◆紅鶴版 |
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◆丹頂版 |
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◆別巻 |
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正真正銘の表出版であるにも係わらず、扱っている題材がそのままでは表に出せないため、伏字という着物を羽織る事により表通りを歩けるようにした出版物がある。 中には透けるような着物で注意を受けるものもあるが、概ね表通りを歩いている。その様な出版物は分類上は当然の如く表本である。 しかし、ここに正誤表なる素肌をそっと露にして特定の人にのみ鑑賞させる輩が存在する。 こうなると最早表本とは云い難くなる。否、本の本体は表でも正誤表は立派な地下本扱いとなる。 この種の出版物の内で、今回紹介するのが「紅鶴版」、「丹頂版」と銘打った叢書である。
両叢書とも、貴重文献保存会の名の元に美和書院が刊行した限定本である。 今までこのシリーズを紹介したものとしては「猟本猟奇」(斎藤夜居・街書房)があるが、部分的な紹介に留まっている。 全体の内容を目録的に記載したものには「発禁本曼陀羅」(城市郎・河出書房新社)が在り、叢書の概要を知る事は出来るが一部不備な点もある。 その他はシリーズ中の特定の書物に就いての解説や紹介があるだけである。 しかも、それらの記述には間違いも少なくない。 従って、シリーズの全容を紹介するのは意味のある事と思うが、冊数が多いため今回は書誌的な紹介を主とし、内容に就いては他の機会に譲りたいと思う。
紅鶴版は当初十冊の予定で始まったが、後に二冊追加され、さらに別巻として一冊が加わり、最終的には十三冊となった。 何れも特漉き和紙を使用し、各冊毎に裝幀に工夫を凝らしたA5判アンカットの限定豪華本である。 近世、近代の秘本、稀覯本と云われているものを斎藤昌三、岡田甫の両氏が厳選して収載している。 価格は一冊当たり千円、決して安い値段ではない。
丹頂版は六冊の予定で始まったが、種々の事情により五冊で終了してしまった。 予告のみ(正式な案内は無い)で発刊されなかったものは「艶説秘曲つくしごと」と「僧房夢」の合本で、岡田甫校訂である。 丹頂版の企画と中断の経緯に就いては後述する。 紅鶴版と同様裝幀に工夫を凝らしたA5判横綴じ、本文アンカットの限定版であるが、本文の紙質を落とし、価格も一冊八百円と下げている。
最後に丹頂版の別巻として一冊、「糸遊」を追加刊行している。 裝幀は、紅鶴版と同様にA5判縦綴じに、本文も二度刷りに戻っている。 尚、貴重文献保存會の下に丹頂版と同裝幀(丹頂版がこの裝幀を基にしていると云った方が正確である)の「全釈柳の葉末」が岡田甫編、 限定三百部で昭和29年2月(奥付は昭和28年12月30日)に刊行されているが、本シリーズと直接のは関係はないので、今回は省く。
本文には伏字が在るため正誤表を別送した。 伏字と云っても所謂『□□□』だけではなく、書き直しや数行(時には数十行)に亙る脱落(しかも其の旨の記述が無い)によるホットパートの隠蔽も少なくない。 この点に就いて編者の一人である岡田甫は同氏主催の【近世庶民文化 十九号】(近世庶民文化研究所・昭和28年10月)の「茶室」欄で会員からの要望 『「水の行末」裝幀・用紙・印刷等見事の出來榮と存じますが、伏字の必要あらば該当字數だけ全然の空欄とされるようにと存じます。』に対して 『また美和書房(ママ)紅鶴版なども、會員だけに頒布するのだと樂なのですが、どうしても一部分を書店へも出さぬと經営が出來ない、 そのために伏字による空白の多いのも不利と云うことになり、却々その間の事情には複雑なものがあります。』と答えている。 つまり、プロの出版社がやっている以上、文献としての扱いよりも、まずは売れる事が先決であり、学問的、文化的なことは二の次にならざるを得ないと云うことか。 文献の保存を旗印に掲げても、出版社の見識とはこの程度のものでしかないのだろうか。 所詮食えねば話にならぬ、と云うのも分からないではないが…。 実際問題として当時の価格で千円の本が限定数の千五百部を全て売り切ったかというと甚だ疑問と云わざるを得ない。 先の「猟本猟奇」でも、一部を特価本として手にいれた旨の記述がある。 現にこの限定部数は途中(第九冊「茨の垣」)から五百部に変更されている。 どうせ千五百部印刷しないのならばいっそのこと限定数を減らそうと考えたのが真相ではあるまいか。 して見ると実際の発行部数は五百前後と云う所か…。
このシリーズは第一冊「好色三大伝奇書」と第二冊「艶女玉すだれ」が 問題を起こしたとされているが、実際はその他にも事件に成り掛かった事がある。 昭和29年6月の大旋風(生活文化資料研究会の解散等を引き起こし、会員制の雑誌類が軒並み摘発された)が起きた時にシリーズ中の正誤表も問題になっている。 前出の近世庶民文化研究所の会報「瓦版」廿三号(昭和29年7月)によると 『当会に官憲の現れたのは十日の午后である。当会取次品の「開談遊仙伝」(筆注:発行は近世風俗研究会)と、 小生校訂の紅鶴版六冊(筆注:この時点での岡田甫編総て)の 正誤表について訪れたのだが、総て頒布ずみのため全然残部はなかった。 しかし会員名簿を押収され、同日夕方小生も検束された。』 さらに追記で『美和書院主も二日の組だが、こゝは公刊書を出して会員組織でないため名簿もなく、通信書類もなかったようだ。』とある。 これを見る限りでは本や正誤表の押収といった事はなさそうであるが、この影響は長く尾を引く事になる。
