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XX文学の館 地下本基礎講座

第四回 性体験手記


この分野は大物が揃っています。ここから派生した地下本も数知れずです。 一般に性体験記録や手記の類を地下本に分類してしまうのには若干の抵抗があります。人によっては、真摯な研究であるのに地下本などとは怪しからん、との意見もあるかと思います。 しかし、公刊出来ないために会員を囲い込み、表に出さずに発行を続けたと言う意味では、その中に含めても構わない、と言うのが本講座での見解です。志には天と地程の開きがありますが…

今回は手記そのものの内容には触れません。一部は第六回 作品その2で取り上げますが、その他は公刊されているものをご覧下さい。


小倉清三郎と「相対」

二十九歳にして東京帝国大学(現東京大学)の哲学科に籍を置いた小倉清三郎が主宰した性研究団体が相対会です。 在学中に読んだハーバロックエリスの「性の心理」に啓発されて同会を起こしたとされています。

同会の機関誌として大正二年に雑誌の形で刊行を始めた【相對】は、その後【報告】【叢書相對】と名称を変えながら刊行され、 最終的にはガリ版刷りのパンフレットの様なものに変わりながらも、昭和十九年迄まで続いた希有な性研究資料です。 戦前のあの環境下でよくぞここまで、と誰しもが思う性体験手記を頒布し続けた偉業は、現在に至るも何人も越えられない金字塔です。一般には「相対会研究報告」と呼ばれているものです。

雑誌時代の【相對】、及びガリ版の初期は、主宰者小倉清三郎の性に関する論文が主たるものでしたが、途中から会員の性体験報告を中心とする資料集の方向へ転換して行きました。 会員には司法関係者や芸術家が多く、有名所では坪内逍遥芥川龍之介金子光晴平塚雷鳥伊藤野枝らが名前を連ねているなども、他には見られない特筆すべき点です。

偉業の達成は夫人の道世の存在無しでは考えられません。詳細は述べませんが道世の武勇伝は実に圧巻です(やりすぎの感が無くもありませんが…)。 清三郎は昭和十六年一月に急死し、以後は道世相対会を継ぐことになります。

総枚数一万にも及ぶと言う膨大な資料のため、揃いが二組しか存在しない、と言うのでミチヨ女史が世話人となり、全三十四冊の叢書として、戦後の昭和二十七〜三十年に復刻されています。 しかし、この復刻版も当局の二度に渡る介入により、全冊揃いは一組か二組しか残存していないと言われていましたが、実際にはもう少し存在しているようです。

その後も復刻版をそのまま三十四冊で再復刻したものが美学館からでましたが、この時はまだ公の出版ではありませんでした。 その再復刻版を基に資料毎に編集し直したものが銀座書館から刊行された時は、全国紙に広告を出すなど時代が変わったことを痛感させられました。

発表当時は内容が内容だけに「相対」に掲載された資料が闇へ流れ、本当の地下本としても刊行されています。 それらの内何点かを 第六回 作品その2 で解説します。

雑誌【相對】
創刊号
ガリ版資料
『赤い軒燈の家』
戦後復刻版
創刊号

体験記録相対会内に『「相対」異聞(改訂版)』と題した「相対」に関する論考がありますので参照下さい。

公刊本
「忘れ難き二十二歳の娘」 「女から挑まれた経験」
相対会編、河出書房新社

その他書名のみ列挙します。総て河出書房新社の刊行です。


高橋鐵と「セイシン・リポート」

日本生活心理学会という性研究(啓蒙?)団体を昭和二十二年(?)に改組、昭和四十六年五に亡くなるまで、主宰者として君臨し続けた高橋鐵は、戦後の昭和を代表する性啓蒙家です。 精神分析学の手法を中心にした性科学を標榜し、性の啓蒙に一生を捧げた、と言っても過言ではありません。 会の機関誌【セイシン・リポート】を含む事件では、十年に亘る正式裁判の結果有罪となる等、官憲との戦いに明け暮れた後半生とも言えるでしょう。

高橋鐵が世間的に有名になったのは、性交態位を論じた「あるすあまとりあ」(昭和二十四年十一月、久保書店)が百万部を越すベストセラーになってからではないでしょうか。 その後も雑誌【人間探求】(第一出版社)【あまとりあ】(あまとりあ社)で健筆を振るい、 単行本も「あるすあまとりあ」の続刊を初め数多く上梓しています。

