷してしまいました。 当初から梅原北明が編集に携わっていましたが、雑誌【變態資料】を上森健一郎に譲ってからは本誌に専念し、急速に軟派度を先鋭化させて行きました。 結果、終巻間際の数号は総て発禁処分を受けることになり、エログロ・ナンセンス時代へと突入して行くことになります。 軟派雑誌になってからの内容は、『世界珍書解題』の連載として、「アナンガ・ランガ」、「エル・クターブ」などの解説、 佐藤紅霞の『川柳變態性慾志』、酒井潔の『日本性愛奥義篇』 、 梅原北明の『近世残虐犯罪史』などバラエティーに富んだものになっています。 終刊号は各国の『デカメロン』(十日物語)の翻訳、佐藤紅霞による『蚤の自叙伝』の発端部分の訳出などです。 |
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詳細は雑誌資料 文藝市場 を参照下さい。 | |||
梅原北明を出発点とする軟派出版の概要は第三回 エログロナンセンス時代を参照下さい。 |
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大正十五年九月の創刊です。これより先{變態十二史}と称する軟派系の資料集的な叢書を刊行して大当たりを取った梅原北明が、そこで儲けた資金を総て投入して刊行したものです。 文藝市場社内に設けた文藝資料研究會編輯部の名目で上森健一郎を発行兼編集者として発刊されました。当初は全くの無納本ですから本来の意味での地下出版に当たります。 この雑誌も読者に受け入れられ、大ヒットしました。しかし、無納本がバレ、当局の介入を受けると内部分裂が始まり、 文藝市場社の北明と文藝資料研究會編輯部の上森が袂を分かつ結果になります。 以降本誌も納本されるようになり、発禁状態は続きますが、事件が新聞沙汰になったことに恐れをなしたことと、内容がおとなしくなってしまったことが、読者を逃がす結果になってしまいます。 昭和三年六月までに特集号も含めて全二十一冊刊行されています。 執筆人は北明の他酒井潔、佐藤紅霞の文献派、 生方敏郎、藤澤衛彦、尾崎久彌、斎藤昌三、泉芳mと言ったその道の大家、 井東憲の様に【文藝市場】以来の古株、石角春之助、宮本良、青山倭文二等々、昭和初期の軟派出版界で活躍した面々です。 創刊号では今東光も『蝿の随筆』なる短文を寄稿しています。 本誌三号でこの世界にデビューした佐藤紅霞の『性慾学語彙』上下は圧巻です。綿貫六助の男色小説が登場して来るのは終刊に近くなってからです。 |
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過激に成りすぎた【文藝市場】に当局の目が厳しくなったため、編集機能を上海に移した梅原北明が、 【文藝市場】の後続誌しとして発刊したのが本誌です。 ソサエティ・ド・カーマシャストラという架空の発行所、張門慶なる発行人をでっち上げ、内容も過激さを増し伏せ字の無い完全な地下出版になりました。 昭和二年十月 〜 昭和三年五月に掛けて発行されましたが、六号が全冊押収となっているので、現存しているのは一号から五号までと二号の別冊のみのようです。 当時の雑誌は菊判が標準のサイズですが、本誌は四六判で他誌より少し小型のサイズです。 主な内容は【文藝市場】からの継続で『蚤の自叙傳』の連載の他、『明治性的珍聞史』の下巻、 江戸艶本の序文集である『狂言痴語抄』の連載、『末摘花』第一編から第六編(五、六編は余分ですが)の一挙掲載などです。 |
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詳細は雑誌資料 カーマシャストラ を参照下さい。 |