紅鶴版が追加されたことと丹頂版が刊行、中断された正確な経緯は不明である。 しかし、その過程を先にも引用した「瓦版」にある記述を元に追ってみるとある程度推測することは可能である。
●「瓦版」十九号(昭和28年10月)
が総ての発端である。
『美和書院の紅鶴版十巻もそろそろ完結するが、急にあまとりあ社から依頼されて、「絵入江戸艶本集成」(仮題)といったようなものを引受けることになった』
この時点での紅鶴版はまだ当初の十冊のみである。 「艶本集成」は刊行時には「艶本叢刊」に変更されている。 この理由も面白いのだが解説は別の機会に譲る。
●臨時(2)(昭和28年11月)
『あまとりあ社の「絵入江戸艶本集大成」の内容見本、なかなか出来ないと思ったら同封のようなデッカイものが出来た。 この社のものも宣伝の方がいっつも早く、さっぱり出来上らない。 一年も前から宣伝して青山氏の「傑作選」などというのも未刊である。 その点で頗る評判がよくないので、何とか悪評を挽回すべく「絵入江戸」の第一回配本を早急やるそうな。 一月中に配本したいと云っている。(原稿は二回配本の分まで脱稿。)…』
この内容見本は生活文化資料研究會の名前で出され、第一期六巻として以下の六冊を予告している。
- 第一回配本 千種花二羽蝶々
- 第二回配本 好色小柴垣
- 第三回配本 春情指人形
- 第四回配本 魂膽色遊懐男
- 第五回配本 春情花の朧夜
- 第六回配本 色道後日男
さらに第二期以後収載予定として書名のみを十二冊掲載しているが、その中に「好色四季咄」「榮華遊二代男」の書名が見られる。
●廿二号(昭和29年4月)
『…同シリーズ(筆注:紅鶴版のこと)は読者の希望により二冊追加することになった。…』
●臨時(5)(昭和29年5月)
『生活文化資料研究会の「江戸艶本叢刊」第一巻がやっと出来た。 裝幀に案外日数を要したため遅れたが、却々立派である。(千円) 全巻申込者への特別附録も、もう出来る筈。 第二回配本は「好色小柴垣」と「色千種双羽蝶々」下巻の合冊。(千円)』
六ヶ月経ってようやく第一巻が配本された「艶本叢刊」の現状を見て、 完全刊行は難しいのではないか(この種の出版物ではよくある事)との疑念が湧いたのは否めない。 従って、内容の梗概まで掲載している第一期分に就いてはともかく、先の全く見えない第二期以後の分は、好評な紅鶴版の方に回してしまって良いのでは、 との判断(話し合いはあったかもしれない)から先の発表になったものと思われる。 実際、この叢書は、年末(昭和30年初頭の可能性もあり)になって二冊目を配本するのがやっとであった。
●廿六号(昭和29年12月)
『同封の美和書院の広告の本は、3月下旬配本です。 今度は「葉末」式の横本の由。同店独特の美本になりましょう。 勿論正誤表を当方会員には附します。』
生活文化資料研究会が潰れ、なかなか配本出来ない「艶本叢刊」と完全に決別し、 叢刊で活字化予定であった三編をそっくり丹頂版へ持って来ての刊行案内であった。 しかし、新たな叢書を企画して迄刊行しなければならない程の要望があったか否かは疑問である。 紅鶴版も後半の現代物が刊行されて多少の勢いを盛り返してはいるが、江戸物では限界に来ていたことが想像出来る。 これは、別巻として「春しぐれ」を刊行したり、後の丹頂版でも五冊の内二冊は現代物であり、 別巻の「糸遊」もそうであることを見れば瞭然である。 しかも6月には大弾圧が有り、この種出版物の刊行が難しくなって来ている状況下ではなおさらであろう。 それを敢えて刊行に踏み切った真意は図りかねる。 単なる原稿の整理が目的だけではあるまいと信ずるのみである。
●廿九号(昭和30年10月)
『美和書院の丹頂版第四輯「春情花の朧夜」が出来た。この叢書は六冊の予定。…』
●三十号(昭和30年12月)
『美和書院の丹頂版は既刊五冊。 全六冊の予定だったが、第六集との間に別冊「糸遊」が一冊はさまれた。 …なお目下校正中の第六集「艶説秘曲つくしごと」(曲取山人作・英泉画)を最後に、もうこの種の校訂本は打切りである。 これは早ければ年末、遅くも正月刊行。』
と記述されているが、第五集の「丹頂だより 30.11」では
『いよいよめでたく完結の運びとなりました。』
と、完結御禮を載せている。 出版社と編者の間の完全なるすれ違いである。 以下次のような記述が続く。
●増刊(11)(昭和31年2月?)
『美和書院の丹頂版別冊「糸遊」はおくれてまだ出ない。第六冊の「つくしごと」は出すかどうかハッキリしない。次号にはそれについて御報告が出来よう』
●(31)(32)合併(昭和31年3月?)
『暮に、「つくしごと」が丹頂版の最終回として1月に出ると書いたところ、その後出版社の予定が急に変更され、 丹頂版は「糸遊」で打切り、「つくしごと」は別の裝幀(即ち横本でなく型を変える)で出すか、或いは丹頂版で出すか考慮中とういう事になってしまった。 …原稿はヤンヤヤンヤと急がれて11月に渡してあるし、「糸遊」につゞけて出すというので当方はそう信じていたのだ。…』
●増刊(12)(昭和31年4月?)
