入口 > 駄文雑録 > 地下本の価格戻る次へ

閑話究題 XX文学の館 駄文雑録

地下本の価格

「僧房夢」書影

地下本に限ったことではないが、古書/古本の価格にはそれこそピンからキリまである。一般的には学術的、文化的視点から見た価値、稀覯性、対象そのものの汚損度、そして欲している人の執着度等により価格が決定されるであろう。これらを地下本に当てはめた場合(地下本の定義にも依るが、小説の類だけに限っても)、

  1. 作品として見たときの文学的価値は、極めて少数の例外を除けば問題外である。
  2. しかし、出版史、風俗史から見ての位置付、資料性は明らかに学術的な意味合いがあろう。
  3. 但し、それらの視点から地下本を位置付た研究はあまり知らないし、文化的に誇れるものとも思えない。
  4. 稀覯性に就いては、元々発行部数が少ない上、官憲の押収により存在していない筈とされるものや、 たまたま蒐集家の手元にあっても、体面を考えて家族が処分してしまうなど、世の中にあること自体を拒否されている存在なので、十分な資格がある。
  5. 汚損、美醜に就いては、一部の所謂秘密出版で豪華本に仕立てているものもあるにはあるが、大半はガリ版刷りの粗末なものか、活字印刷にしてもハードカバーは殆ど存在しない。 従って、稀に丁寧に保存してある場合もあるが(最初から蒐集を目的としたものであろう)、一般の使用目的から言っても、大事に扱われる性質のものではないし、造本の構造からも、汚損されやすい宿命を背負っている。
  6. 性に興味のない人は少ないであろうから、潜在的な需要はある筈である。
  7. しかし、実践家は、今やその希望を叶える場所にも内容にも事欠かない。 かつては、この種の地下本や所謂猥写真も範疇であったが、フルカラーの裏本や動く裏ビデオには所詮叶わない。
  8. さらに、昨今ではその地下本も伏字無しで堂々と公刊されている。しかも、文庫などもあり安い。
  9. この手の蒐集家はおしなべて貧乏である(涙)。資金力のある蒐集家は豪華本か浮世絵などの絵画に走ってしまう。

などの理由から、概して世間で思われている程高くはない。寧ろ公刊書の影響もあってか、以前に高値を付けていたもの程値下がりが激しい。とは言っても、ものには限度があると思っていた。 所が、今年初め(平成十二年一月十五日)の展覧会(下町書友会、東京古書会館)にアッとビックリのものが出ていた。離々庵戯州の私家版「僧房夢」の原本である。

別にガラスケースに収まっていた訳ではない。無造作に立て掛けてあっただけである。それだけでも驚くには十分であるが、展覧会二日目の午後になっても未だ売れ残っている。しかも、値段を見てさらに驚愕。なんと2000円である。二万円ではない。二千円である。少し前までは作者不明の傑作と喧伝され、全貌の公開は何時になることやらと言われていた作品の原本である。発行部数も二百部のみ(後に七十部程追加)、昭和六十一年五月に完全復刻したものも百五十部限定と数少ない。それが、たったの2000円(ガリ版刷りの地下本でも程度が普通ならこんなに安くはない)でも売れ残る現実。購入したのは勿論だが、嬉しいやら悲しいやら複雑な心境である。

実はもう一点、同じ作者の「茨の垣」前後編二冊の原本も隣りに置いてあったのだ。昭和艶笑文学の最高傑作とまで絶賛されている「茨の垣」の原本である。その文学性、稀覯性、資料としての価値、何れをとってもこの種の研究には欠かせない第一級の資料である。8000円(嗚呼)。


入口 > 駄文雑録 > 地下本の価格戻る次へ