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梅原北明と袂を分った上森健一郎側にいた金主の福山福太郎がやがて上森と衝突するようになり、 顧問に佐藤紅霞を迎え、文藝資料研究會から、発刊したのが本誌です。 流石に金主らしく、資金に余裕があったのか創刊号と二号を無料頒布するという剛胆な手段に出て読者を引きつけようとした経緯があります。 全十三冊(昭和三年五月 〜 昭和四年六月?)で、一巻二号、一巻六号の二冊以外は総て発禁になっています。 二巻四号と五号は未頒布のまま押収されていますので現存しないはずです。新たな資料から、二巻三号も発禁にはなっていない様子が窺えます。(平成十三年八月十六日追記) 執筆陣は佐藤紅霞の他、風俗関係の重鎮藤澤衛彦、江戸軟派文献の大家石川巌、尾崎久彌、 古川柳研究家の大曲駒村、かって雑誌【性の研究】を主宰した北野博美などの文献派が常連として顔を出している他、 単発で石角春之助、印度性典の権威泉芳mが寄稿するなど豪華な顔触れと言えます。 洗練はされていますが、学究肌過ぎて、軟派雑誌として見た場合少し弱い印象を与えるのはやむお得ない所でしょうか。 主な内容は佐藤紅霞の『老人若返り法』の訳、藤澤衛彦の『好色獸叢話』の連載、 大曲駒村の『川柳卑娼考』を初めとする古川柳の解説などです。 |
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詳細は雑誌資料 奇書 を参照下さい。 |
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当初【變態資料】の後続誌しとして文藝資料研究會編輯部から発刊されましが、 上森健一郎が手を引いた第三号から南柯書院に発行所が変更されています。 編集は一貫して宮本良が行っています。 刊行は全四冊(昭和三年十二月 〜 昭和四年五月)、鳥の子紙を表紙に使用し、毎号錦絵の版画を貼り付けた菊判の豪華な作りになっていますが、最後の四号を除いて発禁処分を受けています。 内容は、耽好洞山人の『女角力誌考』、南紅雨の『女子手淫の文学的考察』、 張東民の『性的崇拝論』、などの連載ものが目立ちます。 |
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詳細は雑誌資料 變態黄表紙 を参照下さい。 |
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当初は【猟奇】と名付けた雑誌を発刊の予定でいたのが出来なくなり、 【猟奇】の名称を前後入れ替えて【奇猟】、さらに用字を替えて【稀漁】としたのが誌名の由来です。 昭和四年五月 〜 昭和四年十一月に掛けて巫山房から四冊刊行されています。 一号、二号は伏字を使用し、伏字表を送付していましたが、三号は伏字は面倒くさいので無し、と地下出版の本質を顕しています。 四号は伏字に戻っていますが、それでも全冊発禁処分を受けています。 判型もほぼ正方形と言う変わった形をしています。 「乱れ雲」の活字化や「袖と袖」の定本化を行うなど、地下出版の王道を歩いた大木黎二の面目躍如と言った雑誌です。 巫山亭主人夢輔の『性愛秘技解説』、笠松武夫の『末摘花分類 江戸期の性情』の連載もの、 艶笑雑話の類が主な内容です。 |
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詳細は雑誌資料 稀漁 を参照下さい。 |
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洛成館から刊行され、菊判(終刊号のみ四六判)、全八冊(昭和六年九月 〜 昭和七年八月)の内第三号以外は総て発禁処分を受けたとされています。 発禁を免れた第三号は「好色文學受難録」と題して当時の珍書屋の実体を色々な角度からレポートした貴重な資料集でもあり、大正末から昭和初期に掛けての地下本、発禁本を知る上で必読書の一つと言えます。 終刊号のみ判型が異なり、ページ数も多く単行本と言っても良いような厚さです。 同人に花房四郎や大木黎二を擁し、大量発禁を受けた最後の雑誌になりました。 執筆陣はほとんど戯号を使用しているか、談奇党編集部になっていて、正体が分かりません。 内容は妙竹林斎の『現代艶道通鑑 性科学と性的技巧』、鳩々園主人の『友色ぶり』(陰間川柳考)などの連載もの、 『世界を震撼せしめた巴里の青髭事件』、『強姦検察法』と言ったむしろエロよりグロに近いもの、などバラエティーに富んでいます。 |
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詳細は雑誌資料 談奇黨 を参照下さい。 |
公刊誌その他 |
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地下雑誌とは言い難いものや公刊誌ですが、風俗誌、軟派誌を標榜している雑誌です。