『美和書院の「糸遊」は印刷所の分裂争ぎで延期していたが、近く解決される由』
●三十四号(正しくは三十三号)(昭和31年6月)
『美和書院の丹頂版は「糸遊」で一先ず第一期六冊を完結しましたが、あと三月おきに一冊の予定で当分続刊する由。 その第七冊目はかねて報告通り「つくしごと」という英泉画作の五冊本、編者とっておきの秘蔵本です。 これはメロドラマ風の奇々怪々の読本式の艶本で、面白さにかけては自信をもってお薦め出来る。 それに「僧房夢」という現代ものゝ傑作を附します。千円。…』
●増刊(14)(昭和31年12月)
『美和書院の「つくしごと」はまたおくれ、まだ内容案内書も来ない。』
以後「つくしごと」に関する記述は載らなくなる。 丹頂版の完結御禮を出してから丸一年経っている。
尚、「茨の垣」他の作者である山路閑古の昭和33年の年賀状に
『本年新春の企画としては、目下長編小説「貝寄せ」を私家版として出版する準備をしております。 これは某書店の依頼によって書き下し、第五豪華本として出版する予定でありましたが、都合により予定変更して、久振りで自筆、自刷の私家版を作ることにしました。』
とある所を見ると、既刊(と云っても個人出版であるが)の「僧房夢」だけでは無く、新作の依頼迄していた事になる。 出せば必ず売れるであろう現代物二編まで用意して置きながら、実際には中絶してしまった事情は判然としないが、昭和三十年頃をピークとするこの種の出版物にとって、時代が逆回転し始めたのは紛れも無い事実である。
シリーズ中最も凝った造本である。 表紙は「四畳半」に因ちなんで襖を象っており、越前の特漉きスミレ紙を基礎にして、同じく本鳥の子紙(鼠色)を腰張りに使用している。 さらに、縦線の黒箔押しによる襖の合わせ目、円い空押しによる取っ手の表現と凝りに凝っている。 その上、腰張りには「四畳半」の一節まで書かれている。 見返しも本鳥の子紙(藤色)を使用し、砂浜に裸で寝そべっている女性二人の傍らに栄螺、玉子とバナナが配置されているという意味深な情景が描かれている。 扉も本鳥の子紙(クリーム色)が使用され、少雨叟の直筆で「春愁や眼裡に昨夜の踊り子が」の句が書かれている。 本扉の前には特漉雲龍紙の薄紙があり、本扉は特漉雲藝紙を使用している。 続いて同じく本鳥の子紙(クリーム紙)に限定番号と編者の書名押印があり、序及び目次と続く。 本文は小川の特漉き和紙九貫を使用し、二度刷りで各頁に裸の女性の立ち姿(左頁)と立て膝の姿(右頁)が描かれている。
各作品の前には鳥の子紙(クリーム色)の中扉があり、各々風俗画が描かれている。 「袖と袖」は明治期の女性が艶本(「千種の花双羽蝶々」と読める)を読んで自らを慰めている部分図である。 「乱れ雲」は大正期の女性の海水着姿であり、「四畳半」は同じく大正期の娼婦が鏡台に寄り掛かって櫛で髪を梳いている図である。
シリーズ中本書と次の「艶女たますだれ」が単独で問題を起こしている。 このことは『前刊の「好色三代傳奇書」について』(「艶女玉すだれ」に添付された通信)の次の文面 『又發行即日賣切れ絶版になりましたので、 遅れて御註文下さった方々には御期待にそい得ず、誠に失禮いたしました。尚、殘念なことには、その後直ちに當局の取締を受けるに至りました。』 によって判然とする。 この文書を見ると、限定数の千五百部を売り切った後に問題が発生したかの如くに受け取れる。
一方取次をしていた芋小屋山房の会員制特殊雑誌【稀書 5号】(昭和27年5月25日)の巻末には 『お蔭様で本書は發賣と同時に賣切と云ふ、誠に豫想もしなかった結果を産み、そのため、著者を始め、芋小屋山房殿並びに、 稀覯文献研究會の各位に大變御迷惑を及ぼしました事を、衷心より御詫び致す次第です。 本書は限定出版として印行したのですが、當局よりの御注意を受け、以降發賣を停止する事となりましたため、御熱心なる御要望にも御應へ出來ませんでした事を申譯なく存じて居ります。』 という美和書房(ママ)の「お詫び」が掲載されている。 この文面からは取りあえず印刷した部数は総て売れたが、以降の増刷が不可能になり、結局限定部数分は発行出来なかった、と取れる。
では実際は何部発行されたのであろうか。 前出の「瓦版」臨時版(3)(昭和29年1月)に『第一輯の「好色三代伝奇書」の増刊は來月になるらしい。』との記述があり、 同臨時(4)(昭和29年3月)に『美和書院の「三代傳奇書」について大分注文を頂いてあるが…中略…本は手許にあるから直ぐ発送。』 と掲載されているのを見ても、増刷は確実である。 発行部数を千五百部に限定して置いて、それ以上を発行するというのも考えにくい(戦前ならばいざ知らず)ので、問題になった時点での発行部数は千部も越えていないのではないかと思われる。 何れにしても、注目すべきは本書が問題になった後にも増刷されている点である。
本書に関するもう一つの誤解は正誤表に就いてである。 本書に正誤表が在るが如き解題を時折見掛けるが、これは間違いである。 本書を除く他の冊子には総て正誤表が附いているので、そこからの誤解かと思われる。 これは、「瓦版」十六号(昭和28年3月)に 『尚同シリーズの第一輯「好色三代傳奇書」を希望する向きが多いが、これは発行所にも一本もない。 尚これのみは正誤表を附さなかったため、研究家にはお薦め出来ない。 同書に関する御問合せは無駄であるから見合せのこと。』 と載っている事からも確実である。 「瓦版」ではこの後も何回となく同じ主旨の事を書いている。 本シリーズ唯一の惜しむべき点である。
