昭和初期の艶本合戦は、緒戦に於いて早くも分裂を始めた。初めに梅原北明が 文芸市場社に戻り、続いて文芸資料研究会の福山福太郎が離れ、最後に上森健一郎の文芸資料研究会編集部が大分裂を起こすことになる。その後珍書屋と称する群小の出版社がひしめき合った、と伝えられている。
文芸資料研究会は、梅原北明が叢書{変態十二史}を企画した時に、発行名義のために作られたものであるが、「明治性的珍聞史」上中二冊(梅原北明、大正十五年九月、十六年一月)や、昭和艶本合戦の原点となった「ファンニー・ヒル」(佐々木孝丸訳、昭和二年一月)もここから出ている。その後、北明一派が分裂、三派鼎立と言われた時代の一派として活動を続けることになる。会の運営は、会が置かれていた福山印刷所の社長福山の甥に当たる大野卓が担当していた。
{変態十二史}終了の後を受けて企画されたのが{変態文献叢書}である。刊行が予定されていたものは次の通りである。
刊行予定書目 | 著者 | 刊行書目 | 著者 | |
---|---|---|---|---|
變態魔街考 | 佐々木指月 | 同左 | ||
變態信仰史 | 北野博美 | 變態風俗資料 | 研究會同人 | |
變態性格者雜考 | 中村古峽 | 同左 | ||
變態女性史 | 渥美清太郎 | 未刊 | ||
變態性的犯罪雜考 | 松岡貞治 | 同左 | ||
變態妖怪學 | 田瀬月奢 | 會本雜考 | 封醉小史 | |
變態俗謡末摘花 | 藤澤衞彦 | 「俗謡末摘花」として刊行(?) | ||
變態演劇雜考 | 畑 耕一 | 同左 | ||
追加予告 | ||||
人類秘事考 | 佐藤紅霞 | 同左 | 発禁 | |
變態書物往來 | 石川 巌 | 軟派珍書往来 | 同左 | |
印度愛慾文献考 | 泉 芳Q | 同左 | 発禁 | |
未定 | 尾佐竹猛 | 未詳 |
文芸資料研究会では{変態十二史}の購読者に無償で頒布したとされる冊子「人間研究」の他、これも、一、二号は無償であった雑誌【奇書】も発行している。
{変態文献叢書}や【奇書】の刊行で、艶本合戦の一角を占めていた文芸資料研究会も当局による一斉弾圧の影響で、文芸資料研究会編集部に続いて退場することになる。同編集部と異なり、資金を福山個人に頼っていたことと、編集部内の人材が乏しいこともあって、分裂ということもなく、静かに消えて行った。最後の在庫整理が「文芸資料研究會歴代のエロとグロの珍本、少々手許にあり特別希望者に頒つ」と銘打った十九ページの小冊子である。既刊の一覧が載っているが、希望に答えられるのは発禁になっていない{変態十二史}や{変態文献叢書}のみということであり、面白いリストとは言い難い。
文芸資料研究会の福山福太郎の後を告ぐことを宣言している、という珍しい通知であるが、この通知自身は第一回配本申込者の新会員に対する謹呈品のことしか書かれてなく、出版社名も、刊行作品も不明という不思議な案内である。
文芸資料研究会を名乗ってはいるが、本家とは別口である。全六巻予定の堂々たる叢書であるが、実際に刊行されたかどうか不明である。第一巻は出ているとの記録もあるが不詳。
北明が雑誌【変態資料】の発行元として文芸市場社内に設立した文芸資料研究会編集部は、北明が離れた後も、上森健一郎の活動拠点として機能していた。{変態十二史}が終わった後、文芸資料研究会とも袂を分かち、上森を中心に活動を行っていたが、他の仲間との軋轢から分裂が始まり、三派の中では、最初に消えて行くことになる。
北明が去った後、雑誌【変態資料】の会員を整理して、再募集した時の案内である。合法的に行くことを宣言したこの時から、【変態資料】の衰退が始まったと言えるだろう。
時候の挨拶やら、【変態資料】の連続発禁という歴史と名誉(?)、識者に珍蔵されている、と言った自慢話に、会員紹介のお願いなどが綴られている。ごくありきたりの会員通信であるが、上森健一郎直筆の署名と言うのは珍しいかもしれない。
{変態十二史}の後続として文芸資料研究会編集部で企画したのが、同じ十二を配した{軟派十二考}であるが、半数以上が未刊のままである。
刊行予定書目 | 著者 | 刊行書目 | 著者 | |
---|---|---|---|---|
ラヴレター雜考 | 池田文痴庵 | 羅舞連多雜考 | 同左 | 発禁 |
猥的俗謡史 | 茅崎浪夫 | 未刊 | ||
近世毒婦傳 | 横瀬夜雨 | |||
新補艶本目録 | 封醉小史 | 未刊 | ||
情死考 | 長尾桃郎 | |||
キッス雜考 | 齋藤昌三 | 未刊 | ||
軟派映畫考 | 村山知義 | 未刊 | ||
姦通史 | 藤田政之助 | 未刊 | ||
軟派版畫考 | 大曲駒村 | 未刊 | ||
男色考 | 花房四郎 | 発禁 | ||
近世賣笑史 | 宮本 良 | 未刊 | ||
女性虐待史 | 西村天來 | 未刊 | ||
性愛嫉妬考 | 綿谷摩耶火 |
