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閑話究題 XX文学の館 駄文雑録

続地下本の価格(発禁本編)

美和書院版「茨の垣」書影

久しぶりに古書展に行った。東京古書会館の建て替えに伴い、日本教育会館に会場が移ってから、何回目かの展覧会(愛書会)である。以前には考えられなかったが、近頃では地下本が出ることも稀ではない。勤務の都合上、祝日以外の金曜日に行けることはなく、何時も土曜の午後という最悪の状況下でも残っている時は残っている。何も地下本に限ったことではなく、そんなものである。三回の「地下本の価格」でも土曜の午後に残っていた「僧房夢」「茨の垣」のことに就いて書いた。

詳細は秘本縁起「山路閑古の秘本」を見て頂くとして、世間で「茨の垣」が有名になったのは、美和書院の艶本叢書、紅鶴版シリーズ内の一冊として刊行されてからである。このシリーズは、最初に近代地下本の古典「袖と袖」「乱れ雲」「四畳半襖の下張り」を収載した「好色三代伝奇書」と題したものを千五百部限定で刊行して即日完売、発禁という訳の分からないフレーズで喧伝されたものである。このシリーズは以降江戸物を取り上げていったが、マンネリ化の故か売れ残りがゾッキとして出回っていたような話も聞く。仕方なく(?)限定を五百部に変更し、現代物を登場させることで起死回生を図った。その一番手に登場したのが「茨の垣」である。以降最近に至るまで、昭和艶笑文学の最高傑作と言われ続けている。立て前は公刊書であるため書き換えによる伏せ字が施されていたが、直接購読者には伏せ字表を別送した。

以前からこのシリーズの本は古書展でよく見掛けたが、伏せ字表付き、または貼り込み済の本は殆ど無く、あればガラスケース、というのが相場であった。伏せ字表無しでも一万円以上はしていた時期もあった。近年の艶笑本解禁(?)状態では流石に一万円を超えることはなく、伏せ字表貼り込み済で四千円から六千円の間ぐらいであった。状態が良くなく、伏せ字もそのまま、箱無しで八百円というのに出くわしたこともあった。しかし、伏せ字が起こしてあれば、やはり先の値段が妥当な所ではなかろうか。 しかるに、今回会場にあったのは、箱の題簽が少し傷んでるとは言え、伏せ字表も丁寧に貼り込んであるまずまずの状態であったが、二千円の値付がしてあった。しかも、シリーズ十三冊の内十一冊までが揃って同じ値段で棚に鎮座していた。当館所蔵のものは一体幾らで購入したと思っているのか(怒…のち涙)。

このシリーズは昭和二十七、八年の発売当時一冊千円であった。小野常徳氏の「好色本」(二見書房、昭和五十二年九月)に先の「好色三代伝奇書」を四万円で購入した人のエピソードが載っていた(これは当時でも高すぎるためエピソードになった)が、隔世の感である。

その後、別の書店の目録に何点かが八千円で載っていたが、補遺(伏字表)付、となっている方が七千円で安かった。何故だろう、不思議だ。と思っていたが、高い方の中の一冊(「艶女玉すだれ」)が摘発を受けたからかも知れない、と思い当たった。しかし、他のものにはそのような来歴もない。もう一つ考えられるのは、高い方の編者が斎藤昌三であり、安いグループの編者が岡田甫であることであろうか。近代ものならばいざ知らず、近世以前の解説者、編者としての斎藤昌三の価値は高くは無い。専門外ですらある。それに較べて、岡田甫は近世以前が専門である。掲載されていたものが総て江戸ものであることを考えても……。毎度毎度のことであるが、古書の値付けはよく分らない。

同じ会場に「壇の浦夜合戦記」(三崎書房、光明寺三郎訳、昭和四十三年十二月)も展示してあった。しかも五六冊まとめて、まるでゾッキ本扱いである。この本は摘発後、書房主の林宗宏氏が正式裁判に持ち込み、同じ発行所から出ていた雑誌【えろちか】で論陣を張るなど、当時色々な話題を提供していた。一審は無罪(同時摘発の他書は有罪)であったが、二審で逆転有罪、最高裁で有罪確定という経歴も持っている。で、お値段であるが、確かに状態が良いとは言えないが、三百円(二百円だったかも知れない)であった。

他の展覧会であったが、「ファニーヒル」(河出書房新社、吉田健一訳、昭和四十年七月)が五百円で出ていたのを見たことがある。金額の脇に「発禁本」と書いてあったが、同じ物を別の即売会でも見掛けたので、売れないのであろう。発売当時摘発を受け、欧米では解禁になっているのに、後進国日本では未だ発禁扱いである、と言うような論調がなされていた記憶もある。シリーズ(「人間の文学」)のしょっぱなが発禁になってしまっては体裁が整わない、として河出書房では改訂版まで出した因縁の代物である。 その他にも、当時摘発を受けた翻訳文芸書は今日殆ど五百円前後かそれ以下である。昭和二十年後半に出た紫書房などの翻訳シリーズが、今でも千から二千円するのとは大違いである。

今日届いた目録では更に仰天、【セイシンリポート】の三十五冊揃いが三万円だそうである。ここの古書店では前々回の目録に【相対会研究報告】三十四冊揃い+相対会の栞で四万の値が付いていた。恐らく、客買いではなく(今時次から次へとこんなものが客から買えるとは思えない)、市での取引と思われる。してみると、最初に客からは幾らで引き取ったのであろうか。もっと高く買ったが、売れないので捨て値で放出したのであろうか。世の中はデフレ論議で喧しい。文学系の初版本や限定本の値下げも著しいと聞く。しかし、地下本の世界のデフレ現象も負けず劣らず激しい。これらの揃いはどちらも五十万円以上していた時期もあったのである。価格にして十分の一以下。二十年前の話であるから、価値でいえば更にその何分の一かである。研究家や蒐集家としては正にお買い得である。但し、ものが出ないという点に於いては二十年前と状況は少しも変わっていない、というのが最大の難点であるが……。


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