収載作品はいずれも戦前戦後を通じて異版、偽版、改訂版が数知れず出版されている地下本界のエリート作品であり、多くの解説もあるので内容の説明は別稿に譲る(この研究だけで一冊を要するのではなかろうか)。
表紙及び見返しは越前生漉の奉書紙をあい色とそら色に染めた物を使用し、丹色で玉すだれが描かれている。 表見返しには他に煙草盆も描かれている。 本扉は同じく特漉のスミレ紙(絹玉入り浅黄)が使用されている。 中扉、口絵、本文の用紙は「好色三代伝奇書」と同じである。 「艶女玉すだれ」の中扉は小袖が描かれ、口絵には原本から上巻見返しの図及び目録の第一頁(以上が一枚目)、上巻巻頭の序及び第三巻の最後の頁(二枚目)の影印を収載している。 「眞實伊勢物語」の中扉は、衣冠姿の男と十二単の女が描かれている。 本文も二度刷りで玉すだれが描かれている。
本書も問題となり、「猥褻出版の歴史」(長谷川卓也・三一書房)によると 『戦後の出版物取締は、検閲用納本制が廃止されたため、いずれも市販後のチェックによるが、この本だけは当局側が事前に情報をつかんだらしく、 印刷中に摘発という異例になった。従って押収をまぬかれたのは、見本刷りのうち、たまたま版元以外の手にあった数部だけといわれる。』 という事である。 しかし、編者の斎藤昌三は同シリーズ六冊目「増鏡」の『序に代へて』で『第二回の「艶女玉すだれ」は発行の日に押収されて問題となったが、…』 と述べており、かなり状況が異なる。 実際、所見本の限定番号は344號であり、これだけから見るとかなりの数が出ているように思われる。 前出「瓦版」十四号(昭和27年11月)には 『斎藤昌三編「艶色玉簾」(美和書院版)が数部手許にある。 入手しそこなった方々は至急お申込を乞う。(定価千円)』 という記述がある所からも、見本刷りだけとは考えにくい。 単純に考えれば当事者の方が正しい筈であるが、思い違いという事もあり得るため、ここでは断定しない。 何れにしても正誤表を別送している程であるから一般にも相当数出回っていると考える方が妥当であろう。
その正誤表はA5判で一枚であり、三分の一は本当の誤植である。 忌避すべき部分も書換ではなく伏字にしてあるのが好ましい。 さらに、その伏字の部分も最小限に止めてあり、その後のシリーズと比べて問題になりやすい要素を多く含んでいたと云える。
本書に就いての面白いエピソードが「瓦版」十四号に載っているので、次にそのまま転載する。
『過般も「玉簾」が忌諱にふれて斉藤昌三翁が呼ばれたが、その問答が面白い。 「まあ一頁読むから聞き給え」と読み上げ「どうだ」と訊くと「サッパリ分からない」「分からないものがどうしてワイセツか」 「部分によってこう云うところがある」「それは君たちが人間を見るのに、股のところばかり見るからだ。 人間には顔もあれば胸もある。股ばかりに注目すべきではない」云々。……大体こう云ったわけである。』
表紙及び見返しは越前生漉の奉書紙を若草色に染めたものに、赤土色で小柴垣が描かれている。 本扉は同じく特漉の孔雀紙であり、その他の用紙は前二書と同じである。 口絵の一枚目は「藐姑射祕言」の原本表紙と序文(各々初編と後編の二冊)、二枚目は澤田五猫庵(名垂の玄孫)の校訂本「阿奈遠加志」の表紙と初頁の各々写真版である。 中扉に描かれているのは「藐姑射祕言」が狩衣姿の男が揚げ窓から家の中を窺っている図、 「阿奈遠可志」が衣冠姿の男に十二単の女が抱かれている図、 「逸著聞集」が犬張子の図である。本文も二度刷りで小柴垣が描かれている。
本書あたりから伏字も増えて正誤表のサイズも大きくなってくる。
収載作品は所謂「江戸三大奇書」として有名なもので、三編まとめてでも、単独でも数多く出版されている。
本書の序の最後に「尚ほ、拙文ながら本書の現代語譯は、さきに普及版と特装版とを出版してあるから、御參考願へたら幸ひである。」 とあるのが前記の「好色日本三大奇書」である。
余談になるが自らの研究成果を公にする場合の難しさをこの「三大奇書」を例にして見てみよう。 特に先人の成果を否定するような内容を発表する場合の難しさである。
岡田甫は前述したように【近世庶民文化】「全釈」「秘籍」と三回に亙って発表しているが、それぞれの時点での発言を抜粋して見ると次のように推移して行くのが分かる。
【近世庶民文化 63】に「逸著聞集」を掲載したときの会報「瓦版」に
『本書は「江戸三大奇書」の一としてつとにに有名だから、すでに御存知の方も多かろう。 これを特に取上げたのは、本書は寫本だけで伝わっただけに、今までの刊行書が、どこまで信據していいか不安だったからだ。 その現代語訳も数種あるが、それに至っては何とも云いようがない。 (斎藤昌三先生の名による本は先生の書いたものではなく、一ジャーナリストの筆とか仄聞する。勿論そうであろう。) そのため会員から、ぜひ全文の対訳を……という御希望が早くからあった。』
とある。 この時点では少雨叟も健在であった。 翁が鬼籍に入ったのは昭和36年11月である。
これが「全釈」の『はじめに』では
