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蚤の自叙伝


昭和初期の艶本合戦華やかなりし頃、渦中の中心人物であった梅原北明は、当局の目が厳しくなったために上海に避難することにしました。同行したのは盟友の酒井潔佐藤紅霞の二人です。その上海から刊行したとされている雑誌が【カーマシャストラ】(ソサイテイ・ド・カーマシャストラ、昭和二年十月三十日〜昭和三年四月)です。二号以降はともかく、創刊号が上海で印刷発行されたのは確実です。

伝説的なその雑誌の創刊号に目玉として登場し、連載が開始されたのが『蚤十夜物語』です。紅霓娘譯となっていますが、実際の訳者は佐藤紅霞です。『蚤十夜物語』の本編としてはその通りですが、序編とも言うべき発端部分は、既に【文芸市場】九、十月合併号(文芸市場社、昭和二年十月)である「世界デカメロン号」に、イギリスのデカメロンとして訳出されています。訳者は紅霞です。この<【文芸市場】九、十月合併号は同誌の終刊号であり、【カーマシャストラ】が後続誌であることを考慮すれば自然の成り行きといえます。

【カーマシャストラ】が創刊される直前のパンフレット『重要雜記』北明

佐藤君の翻譯「蚤十夜物語」は仲々凄いものだ。あれはホンの發端で、次號から更に素晴しい發展をする。大いに期待して欲しい。

と述べており、同誌の創刊号に於いては、『編輯餘談』で、

「蚤十夜物語」に、…略…譯本ではあるが、本誌の呼び物であらう。ファンニ・ヒルなぞの比でない。

と、その猥褻さを強調し、購読者を煽っています。

同誌には第一夜から第四夜まで掲載されましたが、雑誌そのものが廃刊になってしまったため、そこで中絶してしまいました。

【カーマシャストラ】の廃刊前後に北明と離れた紅霞は、顧問格として迎えられた文芸資料研究会の雑誌【奇書】刊行に尽力することになります。そして、その文芸資料研究会から秘密出版されたのが「蚤の自叙伝」です。訳者が紅霞であるのは当然です。

グロテスク二巻二号刊行案内には紅霞の言葉を借りて、

私は今迄名うてな艶本は嫌になるほど讀んだが、蚤の自叙傳ぐらゐ猛烈な奴には出會したことがありませんネ。讀んでゐて、こっちが参つちまいますからネ。」

と言わしめています。別の個所では、出版したら命にかかわる、と述べている所からも、内容の凄さを強調しているのがよく分ります。その割には、添付された内容組見本四ページ分に猛烈な箇所が無いのは何故でしょうか。

北明は公刊誌【グロテスク】二巻二号(グロテスク社、昭和四年二月)の『現代邦譯艶書解説史』に於いて

『本書の三分の一は寡て吾々の雜誌「カーマ・シャストラ」に數囘に亘つて連載したことがある。一部の讀者には非常な歡迎を受けたが、章を追う毎に益々艶情を極め、それ以外の何等価値なきものと認めたので中絶してしまつたと云ふ過去を持つている。目下牛込の文藝資料研究會で該書の邦譯の豫約募集中であるが、内容見本に艶文を滿載し、賣らんかな主義を發揮してゐるのが不愉快だ。譯者佐藤紅霞大先生の日本の淫本式に翻案化した、スウハア文章だからこの方面の小學生には、もつてこいの珍書であろう。その内容見本に依ると、興味の點、文學上の価價に於いて、共にフアンニー・ヒルなんて問題にならぬほどの芸術的なものであるそうだが、僕自身に限らず世界の文學者に、この兩者を對讀させたら恐らく義経と向ふづねほどの差があると答へるだろう。文學書と純然たる淫書と同一視されては迷惑の感なきあたわずで、いくら賣りたいにもせよ、あんな下手な識者に直ぐと見へ透かされるような廣告文は、文献を冒涜するの甚だしいものだ。殊に佐藤紅霞君の如き一ぱしの珍書通であり乍ら、あんなアクどい宣傳をさせて黙してゐるとは眞面目な學究徒として許されない態度だと思ふ。…略…何れにせよ、勇敢な點は推奨に價する。』

と述べており、先の【カーマシャストラ】やパンフレットでの発言とは大きな隔たりがあります。自ら「ファンニ・ヒル」の比ではない、と言っておきながら、義経と向ふづねほどの差がある、と平然と言ってのける当りが、北明北明たる所以かも知れません。しかし、自分の雑誌で手掛けたものが他社から単行本になったのが気に入らないのか、装幀がお粗末なのが気に入らないのか判然としませんが、随分と言えば随分な言い草です。