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昭和二年三月 〜 昭和二年十月に掛けて藝術市場社から刊行された全七冊の雑誌です。文藝市場社にも出入りしていた画家の峰岸義一の主宰です。 視点が他の雑誌とは異なり映像から軟派を見ていますが、写真や図版は文章以上に当局の目が厳しいのは今も当時も変わりません。 従って、北明のように図版単独でも頒布するようなこと行えば別ですが、雑誌では自ずと限界があり、印象の薄い雑誌になっています。 変わった所では、株式を購入することに依る雑誌の頒布、広告掲載が無償で行える、と言った方式で株式購入者を募集したりしています。勿論、雑誌単独での販売も行っています。 本誌は公刊誌ですから当然伏せ字もあります。しかし、面白いのは伏せ字の一部が○○や××ではなく、二桁の数字で表現されている号があることです。 例えば『夜の橋の上は、男女の 11 12 77 17 の相談所である。』と言った具合です。これは暗号(と言う程のものではありませんが)になっていて、変則の五十音表に対応しています。 執筆陣では峰岸義一、河村目呂二、井東憲、小生夢坊、斎藤昌三、高田義一郎と言った所が多く顔を出しています。 |
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花房四郎名義で發藻堂書院から刊行されました(昭和三年七月 〜 昭和四年四月?)。 編集は後に青山倭文二に変わっていますが、三越の広告を掲載しているくらいですから、完全な公刊誌です。 何故こんな雑誌を出したのかよく判りませんが、全く面白くない雑誌です。 内容は、斎藤昌三の『近代日本好色文学考』の連載、『特別読物』として毎号二〜四編の短編小説の他、何故か映画関係の楽屋話のようなものも掲載されています。 |
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昭和三年十月 〜 昭和五年一月まで全十五冊(昭和五年新年号は二種あります)、休刊後昭和六年四月 〜 八月まで五冊刊行されました。 創刊号の発行所はグロテスク社でしたが、二号以降は文藝市場社と談奇館書局が代わる代わる発行所になるという実に変った雑誌でもあります。 市ヶ谷刑務所に収監されていた梅原北明が仮出獄後に刊行した雑誌です。当局の目をくらますためか、エロではなくグロを前面に出した公刊誌です。 勿論軟派なものも多数載っていますが、公刊誌であるが故に内容が薄めなのはやむお得ない所でしょうか。 梅原北明、酒井潔、斎藤昌三など毎度お馴染みの顔触れが揃って書いていますが、 北明の『最近輸入珍書秘畫解説史』が当時の地下本の書誌を研究する上で貴重な資料です(後に「秘戯指南」(文藝市場社、昭和四年五月)に転載)。 別冊太陽「発禁本」(構成・米沢嘉博、平凡社、一九九九年七月)に全冊の書影が四ページに亘って載っています。印刷所に踏みこまれたため、未頒布とされている二巻六号まであるのはさすがです。 |
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常に梅原北明と行動を共にしていた酒井潔の個人誌です。 国際文献刊行会の刊行で、全七冊(昭和五年五月 〜 昭和五年十二月)の内第六号のみ発禁処分を受けています。 創刊号の巻末で『あまりにエロの為のエロには、もう吾々は背中を向けやう。談奇の世界は、そんなに狭いものではないのだから。』と自ら述べている様に、内容的にはそれ程過激では無いということでもあります。 個人誌であるため内容が偏るのは仕方なく、『回春料理の龍虱』、『魔法珍術 指南講座』のような秘薬や魔法に関するもの、 得意分野の『珍書解題』、変った所では『南方先生訪問記』があります。 |
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全十六冊(昭和六年二月 〜 昭和七年五月)、風軸資料刊行会。所蔵本が一冊も無いため詳細不明です。 |
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全五冊(昭和七年七月 〜 昭和八年一月)、臨時増刊一冊、風俗資料刊行会。殆ど所蔵していないため詳細不明です。 只、第二号「現代軟派文獻大年表」は、昭和初期の軟派出版を概観するための基本図書ではあります。 |