『当時、銀座方面にあったさる雑誌社に立ち寄ったとき、その社長から一つの原稿を示された。 (この社長は、戦前には有名な綜合雑誌の編集長だった人である。) 「どうもこの原稿、ちょっと変だと思うんですがね」 見れば「逸著聞集」を紹介したもので、原文の数章を抜き、現代語訳が添えてある。 その道では大家の原稿だった。 一読して見ると、なるほど変だ。 社長が「ここ、これでいいんですか」という個所がすべていけない。 古歌の文句取りなのに気づかず、とんでもない語訳をしている。 その大家は珍本には通暁していても、こういう有名な古歌も知らない、つまり国文学にはぜんぜん知識のない方だった。 この人ばかりではない。そういう輩の紹介した本文だとか現代語訳が、今もって臆面もなく世間に横行している。』
と変わっている。 この大家が誰であるか一読瞭然である。
さらに、「秘籍」の月報では
『もちろん戦前は公刊できなかった。 ところが戦後に、いちばん早くこれに手をつけたS・S氏のがいけなかった。 S氏は明治・大正の本にくわしく、珍本蒐集家であり、その方面では権威者だったが、わが国の古典の知識はゼロ、だから間違いの多いのは仕方がない。 それが、どんなひどい間違いをしているか、ひとつ実例を示してご覧に入れよう。 …中略…この現代語訳本は、S氏から贈られたほんから抜いたものだが、これはほんの一例にすぎない。 こんな調子で、全巻が語訳だらけといっていい。』
とイニシャルを提示し、間違いの実例まで挙げて批判している。 忌憚なき意見発表の場としての「近世庶民文化」を主宰し、現にそれを実行してきた岡田甫でさえこの通りである。 このような姿勢が研究家の態度として良いか悪いかは別にして、人間関係の難しさを痛感させられる一例である。
表紙は抹茶色(鼠色も在る由)の鳥の子で芥子の花が描かれている。 見返しは楮紙の色物(桃色・緑・黄・枯葉色の四色を使用)に古代蒙古の銭を原寸大で印刷してある。 本扉は特漉のスミレ紙である。 中扉には「諸遊芥子鹿子」が蒲団と褞袍、「好色堪忍記」が行燈と煙草盆を描いている。 中扉の次の口絵は「芥子鹿子」が目録及び本文の各々一頁目、「堪忍記」が巻之二の目録及び巻之一の本文の一頁目のそれぞれ影印である。 本文は二度刷りで、江戸時代の遊里で使われていた提灯、杯、灯鉢などが描かれている。 挿絵は「芥子鹿子」が九図、「堪忍記」が二図転載されている。
本書には他に「註解」と称する八頁の語釈が附いている。 本文中に現れた所謂江戸語の説明である。 正誤表は一枚であるが、本書迄は文章に脱落が無いため、正誤表を切りとって貼り付ければ原文通りになる仕掛になっている。 その正誤表に就いて、【近世庶民文化 16】(昭和28年3月)の「茶室」欄に 『昨日待望の「諸遊芥子鹿子」拝受、樂しみに少しづつ味讀して居りますが、正誤表にいさゝか疑點があります。 この正誤表を先生が目を通したものかどうか、信頼のおけるものかどうかお伺い致す次第でございます。』 との会員からの質問が載り、これに答えて、『他からも同様注意がありました。點檢して近く正誤表の正誤を發表致します。』 と述べているが、実際に行われたか否かは不明である。
本書は当初表題の他「好色四季咄」「和漢名女鑑」の三編で案内が出された。 しかし、この内「四季咄」は「堪忍記」に替わり(替わったと云うよりは、「堪忍記」と「四季咄」が混同されたまま案内が出た。岡田甫らしからぬミスである。) 「女鑑」は頁数の関係で落ちてしまった。
落ちた「和漢名女鑑」は初め【近世庶民文化 14】(昭和27年11月)の『資料室』として写真凸版で紹介された。 さらに、同15号(昭和28年1月)の『資料室』に、『割愛した責を果たす意味もあって』(後記より)、活字化したものが掲載されている。
表紙、見返し共伊豫の奉書を黄色に染め、表紙は柳を濡らす春雨の情緒を描き、銀刷りに黒の型押しで「真情春雨衣」とある。 見返しは巻き上げられた簾と碁盤が描かれている。 本扉は越前特漉の野分大礼紙を使用している。 「春雨衣」の中扉は「真情春雨衣」と書かれた扇、 「春窓秘辞」の中扉は屏風に掛けられた着物と無造作に置かれた帯の傍らに銚子と杯が描かれている。 口絵は「春雨衣」の序と第一回の影印である。 本文は二度刷りで、蝶が描かれている。 読和で問題が無いため、挿絵は各編共一、二図省かれている他は総て収載されている。
語釈として今回は「附註」と称した六頁分の小冊子が附いている。 大判の正誤表は三枚に亙っており、一挙に六倍の増加である。 名称も「正誤表」から「圖書館、研究家用補遺」と変わった。 附されている文も『本文中□□とあるものは、何分原本が古い為、紙魚その他により汚損して居て、現在不明な部分です。 本正誤表は、その確実に判明した部分の補填用です。』 と云い訳がましい調子であったものが、 『本正誤表は誤植の訂正、並びに學校關係の國文学者、又圖書館、研究家の為、特別に著者より資料として御送りするものですが、 原文がそのまま含まれております故社會の良俗保持のため特に御留意下され度、他見御無用に願上げます。』 と全文を公開するので取り扱いに注意して欲しいと云うように進歩(?)している。 元来が読和であるため伏字も多く、二十行以上に亙る脱落(二、三行に修正されている場合もある)が九個所在り、内一個所は四十五行にも亙っている。
表紙、見返し共越前の色鳥の子紙を使用し、表紙は緑青色で「天下一」の鏡が描かれ、表題「好色増鏡」が橙で型押しされている。 見返しは元禄期の遊女が三人描かれている。 本扉は越前特漉の色スミレ紙を使用している。 中扉には「増鏡」が折畳みの鏡と櫛、「三所世帯」が燭台と雙六盤が描かれている。 口絵は「増鏡」のみで、目録と第一折の影印である。 本文は二度刷り、淡い牡丹色で行橙、手燭、鏡、香爐、盥等が描かれている。 挿絵も「増鏡」のみで16葉(但し、原本の図版ではなく、模写である)が収載されている。