その【セイシン・リポート】は、昭和二十八年七月(八月?)に刊行が始まり、以後昭和三十九年八月までの間に三十五冊発行されました。 雑誌はリポートの名の通り体験手記の掲載と高橋鐵によるその講評という形で構成されていますが、 サド「閨房哲学」の部分訳を無削除で掲載するといったこともしています。

第四輯発行直後に当局の手が入り、この種の出版では珍しい正式裁判に持ち込みましたが、世間にあまり注目を浴びることもなく、昭和四十五年九月に最高裁で有罪が確定しています。

当初は活字による刊行でしたが、摘発直後はガリ版、その後はタイプ孔版と印刷形態を変え、当局と睨み合いながらも刊行を続けたのは、手本とした「相対」と同様です。

本誌の特色の一つとして、殆ど毎号「艶画テスト・カード」なる資料を添付して性に於ける深層心理テストの様なものを実現しようとしたことでしょうか。 実際には真摯に心理テストと捉えた読者もいたでしょうが、単なる観賞用と受け止めた人も少なくなかったのではと想像します。

日本生活心理学会では【セイシン・リポート】の他、文書、写真、図版を答わず性に関するあらゆる資料を頒布しています。 「徳川性典大鑑」二冊、 「日本性典大鑑」二冊は当時としては貴重な資料でした。 図版の資料集として【セイシン・リポート】と平行して頒布し続けた「りんが・よに参考資料図譜」全二十一集は質的にも量的にも圧巻です。

【セイシン・リポート】「艶画テスト・カード」の一部も含めて銀座書館から復刻されていますが、 「相対」同様資料の一部が文庫化(河出文庫、河出書房新社)されていますので、内容を垣間みることは可能です。

創刊号表紙 第2号目次

雑誌資料【セイシン・リポート】の総目次、 片篇集「異版生心リポート」に補足資料、 関連資料「りんが・よに参考資料図譜」の詳細がありますので参照下さい。

公刊本
「ためらう性・すがりつく性」 「愛を伴わぬ性と生殖拒否の性」
日本生活心理学会編、河出書房新社

その他書名のみ列挙します。総て河出書房新社の刊行です。


「高資料」または「K資料」

第三次木曜会と称する医者による性研究団体が蒐集した資料に、高伴作という個人が集めた資料を合わせ、同氏が文学的に修飾して発表した性欲文学の一連の資料集とされています。

『窃視録』
【生活文化 10】
『閨鬼』
{風俗資料 1}

会員制雑誌【生活文化】十号(昭和二十九年二月、生活文化資料研究会)に最初の資料『輪姦願望の女』の前篇が発表されました。さらに、その後篇の他、『窃視録』の前後篇が分載されます。 さらに{高資料文庫}の名称で十冊から成る叢書の刊行案内が出ましたが、生活文化資料研究会が当局の介入により潰れてしまい、刊行は未遂に終わります。 それでも、当初の案内のものとは多少内容を替え、名称も「高資料」ではなく、「風俗資料」(序文では「K資料」と記述しています)として、何とか発刊に漕ぎ着けます。 しかし、刊行母体である造化研究所が再び潰れてしまい、最終的には三冊しか刊行されませんでした。

「風俗資料」所載資料
閨鬼肉の奴隷達
強姦願望の女性器嗜虐章
臍下極楽

その後、雑誌【えろちか】12(三崎書房、昭和四十五年六月)誌上に於ける新シリーズの発表に始まり、公刊、非公刊を含め何点かの叢書が刊行されていますが、何れも途中で挫折しており、予定巻数を総て刊行したものはありません。

初期の発表時には第三次木曜会が集めた資料のみを対象としていたようですが、 【えろちか】での発表に際し、高伴作自身の収集した資料の存在が明かされます。 同時に高伴作が既に物故していることが知らされ、以後は高資料整理委員会なるものが、その資料を元に発表を継続したとされています。 単行本として【えろちか】に発表したものを再録し、新編を加えた「高資料」(高資料整理委員会編、三崎書房、昭和四十六年九月)が公刊されています。

『一盗の論理』
【えろちか】12号
{高資料}
東洋芸術院版

【えろちか】の後は「小説官能読切」(サン出版)に長期に亘り連載されていましたが、文学としての価値はともかく、体験手記としては疑問が残るものでした。

刊行の経緯や資料の信憑性に就いては色々と取りざたされていますが、初期の発表資料(作品?)には見るべきものがあります。 「風俗資料」は原本の体裁のまま(B6版の原本をA5版に拡大している)銀座書館から復刻されましたが、一部は文庫化(河出文庫、河出書房新社)されています。

公刊本
「閨鬼」 「強姦願望の女」
監修・城市郎、河出書房新社

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