戦後編 |
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全三冊(昭和二十三年十月 〜 昭和二十三年十二月)。ガリ版刷りの雑誌です。未見のため詳細不明です。 |
両誌共公刊ですが、創刊号から摘発を受けたという問題の雑誌です。 戦後の本格的な会員制特殊雑誌の発刊ラッシュはここから始まったと言うことで、公刊誌ではありますが要チェックです。 |
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文化人の性科学誌を標榜して登場した【人間探求】は、第一出版社から刊行され、別冊を含め全三十二冊(昭和二十五年五月 〜 昭和二十八年八月)。 高橋鐵が精神分析を中心に据えた性科学を啓蒙するために出版を企画した雑誌です。 主な執筆人には高橋鐵を始め、岡田甫、伏見冲敬、浅田一、広橋梵、 押鐘篤、日夏耿之介、原比露志、三宅一朗、宮尾しげを、 宇佐美正夫、西島実、矢野目源一、南部僑一郎、斎藤昌三、 中野榮三、小西茂也、武野藤介、足立逸郎、伊藤晴雨、 山路閑古、比企雄三、尾崎久彌、峰岸義一、藤本文桂、 青山倭文二、藤澤衛彦、田口二州、正岡容 と医学関係、風俗、書誌研究家、作家など新旧顔なじみが揃っています。 当初は性の啓蒙を主とする内容でしたが、ライバル誌の【あまとりあ】にその地位を譲ってからは、エロよりもグロの方向に走り出し、終刊間際には高橋鐵も執筆しないような状態になってしまいます。 別冊の「秘版艶本の研究」、「秘版艶本の研究 第二輯」二冊は地下本、発禁本研究には欠かせない資料です。 |
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【あまとりあ】は、文化人の性風俗誌をうたいあまとりあ社から刊行されました。臨時増刊号を含め全五十六冊(昭和二十六年三月 〜 昭和三十年八月)です。 終刊間際の数号には別冊の付録が付いています。 六二型の性交態位を解説した「あるす・あまとりあ」がミリオンセラーになった勢いをかって発刊され、高橋イズムを前面に押し出した雑誌です。 既に【人間探求】が発行されていましたので、それを追いかける形で併走していましたが、カラーの口絵を採り入れるなど、見や易さ、分かり易さが受けたのか【人間探求】を凌駕する勢いで成長して行きます。 両誌とも高橋鐵が健筆をふるっていたため、本来ライバル誌であるにも関わらず、一般の人は姉妹誌であるかの如く感じていたようです。 性医学では無く、風俗を全面に押し出したのも成功の理由かもしれません。 但し、それが昂じて、高橋鐵に肩入れしすぎたり、【生活文化】などの地下出版にまで資本を出すなど、先端を走りすぎたためそれらと一緒に当局の弾圧を受け、結局本誌の寿命を縮める事になります。 主な執筆陣は高橋鐵を筆頭に、【人間探求】の執筆人と殆ど重なっています。 臨時増刊の「世界性愛文学選集」、「続 世界性愛文学選集」二冊は地下本、発禁本研究の資料として有用なものです。 |
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芋小屋山房から貴重文献刊行会の名義で刊行された、B6判、全十冊(昭和二十七年一月 〜 昭和二十八年八月)の江戸趣味の雑誌です。 この雑誌は国会図書館に納本(六号迄?)しているので、厳密な意味での地下発行とは言い難いですが、この種の雑誌の紹介では必ず登場して来ます。 この書律からは雑誌の他にも地下本が多数出ていますので、そう言う意味では問題ないのかも知れません。 主な内容は岡田三面子の『日本史伝川柳狂句』、岩田準一の『後岩津々志』、宮尾しげをの『小噺年表』、 『日本艶本目録』などの連載もの、『全盛七婦久腎』の復刻などがあります。 他に、斎藤昌三、岡田甫、花咲一男、中野栄三らが執筆しています。 後に【人間探求】の増刊号に転載される『當世ニセ本つくり』が千里巌の名前で掲載されています。 |
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詳細は雑誌資料 稀書 を参照下さい。 |
