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閑話究題 XX文学の館 秘本縁起 山路閑古の秘本

山路閑古秘籍 解説


山路閑古、生年明治33年10月13日、没年昭和52年4月10日、享年77歳。

氏は没する直前まで女子大の化学の教授であったが、世間では、古川柳研究家としての知名度の方が高かった。

もう少し斯界に詳しい人にとっては、「末摘花裁判」(※1)の鑑定人として、被告側に有利な鑑定結果を出し、無罪を勝ち取ったことでも名を馳せている。 戦前は、出せば必ず発禁の憂きめにあった「末摘花」が、戦後自由に出版出来るようになったのは、正にこの裁判の結果のお陰である。

川柳関係の著作は勿論、随筆や古典籍の現代語訳も少なくない。
しかし、何と言っても特筆すべきは、昭和艶笑文学の最高傑作と言われている「茨の垣」の作者でもある、と言うことであろう。
この事は当然ながら、氏の存命中は関係者以外には秘匿されていた。 関係者以外の知る所となったのは、没後発行された雑誌【川柳しなの 9月号】(しなの川柳社、昭和52年9月)誌上の『山路閑古追悼特集』に於いてである。
作者不明の傑作と言われていた作品「僧房夢」「貝寄せ」も皆同じ作者であることが明らかになった。

川柳誌という少し特殊な分野の雑誌ではあるが、地域によっては図書館等で一般の人も目にすることが出来るという点では、長年の秘密が公になった最初の資料と言っても良いであろう。 尤も、普通の人にとっては「茨の垣」だ、「僧房夢」だと言われても何のことやらさっぱり判らないであろうが。

そういう意味では、随分早い時期に誰もが真実を知り得る状態になった訳だが、古書目録などに山路閑古の名が現れ出すのは、ずっと後になってからである。 地下本の解説にその名前が登場するのはさらに後のことである。

秘作選集解題

それから9年、昭和61年5月から山路閑古秘作選集として、詳細な解題と共にそれらの復刻版が順次太平書屋から出版された。 これらの解説は、氏の親友からの資料提供もあって、過去のそれとは異なり、精緻を究めている。一読すれば他の解説は何もいらないことが判るだろう。 但し、これらの復刻版も少部数の限定版なので、なかなか手に入り難いと思われる。

また、氏は「散歩」と題する個人雑誌を発行しており、その中で『観雲亭日録』と題する自身の日記を公開している。 この日記には、各々の作品の原稿作成から印刷、製本、発送に至るまでの状況が概観出来るような記述があり、山路閑古研究には欠かせない一級資料である(※2)。 ただ、手元には52号から101号迄の途中の号の合本が一冊あるのみなので、太平書屋発行の秘作選集解題に抜き書きしてある部分を参照した。

氏の作品は色々な形態で刊行されているが、当人又は関係者が直接係わった出版として、自筆筆耕のガリ版及び活字版による自家出版、美和書院による私家版の活字化、太平書屋による稿本及び私家版の復刻が主なものである。
それらの状況を、以下の表にまとめた。○印が何らかの形で現在残っているものである。

作品名 稿本 私家版
(ガリ版)
私家版
(活字版)
美和書院版 太平書屋版
西行雨夜月


源さんの話


秋来抄


殘花歸花


和國神曲(注1)




後雪抄
(注2)
(注2)
茨の垣
(注3)
春しぐれ



糸 遊 注4


僧房夢


貝寄せ


由 奇


(注5)
アンゴラ兎

(注6)
注1:自身による「賢愚經」の解題に出てくる作品であるが、あらゆる解題から抜けている謎の作品でもある。
注2:「賢愚經」の題名で刊行されている。
注3:第一話から第六話の初稿が20部限定で刊行されたことがあるが未見。
注4:「片糸」と題する稿本が存在するそうであるが未見。
注5:復刻版を刊行する予定であったのが、原本の未製本分が出てきたため、表紙を除いては本物の出版となってしまった。
注6:題名は「夜の秋」に改訂されている。

今回の展示品は、長編の私家版である
賢愚経 茨の垣 僧房夢 貝寄せ 由 奇
の原本、美和書院版、及び復刻版
美和書院版の
糸 遊 春しぐれ
中編私家版の原本、及び美和書院版の
アンゴラ兎
長編の原本、稿本である

西行雨夜月 源さんの話 秋来抄 殘花歸花
の復刻版です。

※1: 「新註 俳風末摘花」東都古川柳研究会、ロゴス社木屋太郎、鹿鳴文庫、昭和22年3月)が摘発され、正式裁判となったものである。
鑑定人は二人であったが、同書無罪確定後に再版された後記に 「両氏の鑑定書はいづれも多年の薀蓄を傾けたもので、単に鑑定書としてではなく、優に獨立した論攷として本書の解釋を啓蒙し、文藝學界に裨益すること極めて大なるものであった。」とあるが、
当の鑑定人である氏は「庭柿」(私家版、刊年不詳)で「その後私は七十枚ばかりの原稿を書いて、裁判長に提出した。 芭蕉俳諧を説き、江戸座俳諧を論じ、雜俳、川柳に及ぶといふ簡易な文藝評論で、二六時中書いてゐる俳論と大差ないものであるから、何の造作もなく、それこそ参考書一冊用ゐず、全文そらで書上げた。 二ヶ月と云つて勿体をつけて猶豫を乞うたけれども、実は二日ばかりで書き飛ばした。 至つて杜撰極まるもので…略…本格に取組めば學位論文にもなるであろうが、鑑定書程度のことに、さう骨を折ることもないのだつた。」とひどくそっけない。
※2: 氏は、他の雑誌にも日記を公表しており、それらの日記類は総て貴重な資料である。

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