語釈は四頁、正誤表は一枚である。 表題も「學校、圖書館、研究家用補遺」と学校が追加されている。
編者の斎藤昌三が「序に代えて」で本叢書の意義を「艶女玉すだれ」で検察庁に喚ばれた際に陳述した内容をまじえて述べている。 中に「チャタレー夫人」の訳者の用語の用い方が文学的でないため作品まで誤られた、云々の表現があり、その正否はともかく面白い意見であるとは思う。
水のゆく末 | |||
---|---|---|---|
岡田甫編 | |||
202頁 | |||
昭和28年6月30日 | |||
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
600×450 | 2枚 | ||
略註 | B6 | 4頁 | |
限定 | 1500部 | ||
収載作品 | 水のゆく末 | 未詳 | |
小犬つれづれ | 山東京伝 | ||
春情妓談水揚帳 | 柳亭種彦 |
表紙、見返し共越前の色鳥の子紙を使用し、表紙は網(柿澁色)に躍る鰹(濃紺)の図に、表題が濃紺で型押しされている。 見返は、乱れ散る桜花の片々を浮かべた水の流れが描かれている。 本扉は越前特漉の色スミレ紙を使用し、同じく雲龍紙の薄紙が本扉の前にある。 中扉には「水のゆく末」が樋、「子犬つれづれ」が犬張り子、「水揚帳」に大福帳が描かれている。 口絵は「ゆく末」が、目録と第一折、「子犬つれづれ」が第一折の表と最終折の表、「水揚帳」が上巻の序と第一折のそれぞれ影印である。 本文は二度刷り、黒と白と藍とを混ぜて特調した色で、水に浮べた墨流しの地模様を描いている。 挿絵は「子犬つれづれ」が9葉、「水揚帳」が差し障りの無い部分のみ8図収載されている。
語釈は四頁、正誤表は二枚である。
表紙は越前特漉雲藝紙に、当時の娘子が想人に「こゝろのたけ」を書き送った紅口の巻紙を描いてある。 見返は越前の色鳥の子紙に、茶道具(?)が置いて在る部屋の窓から竹が見える情景を描いている。 本扉は越前特漉の色スミレ紙を使用し、同じく雲龍紙の薄紙が本扉の前にある。 中扉には「心の多気」が行灯と書籍、「諸國ものがたり」が駕を描いている。 口絵は「心の多気」が第一巻の敍と最終折の影印、「諸國ものがたり」が第一折と最終折の影印になっている。 本文は二度刷り、淡い若竹色で竹が描かれている。 挿絵は「心の多気」が25図、「諸國ものがたり」が5図収載されている。
語釈は二頁、正誤表は二枚である。
表紙、見返し共越前の奉書紙を使用し、「萎陰隠逸伝」の図と自叙の影印が描かれており、表題が朱で型押しされている。 本扉は越前特漉の色スミレ紙を使用し、同じく雲龍紙の薄紙が本扉の前にある。 中扉は女中と子供が描かれている。 本文は二度刷りで、裸婦が草むらで座っている絵が描かれ、挿絵は二図である。
現代ものなので語釈は無く、正誤表は二枚である。
本書から限定数が千五百部から五百部に変更になっている。やはり千五百部を売り切るのは難しかったのであろうか。
本書の奥付の編者は岡田甫になっているが、扉の編者署名は離々庵主人と自筆されており、作者の山路閑古が直接編集に手を下していることになる。 従来本書の作者は不明とされていたが、【川柳しなの 九月号】(昭和52年9月)の追悼特集で初めて公になった。 しかし、管見の範囲でも離々庵の名を表示している公刊書籍はあり(「仲人の贈り物」(有光書房))、もっと早い段階で作者を特定できた筈であると思うのだが…。
原本は前後篇二冊、孔版で昭和25年と27年に刊行されている戦後の作品である。 本書は分量の関係から一冊に収まりきれないため、序篇を省き、第十七話迄を収載している。 第十八話から第二十五話迄は、次巻の「風流賢愚経」に分載されている。
地下本が伏字入りで大量に公刊された時、本書も何点か刊行されたが、資料が手元に無いので解説が不可能である。 昭和62年4月に原本が完全復刻されており、詳細な解説が附されているので参考になろう。
風流賢愚経 | |||
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岡田甫編 (扉は、離々庵) |
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222頁 | |||
昭和29年3月31日 | |||
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
420×590 | 1枚 | ||
190×420 | 1枚 | ||
限定 | 500部 | ||
収載作品 | 風流賢愚經 | 山路閑古 | |
続茨の垣 | ( 仝 ) |
表紙、見返し共越前の菱形模様入りの光輝紙を使用し、表紙は湯屋の暖簾、見返しは人形を描いている。 表題は橙で型押しされている。 本扉は越前特漉の色楮紙を、中扉は鳥の子紙を使用し、「賢愚経」は登場人物の裸体、 「続茨の垣」は生垣用の薔薇が描かれている。 口絵は「賢愚経」に一葉のみある。 本文は二度刷りで、不忍池より上野山五重塔を望んだものを描いている。
正誤表は二枚である。