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作品社内にあった東京限定版グラブの名義で刊行されました。A5判、全十六冊(昭和二十七年五月 〜 昭和三十年七月?) 包み表紙のちょっとしゃれた感じの雑誌です。 本誌は三十二頁程度ですが、永井荷風やヘンリー・ミラーを扱うなど他誌とは少し異なる編集方針をとっています。 また、本誌を補うために別冊を頒布するなども他誌にない特徴です。 執筆陣は主宰の松川建文(変名を使っています)の他、原浩三、花咲一男、岡田甫、 吉田清一らが寄稿しています。 主な内容はヘンリーミラーの『北回帰線』、永井荷風の『私家本 腕くらべ考』、 花咲一男の『川柳 漫々考』などの連載ものの他、 『花の幸』、『好色旅枕』などの活字化も行っています。また何故かポンペイの壁画にこだわっているような感じも見えます。 また、間義勇の『戰後艶本漫筆』の連載は戦後の地下本を語る上で貴重な資料ですが、本誌が廃刊になってしまったため中絶してしまったのは誠におしいと言わざるを得ません。 |
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詳細は雑誌資料 奇書 を参照下さい。 |
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男色(ホモ)系の雑誌です。発行はアドニス会、当初は雑誌【人間探求】を刊行していた第一出版社内に本拠を置いていましたが、後に独立しています。 昭和二十七年九月に創刊されていますが、数冊しか所蔵していないため、何号が終刊なのかは良く判かりません。一説には五十号以上続いているとのことです。 |
あまとりあ社系の雑誌です。当初は高橋鐵系列の広橋梵、後に川崎清一が発行を引き継ぎます。 |
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【生活文化】は生活文化資料研究会から広橋梵の発行兼編集で全十四冊(昭和二十八年二月 〜 昭和二十九年五月)発行されています。 創刊時には雑誌【あまとりあ】に広告を出している程ですから、初めの内は割とおとなしかったのですが、広告を出さなくなった七号あたりから内容がエスカレートして行きます。 押鐘篤の『ヴァン・デ・ヴェルデ批判』、花咲一男の『陰名随筆』、 中野榮三の『艶本序文集』、伏見冲敬訳による『百戰必勝』などの連載、 体験手記『女給哀歌』、江戸艶本『旅枕五十三次』の紹介、等々盛り沢山の内容になっています。 また広橋梵訳による『ふろっしー』の連載が開始され、有名な「高資料」も本誌に登場します。 |
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地下に潜った【生活文化】が弾圧で潰れた後、後続誌として刊行されたのが【造化】です。 発行は造化研究会、編集は広橋梵が【生活文化】に引き続き行っています。 当初は広橋梵が発行名義人を兼ねていましたが、途中から川崎清一に替わって、全十冊(昭和二十九年七月 〜 昭和三十年四月)を発行しています。 これも一、二号の内は多少自粛していたのですが、ヘアヌード全盛の今日でも公開不可能な写真を巻頭に掲載するなど、法規無視の違法出版へと当然の如く変貌して行きました。 【生活文化】からの連載である『ふろっしー』が完結し、 『陰名随筆』や『艶本序文集』の連載も継続されています。 新たな連載『閨房秘戯指南』や『るつぼはたぎる』の一部を掲載するなど、面目躍如たるものがあります。 また、第十号は丸々一冊『正寫相生源氏』の活字化に当てています。 |
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【造化】の後続誌が【新生】全五冊(昭和三十年六月?〜 昭和三十一年三月?)です。 新生活研究会から川崎清一の編集兼発行で刊行されました。 創刊号はガリ版刷りの細かな字で読み辛いこと甚だしいものがあります。 この雑誌の変わっている所は、創刊号、二号、四号の三冊がガリ版刷り(半紙判〜A5判)、三号と五号が活字印刷(B6判)という殆ど雑誌の体を成していない点です。 その三、五号が「おいらん」の初出です。 高橋鐵、岡田甫、大場正史、坂之上言夫、 宇佐美正夫といった【あまとりあ】以来の常連が執筆していますが、見るべきものは余りありません。 |