「第一輯八冊」として六篇の案内と、巻末に{世界性科学体系刊行総目録}五十四冊の一覧が載っているが、二、三冊刊行したのみで途絶している。 五十四冊もの書名を掲げたため、第一集を予約したら全冊購入の義務が発生するのか、という疑問に対する答えが「世界性學大系に就きまして」で述べられている。全冊出す自信がなかったのか、最初からハッタリだったのかは不明であるが、義務は無い、と答えている。
文芸資料研究会編集部と平行して運営されていた発藻堂書院は、雑誌【古今桃色草紙】を発行していたが、文芸資料研究会編集部解散と同時に閉塞状態になり、再起を謀ろうとしたのが、この刊行案内である。更正記念出版として、四六判二百五十五頁の「イットガール」を無料頒布しようという太っ腹であるが、有償の「逢婦身八閨」共々刊行されていないと思われる。
【古今桃色草紙】は公刊誌であるが、当初は編集に花房四郎を充てるなど、かなり力を入れている。編集は、後に青山倭文二に替わっている。『註發藻堂書院は上森健一郎氏経営にて文芸資料研究會編輯部とは實質に於いてなんら異ならず』
との但し書きがあるのは、内容は保証するという宣伝効果を狙ってのことであろう。
文芸資料研究会編集部の最初の分裂が上森の引退と南柯書院の設立である。当時は、【変態資料】の後続誌であった【変態黄表紙】を刊行中であり、第三号から発行名義が変更になった。
二つの報告の内、一つは文芸資料研究会編集部から南柯書院に名称を変えたこと、もう一つは、経営を上森から中山直が引き継いだことの報告である。中山直、青山倭文二、大木黎二、西谷操、岩野薫、宮本良の六人の連名であるが、岩野薫のみこの連名以外に顔を出していない謎の人物である(普通の出版屋か編集者なのかもしれない)。中山直が経営を引き継いだ訳であるが、上森がいなくなった途端に当局の圧力が激しくなったため嫌気が差して、文字通り、直ぐ宮本良に経営権を渡してしまった、と伝えられている。南柯書院そのものは、程なくして消えていくことになる。
一旦軟派界から離れた上森が再起を図って起こした東欧書院にいた三浦新三(三浦武雄と同一?)が、同書院解散後に起こした、と刊行案内の冒頭で述べている。誕生記念として案内されたものは、『真情春雨衣』、『春情妓談水揚帳』、『通俗明皇後宮傳』の和漢三篇の合本、限定三百部である。
元々上森シンパであった大木黎二は、文芸資料研究会編集部が分裂状態になっても、前衛書房、東欧書院と、常に上森と共に行動していた。上森が一時出版事業から手を引いた時は南柯書院に籍を置いたりもした。東欧書院が分裂した後は、独立して巫山房を立ち上げ、【カーマシャストラ】に次ぐ地下出版雑誌の大関格、【稀漁】を発行した他、「乱れ雲」なども刊行した。破調荘書院から「袖と袖」、調謔堂書林からは「肉蒲団」を刊行するなどした後、談奇党同人として洛成館に関わるなど、八面六臂の活躍をすることになる。
紙魚の世界社から「巴里の青髯事件」(昭和七年八月)を刊行した大木虚士は大木黎二の実弟であるが、刊行されたものはこの一冊のみであろう。
洛成館は発行名義人を鈴木辰雄とし、中野正人、大木黎二などを同人に迎え、雑誌【談奇党】(昭和六年九月〜七年六月)を発行した。地下出版的な最後の雑誌であるとも言える。
元々、【アヴァンチュール】として刊行案内が出ていた雑誌を、【猟奇資料】に改題する旨のお知らせである。
大木黎二の名前で、洛成館代理部を創設し、珍具、秘薬の販売を開始した旨のお知らせです。大人のおもちゃ部門を併設した、ということでしょうが、実態は単なる名義貸しなのではないかと思われます。
挨拶文には、元々研究家、蒐集家であった書房主(春永明)が、毎月二日と七日に鑑賞会(二七會)を開いていたが、芳名録を秘密裡に手に入れたので、出版にも乗り出した旨が書かれている。新規参入の群小エロ本屋の一つなのであろうが、背革の立派な装幀丁本「花亂咲」(「乱れ雲」の異本)は刊行されている。「猟奇巡礼西欧篇」は写真集ということもあり、刊行されていないと思われる。
日本文献書房は、元々文芸市場社に出入りしていた眞保三郎が起こした出版社である。ほとんど秘密出版に近く、名義は村松三四郎であったが、眞保と同一人物である。「バルカン戦争」〔B〕、「ラスプーチン」、「のぞきからくり」、「後家百態」等を刊行している。その後を八雲孝治郎が継ぎ、「バルカン戦争」〔C〕の普及版等を刊行した。 戻って来た村松三四郎を強調している所を見ると、その後、眞保が復帰したのであろうか。
南辰堂書院が正式な名称のようであるが、自らの案内にも南辰堂と手書きしている程なので、通称としてはそれで通っていたと思われる。主宰者の加藤南辰の名前を採ったものであるが、同人の出自に就いては分からない。後に日建書院、藤架社と名称を変えている。「バルカン戦争」の異本である「戦乱史」は刊行されているが、他のものに就いては怪しい。
この会に就いては、もう少し検討が必要なため、取敢えず、刊行案内のみ載せる。
酒井潔を持ち出してきての、「ス伯爵婦人行状記」の刊行案内であるが、酒井自身は関与していないと思われる。
どこの系統に繋がるのか不明な出版社であるが、本は実際に刊行されている。