本書も署名は離々庵であり、山路閑古の作品である。 草稿は昭和11年ごろに「後雪抄」として執筆されているようであるが、刊行本としては昭和25年に自筆孔版の50部のみが頒布されている。 草稿(構想?)の段階では全十二巻から成っていたものを、前篇七巻の内二巻を捨て、五巻構成で発表している。 さらに、本書では紙数の関係からか第三巻を削り、第四巻と第五巻を一つにまとめた三巻構成に再編成している。 伏せ字ということでは無く、一部の書き替えも行っている。 後篇は戦災の為稿本のまゝ焼失したようで、現在は残っていない。 従って、「賢愚経」の全容を知る方法は今日では存在せず、前篇に当たる部分が昭和25年の刊本で知れるのみである。
山路閑古の作品は秘策選集としてシリーズで復刻されているが、本作品は何故か漏れている。
好色四季咄 | |||
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岡田甫編 | |||
196頁 | |||
昭和29年7月30日 | |||
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
860×560 | 1枚 | ||
190×430 | 1枚 | ||
註解 | B6 | 2頁 | |
限定 | 500部 | ||
収載作品 | 好色四季咄 | 未詳 | |
今様厚情傳 | 大極堂有長 | ||
閨友月之白玉 | 女好庵 |
表紙は越前特漉の色鳥の子紙を使用し、表題が藍で型押しされている。 見返しは同じく特漉の墨流し紙を使用し、四季にちなんで「春夏秋冬」の飾り文字が描かれている。 本扉は越前特漉の色楮紙が使用されている。 中扉は「四季咄」が枕?、「厚情傳」が柱に掛かった時計と煙草盆、 「月之白玉」が燭台と手紙が描かれている。 口絵は「四季咄」が目録、序、春の部の初折、「厚情傳」が序と第一巻の初折、「月之白玉」が序の終折と上巻の初折の影印である。 挿絵は「四季咄」に八図あるのみである。 本文は二度刷りで、火鉢、煙草盆、扇子等が描かれている。
所見本は50〜70頁がダブッている。
語釈は一枚、正誤表は二枚である(挿絵が一葉ある)。
栄花遊二代男 | |||
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岡田甫編 | |||
198頁 | |||
昭和29年10月30日 | |||
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
575×430 | 2枚 | ||
170×270 | 1枚 | ||
略註 | B6 | 2頁 | |
限定 | 500部 | ||
収載作品 | 栄花遊二代男 | 伝 八文字屋自笑 | |
幾夜物語 | 元來庵介米 |
表紙、見返し共越前特漉の色鳥の子紙を使用し、表紙は咲き誇る櫻の枝振りを描いている。 見返しは散り流れゆく櫻花の片々を描いている。 本扉は越前特漉きの絹玉入りスミレ紙、その前に同じく薄口雲龍紙を使用している。 中扉は「二代男」が草花?、「幾夜物語」が三味線と教本を描いている。 口絵は「二代男」が壱之巻の第一頁、「幾夜物語」が表紙と序文の終頁の影印を収載している。 挿絵は「二代男」に二図、「幾夜物語」に十図ある。 本文は二度刷りで見返しと同じ図が描かれている。
語釈は一枚、正誤表は二枚である。
表紙、見返し共越前特漉の大礼紙を使用し、表紙は原題(と解説には書かれているが)の桃を二つ、見返しは土塀を描いている。 本扉は越前特漉きの絹玉入りスミレ紙、その前に同じく雲龍紙を使用している。 中扉には抜き身の刀、口絵は雪の降る情景が描かれている。 本文は二度刷りで見返しと同じ図が描かれている。
正誤表は二枚である。
副題に「後説賢愚経」とある通り、本シリーズ十冊目の「風流賢愚経」の後編に当たる。 但し、原本は「賢愚経」で述べたように焼失しているので、基本的な構想は同一であろうが、本シリーズのために書き下ろした新作と思われる。 作者は山路閑古である。 署名は勿論離々庵となっている。
春情優美人形 | |||
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岡田甫編 | |||
172頁 | |||
昭和30年3月30日 | |||
印刷 | 稲垣外治 | ||
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
900×600 | 1枚 | ||
略註 | 216×158 | 1枚 | |
限定 | 500部 | ||
収載作品 | 春情優美人形 | 渓斎英泉 | |
遊色床春駒 | 未詳 | ||
浪花家土産 | 二代焉馬 | ||
枕七人前 | 未詳 |
表紙の表は生漉紙に京都で特染させた千代紙、 背はクリーム局紙、 裏は?紙を使用している。 中扉は特漉簀目紙の茶色に、原本の影印、 口絵も同様に原本の影印を載せている。 挿絵は「優美人形」が九図、 「床春駒」が七図、 「浪花屋土産」が二図収載されている。 本文は甲州に特注した用紙(八貫五百)に紫色で色刷りされている。 用紙の問題か、インクが濃いためか裏抜けして読みずらい造本になっている。
魂膽色遊懐男 | |||
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岡田甫編 | |||
169頁 | |||
昭和30年6月10日 | |||
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
880×575 | 1枚 | ||
440×575 | 1枚 | ||
略註 | 141×158 | 1枚 | |
限定 | 500部(?) | ||