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詳細は雑誌資料 生活文化、 造化、 新生 を参照下さい。 |
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日本生活心理学会(高橋鐵主宰)発行、全三十五冊(昭和二十八年八月 〜 昭和三十九年八月) 会員からの性体験手記を中心に掲載、高橋鐵が講評を附記する形式の編集方針を取りました。 刊行の経緯は第四回 性体験手記「高橋鐵と「セイシン・リポート」」を参照して下さい。 手記以外では、サドの「閨房哲学」、ルイザ・サイヂァの「性愛対話編」、一般に「ロシア皇女の秘密日記」として知られているものの翻訳、 中国の性体験手記として戦前から有名な「性史」の翻訳などの他、『英語文学に於ける陰名の研究』のような論考もあります。 |
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【セイシン・リポート】の全容は雑誌資料 セイシン・リポート を、 異版に関する解説は片編集の 異版セイシン・リポート を参照下さい。 |
その他の雑誌 |
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地下出版ではありませんが、会員制の研究誌です。前記の各会の主宰者とは人間的に繋がりのある個人による出版です。
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近世庶民文化研究所(岡田甫主宰)、A5判(4号以降)、全百冊(百号付録を含める。昭和二十五年十月 〜 昭和四十二年三月) 軟派系の個人発行誌としては最初に登場し、最長不倒を誇ります。 末摘花を中心とした、川柳、戯作などの江戸文学中心の雑誌です。 創刊号から三号までは雑誌というよりはパンフレットと言った方が正しい代物で、折り畳んで小冊子にするように指示があったりしました。 末摘花等のバレ句が出発点ですから軟派誌には違いありませんが、どちらかと言えば堅い部類に属します。 それでも写真凸版による軟文献の復刻を行うなど本領は発揮しています。また、特別会員を組織し頒布した資料は完全な地下本です。 発行冊数が多いだけに内容もバラエティに富んでいます。 主な翻刻、活字化だけでも「逸著聞集」〈いっちょもんしゅう〉、「阿奈遠加之」〈あなおかし〉、「藐姑射祕言」〈はこやのひめごと〉の江戸三大奇書を初め 、 「大東閨語」〈だいとうけいご〉、好色床談義、写真凸版による「はつはな」の翻刻、 川柳関係では末摘花の難句研究「臙脂筆」〈べにふで〉、「滑稽発句類題集」ときりがありません。 【江戸紫】(B6判、全二十一冊)が後続誌です。 |
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未完江戸文学刊行会(林美一主宰)、A5判、全十六冊(昭和二十七年七月 〜 昭和三十四年八月) 誌名の通り当時まだ活字になっていなかった江戸文学の翻刻を目的とした研究誌です。堅すぎてとても軟派とは言い難いですが、何故か軟派雑誌に分類されています。 遊里を題材にした洒落本や、黄表紙に多少の軟度はありますが、「大寄噺の尻馬」の連載、「春風帖」の写真凸版による復刻が、軟派誌と言われる所以でしょうか。 【江戸文学新誌】(A5判、六冊)、【江戸春秋】(A5判、二十一冊)と後続誌が発行されています。 |
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未完江戸文学刊行会(林美一主宰)、A5判、全20冊+別冊(昭和五十三年十二月〜昭和六十年十一月) 江戸期の艶本の研究誌です。 主宰の林美一が発表を続けていた艶本シリーズ(有光書房)が発行主の死去に伴い新たな刊行ができなくなったため、新しい発表の場として自ら発行したのが本誌です。 主な内容は絵師を中心にした江戸艶本の書誌と文章の翻刻ですが、絵を含めた全面復刻をしている別巻も刊行しています。 「風俗三國志」、「諸遊芥子鹿子」、「艶姿娯拾餘帖」、「春情妓談水揚帳」などが覆刻されています |