性の啓蒙に一生を捧げた高橋鐵が主宰団体である日本生活心理学会の機関誌として刊行した【セイシン・リポート】は会員からの報告である性体験手記とその講評を中心に構成された雑誌である。性体験手記とその講評という組み合わせでは、高橋鐵個人の著書として既に「人性記」(あまとりあ社、)を公刊していたが、公刊という性質上直接的な表現は排除されていた(それでも摘発を受けている)。しかし、【セイシン・リポート】は会員にのみ頒布されるため、一切の省略がない生の報告であった。勿論、洋の東西を問わない艶本の訳出紹介なども行っているが、精神分析学の手法を中心にした性科学を標榜していた関係で、常に理屈っぽい解説が付いていた。
当誌は省略の無い内容と言い、機関誌という性格上、会員のみにひっそりと頒布されたと思われがちであるが、実際は公刊誌である【あまとりあ】の三巻七号(あまとりあ社、昭和二十八年七月)に新規会員の募集と共に発刊の案内を出している。【セイシン・リポート】という名称こそ出していないが、『厳密な特定會員制による研究發表(会員間のみの獨自な研究リポート。毎月刊行)』
を中心にして行くことは明言している。斯くして昭和二十八年七月末(実際の頒布は八月?)に創刊号が発行され、以後昭和三十九年八月までの十一年間に三十五冊発行している。
昭和二十八年当時は公刊誌である【あまとりあ】、【人間探求】(第一出版社)は勿論、会員制特殊雑誌の全盛期で、 近世庶民文化研究所の【近世庶民文化】を始めとして、 芋小屋山房の【稀書】、 東京限定版クラブの【奇書】、 未刊江戸文学刊行会の【未刊江戸文学】、 アドニス会の【アドニス】は総て刊行中であり、 露払いとも言うべき【生活文化】も二月に創刊されている。 さらには【セイシン・リポート】の手本の一つでもあった【相対会研究報告】の復刻版も前年から刊行を開始し、継続頒布中であるなど未曾有の時代であった。
満を持して創刊された【セイシン・リポート】であるが、流石にこの様な状況を当局が放って置くはずもなく、翌昭和二十九年六月、露払いでもあった【生活文化】をきっかけとして一斉摘発が行われ、【セイシン・リポート】も第四輯発行後に摘発されている。この時は起訴されなかったが、一斉摘発で印刷屋がパニックになったためか第五輯はガリ版刷りで配布された。この起訴を免れたことが「特定会員間の研究に供するのであれば問題ない」と言う当局の見解と誤解した高橋鐵に変な自信を与えてしまい、後々まで尾を引くことになる。第六輯は活字に戻ったが、印刷屋と上手く行かないとかで第七輯はまたガリ版、第八輯から第十七輯までは活字を維持するが、第十八輯以降はタイプ孔版による刊行が終刊号まで続くことになる。
昭和三十一年七月に正式起訴された【セイシン・リポート】を含む猥褻裁判は、昭和三十八年一月に第一審で有罪判決を受け、第二審も有罪、昭和四十五年九月に最高裁で有罪が確定する。公訴審の最中に、実質的な発行者兼編集者であり、同時に起訴されていた清水こと岩間潔が死去、必然的に【セイシン・リポート】も廃刊へと追い込まれることになる。このことは、高橋の廻りに、多くの著名人や有能な人材が集まっていたとされることとは裏腹に、命を賭しても(実際そうなってしまった訳であるが)、高橋と共に理想を実現して行こうとする人材が乏しかったことを示唆しているのではなかろうか。
凡例
セイシン・リポート(全三十五冊) | |
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判型 | B6判 |
発行所 | 日本生活心理学会 |
刊年 | 昭和二十八年七月末(八月?) 〜 昭和三十九年八月 |
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