収載作品 | 魂膽色遊懐男 | 江嶋其磧 |
表紙の表は生漉紙に京都で特染させた千代紙、背はクリーム局紙、裏は特漉大礼紙の赤色を使用している。 中扉は特漉簀目紙の草色に、巻三の目録の影印を載せている。 口絵は巻一の第一図の影印であり、挿絵四図を収載している。 本文は甲州に特注した用紙(八貫五百)にオリーブ色で色刷りされている。
表紙の表は生漉紙に京都で特染させた千代紙、 背はクリーム局紙、 裏は特漉の楮小豆色を使用している。 中扉は特漉簀目紙の浅黄鼠で、「寂寥」が登場人物の女性三人、「縁切一八の話」は花、「波浮の港」は岩礁に止まっている鵜を描いている。 口絵は、「寂寥」が旅館で戯れようとしている男女、「一八の話」は炬燵で談笑する男女、「波浮の港」は海辺に座り肩を寄せ合う男女を描いている。 本文は甲州に特注した用紙(八貫五百)に淡セピア色で色刷りされている。
作者に就いては【愛書家手帳 7】(昭和52年5月)に広田魔山人が『秘本の生い立ち』と題した一文を載せており、 本書「寂寥のままに」と本シリーズ5冊目の「話をきく娘」が書かれてから出版される迄の経緯を詳細に述べている。 本名を成川金兵衛と云うジャーナリストが昭和3年から書き始めた三部作の内の第三作目が本書である。 第一作目は「温泉のたぎり」と題する作品で公刊されたことは無いとの由である。 本書は作者存命の内に斎藤昌三に依って無断で発表されてしまったとの経緯が述べられており、プロ造本家のエゴと憤慨している。 原題は「寂寥」であり、「寂寥のままに」と勝手に改題したことに就いても同様に不満を表している
他の二編に就いては解題で『附録として掲げた一編は、先に岡田甫君に依って發見された「茨の垣」と同じ作者で、 茨の垣はガリ版だったといふが、本編も一部はガリ版、一部は原稿本だったものを…』と解説されているので山路閑古の作品かと思われるが、 寡聞にしていつ作成され、発表されたものかを知らない。
春情花の朧夜 | |||
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岡田甫編 | |||
165頁 | |||
昭和30年9月10日 | |||
印刷 | 稲垣外治 | ||
略註 | 137×190 | 1枚 | |
正誤表 | 學校、圖書館、研究家用 補遺 | ||
775×575 | 2枚 | ||
限定 | 500部 | ||
収載作品 | 春情花の朧夜 | 吾妻男一丁 | |
色競手管巻 | 鳥居清長(?) |
表紙の表は生漉紙に京都で特染させたもの、背はクリーム局紙、裏及び見返しは特漉の楮を使用している。 紺染めと鼠の柄染めの二種類がある由。 所見本は鼠の方である。 中扉は小豆色簀目紙で、両編共原本序文、口絵は同じく原本口絵の影印を載せている。 本文は甲州に特注した用紙に淡い浅黄色で色刷りされている。 語釈一枚が附いている。
表紙の表は生漉紙に京都で特染させたもの、背はクリーム局紙、裏表紙は楮漉合わせ草モミ紙、見返しは細川の赤色を使用している。 中扉は光輝紙に「話をきく娘」が卓袱台、「夜の秋」がアンゴラ兎を描いている。 本文は甲州に特注した用紙に淡いセピア色で色刷りされている。
本書の「話をきく娘」は先の成川金兵衛の第二作目に当たる作品である。 「夜の秋」は紅鶴版「茨の垣」「風流賢愚経」等の作者である山路閑古の中編「アンゴラ兎」(【歓呼十種】所載)を一部手直ししたものである。
艶説秘曲つくしごと | ||
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未刊 | ||
収載予定作品 | 艶説秘曲つくしごと | 曲取山人作 英泉画 |
僧房夢 | 山路閑古 |
表紙、背、見返し共鳥の子紙、本扉は大礼紙を使用している。 中扉には表に阿修羅像の写真、裏に仮名のみで「まくはひにぬりのはしらあけのほとこえはあしゅらのなきおらぶごと」と読まれている。 本文は二度刷りで草の葉が描かれている。
本書も離々庵と署名されているので山路閑古の作品であることが分かる。 元本は「片糸」と云う小説だそうだが未見。
猥褻出版の歴史 | 長谷川卓也 | 三一書房 | 1978年4月 |
猟本猟奇 | 斎藤夜居 | 街書房 | 昭和50年8月 |
発禁本曼陀羅 | 城市郎 | 河出書房新社 | 1993年9月 |
近世庶民文化 | 近世庶民文化研究所 | ||
瓦版(会報) | 近世庶民文化研究所 | ||
限定秘版目録 | 生活文化資料研究會 | ||
稀書 5 | 芋小屋山房 | 昭和27年5月 | |
秘められた文学 | 至文堂 | 昭和39年10月 | |
続秘められた文学 | 至文堂 | 昭和42年4月 | |
秘められた文学 III | 至文堂 | 昭和43年7月 | |
愛書家手帳 7 | 街書房 | 昭和52年5月 | |
川柳しなの 九月号 | しなの川柳社 | 昭和52年9月 | |
季刊江戸春秋 9号 | 未刊江戸文学刊行会 | 昭和53年8月 | |
繪本研究 8号 | 未刊江戸文学刊行会 | 昭和55年6月 | |
繪本研究 9号 | 未刊江戸文学刊行会 | 昭和56年3月 | |
『茨の垣』解説と付録 | 太平書屋 | 1987年4月 | |
賢愚経(原本) | 山路閑古 | 昭和25年5月 | |
茨の垣 前篇(原本) | 山路閑古 | 昭和25年11月 | |
茨の垣 後篇(原本) | 山路閑古 | 昭和27年1月 |