「蚤の自叙伝」は人気があったようで、海賊版が多数出ています。しかし、同じような秘密出版の常連である「バルカン戦争」が豪華な単行本として何度も刊行されているのに比較して、簡単な造本のことが多いように見受けられます。同様に、公刊本が少ないのは、ストーリーよりも行為そのものに重点が置かれているためでしょうか。

原本初版の刊行時期が何時なのかは判然としません。【世界珍書解題】(グロテスク社、昭和三年十一月)の『第二十六章 最近に於ける仏蘭西の戀愛』には『蚤の追想』(Les Souvenirs d'une Puce)として紹介されていますが、刊行時期は記載されていません。 【世界珍書解題】の原本が1920年の刊行ですから、1900年前後の刊行と推定されます。記載内容は、先の【グロテスク】の記述とほぼ同じですので、【グロテスク】から引用しますと、

アムステルダムとパリとより出版された英佛愛書私的陳列館の發行になるものである。第一巻ベラーの物語は彫り版六枚入裝飾、表題紙上に一行(英人の艶書)とあり、末尾には(愛書會版)となってゐる。第二巻ジユリヤの物語も彫り版六枚入裝飾。共に一二ポ、一五四頁、無字一葉、バン・ゲルデル地方のオランダ風純手漉紙。私的出版四〇〇部限定。總麻本。現下の相場にして一八〇〇マルク。

となっています。【世界珍書解題】では限定のことには触れていず、『近世艶本中の極珍本。挿畫12枚入りは(殆ど入手不能)。』と記述されているのみです。【グロテスク】では更に、『六枚の秘画入り本は一八九〇年版』とも述べていますが、限定数同様、出典が分りませんので、どこまでが真実であるのかは疑問です。

【グロテスク】では、

挿畫も裝飾もなく、本文普通印刷紙を用ひた假綴の安本が、最近フランスで亂製され、日本へも大分輸入されてゐるとのことだ。又、アメリカのヒラデルヒヤから發行された六箇の挿畫入り私的出版もある。

と続いており、このフィラデルフィア版(一九一〇年)が本邦初訳「蚤の自叙傳」の元本である旨、記述されています。タイトルは「The autobiography of A FLEA told in a Hop,Skip and Jump」です。北明の解題は、この本の解説あたりを元にしている可能性が高いのではないでしょうか。


「前編 ベラーさんの話」梗概

第一章 〜 六章、「十夜物語」として見た場合、第一章は発端部分、プロローグに当たり、第二章が第一夜に相当します。

ベラーさんの体に住み着いた私(蚤)が彼女に起こる出来事を語るという体裁を取っています。

夕暮れの公園で恋人といちゃついている(といってもそのものズバリですが)所を覗き見られたベラーは、覗いていた僧侶のアムブローズに、懺悔のため僧院へ来るように云われる。翌日僧院へ赴いたベラーアムブローズの巧みな言葉に乗せられて……。数日後、アムブローズに魅せられてしまったベラーは再び僧侶の元を訪れて…。所が、これを覗き見ていた僧院長ともう一人の僧侶が闖入、三人の僧侶が休むことなく同時にありとあらゆる陵辱を…。さらに三日後、アムブローズは自らを正当化させるため、ベラーが寄宿してる叔父の家を訪ね、元々ベラーに気があった叔父をそそのかして…。

この時のベラーの年令は十四歳です。いかに猥本とは言え、何という設定でしょうか。しかも、その行動は……。

「後編 ジュリヤさんの話」梗概

第一章 〜 六章、「十夜物語」として訳出されたことはないので、どの章が第何夜にあたるのか不明です。第六章が、エピローグ的な内容ではありますが、終章としては、少し分量が多いような感じはします。

ベラーは友達のヂュリヤの父親が自分を求めていることを察し、アムブローズに相談を持ち掛ける。アムブローズヂュリヤをものにせんがため、叔父も含め三人で相談、享楽の中で計画がまとまる。生娘を装ったベラーヂュリヤの父親と逢い、叔父が姪(ベラー)の処女を金銭で売買しようとしている旨をそれとなく示唆させることに成功する。次の段取りの相談をしながら三人は何時ものように……。二三のエピソードを挿んで、計画が実行に移される。

ヂュリヤの父親とベラーの叔父との間で商談は成立、ベラーと思っていた相手が実の娘のヂュリヤだと分った時の父親の驚愕、その罪を浄化するという名目でアムブローズが……。三人の男と二人の娘の止まらぬ痴態、挙句の果て、ヂュリヤの父親は急死。やがて、ベラーの叔父も死亡、ヂュリヤと一緒に尼になるべく向かった僧院で待ち受けていたものは……。

あまりのひどさに呆れた蚤が、ベラーの体を離れるところで物語は終わっています。



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