戦前は言うに及ばず、戦後も含めて、江戸時代に出版された艶本類の地下本への流用は数多く存在します。 地下本の原点である江戸艶本が近代以降の地下本に進出するのは、ある意味では当然の結果かも知れません。 但し、絵の復刻には費用も掛かりますし、摘発の危険も増えますから、読み物を中心とした所謂読み和が対象になることが多い様です。 基礎講座の最後に当たり、それら江戸期の作品(和物とは限りません)の内、刊行点数の多いと思われるものを掲げることにします。
尚、刊行点数では壇ノ浦ものが他を引き離して圧倒的である思いますが、本講座第二回で既に解説していますので、今回は省きました。
一時期、費用と時間が掛かる絵の復刻の代わりに、写真撮影したものを大型のキャビネ版(モノクロ)にして頒布していたことがありますが、 ここ数年、取締りの基準が変わったためか、公刊本でもカラーで絵の復元が行われるようになり、値段的には決して安くはありませんが、作品によっては全貌も知れるようになりました。
江戸時代の著名な国学者の手になる戯文です。三大奇書ですから当然三つの作品の総称ですが、何れも雅文体で綴られています。
〈いっちょもんしゅう〉と読みます。江戸中期の国学者、山岡明阿彌〈やまおかみょうあみ〉の手になる全五十八話の説話集です。 但し、作品の半数以上は「古今著聞集」や「宇治拾遺物語」などからの転用(手を加えている所もあります)です。
〈あなおかし〉と読み、阿奈遠可志とも書きます。会津藩の国学者沢田名垂〈さわだなたり〉による前後二編、全四十二話からなる伊勢物語風な艶笑歌物語です。 原本が失われて異本間の異同が少なくなかったので、作者の玄孫にあたる五猫庵例外が諸本を校訂して定本化しました。
五猫庵は本名を沢田薫と言い、本職は弁護士です。 小倉清三郎の相対会でも顧問弁護士的な活躍をし、世間的には所謂出歯亀事件の国選弁護人として知られています。 出歯亀の呼称を最初に使い始めた人でもあります。
〈はこやのひめごと〉と読みます。桑名藩の国学者、黒沢翁満〈くろさわおきなまろ〉の前後編各々十編ずつの短編集です。 後篇は史実や伝承を元にした内容になっています。
雑誌【近世庶民文化】(近世庶民文化研究所)の六十三、六十五、六十七、六十九、七十一、七十六、七十八(昭和三十四年五月 〜 昭和三十七年月)に全文の対訳が掲載されています。 三編まとめたものでは、口語訳の好色日本三大奇書(斉藤昌三、風俗文献社、昭和二十七年一月)、江戸三大綺文集(斉藤昌三編、美和書院、昭和二十七年十月)、 対訳の全釈江戸三大奇書(岡田甫、有光書房、昭和四十五年一月)、秘籍江戸文学選1、3(岡田甫、日輪閣、昭和五十一年一月、五月)などがあります。
作品毎の刊行では、芋小屋山房が限定版で 「逸著聞集」 「阿奈遠佳志」 を出しています。「藐姑射祕言」も出していますが未見。 その「藐姑射祕言」は、作品社からも刊行されています。
【近世庶民文化】六十三号 | 好色日本三大奇書 | 全釈江戸三大奇書 |
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題名は服部南郭の「大東世語」のもじりではないかと言われています。 巷間伝えられている所の虚実入り交じった伝聞を元に、奈良時代から鎌倉時代までの歴史上のカップルの房事を漢文で洒脱に描写した短編集です。 乾坤の二巻構成で、原作者は特定できていません。 原作者は不明ですが、絵入り本の絵は柴田芳州と言われており、各編に蜀山人(太田南畝)の短評があります。
乾の巻は『光明皇后と玄房』から『赤染衛門と大江匡衡』までの十三話、坤の巻は『源義朝と常盤御前』から『齋藤實盛と待婢』までの二十話です。
「大東閨語」の他、第一話の登場人物、光明皇后の逸話から「去垢集」として刊行されているものもあります。
雑誌【造化】六号(造化研究会、昭和二十九年十二月)に全文の訳出とモノクロで六図、 【近世庶民文化】(近世庶民文化研究所)の特集「大東閨語研究」(昭和二十九年十月)に全文の訳出と書誌が掲載されています。 単行本では公刊の続壇の浦夜合戦記(藤井純逍、三星社書房、昭和二十六年十二月)、 壇の浦夜合戦記(光明寺三郎、三崎書房、昭和四十三年十二月)に『続壇の浦夜合戦記』として併載されているが何れも摘発を受けています。 昭和五十九年八月には太平書屋からモノクロながら(一部カラー)全図入りで訳及び書誌を併載した限定版が刊行されています。
近世庶民文化 | 続壇の浦夜合戦記 | 大東閨語 |
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増刊「大東閨語研究」 | 三星社書房(発禁) | 太平書屋 |
川柳のバレ句集です。主に「柳多留」に収録された句の内、末番句のみを更に抜き出して再編集したものです。 全四巻構成ですが、戦前は出せば必ず発禁になった札付きの句集です。戦後になって裁判で争い、漸く自由に出版できるようになりました。
難句を解説した飯島花月の「臙脂筆」、五猫庵例外の「末摘花難句注解」が大正年間に出ていますが、 全句を載せたものでは雑誌【カーマスートラ】五号、 全句の解説では大曲駒村と富士崎放壷による「末摘花注解」が昭和の初期に刊行されています。 但し、全句とは言っても完本が発見されていなかったので、抜けがあるものでした。
【カーマシャストラ】五号 | 末摘花注解 |
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戦後になって、ロゴス社から「新註 俳風末摘花」(東都古川柳研究会、昭和二十二年三月)が出版され摘発はされましたが、正式裁判で無罪の判決を得、以降、「末摘花」は天下晴れて表街道を歩くことが出来る様になります。 その後、解釈本としては白眉の「末摘花詳釈」三冊(岡田甫、昭和三十二年三月 〜 昭和三十一年十月)が有光書房から刊行され、 原本と対校し可能な限り出典を記述した「定本 誹風末摘花」増補改訂第二版(岡田甫編、有光書房、昭和四十四年十二月)が出ることにより、全句が判明することになります。 平成元年八月に太平書屋から「原本影印 誹風末摘花」(八木敬一編)が刊行されるに至り、原本が世に知れる所になりました。元になった原本が初印本ではないため、落丁が何ヵ所かあるのが実に惜しいと言うべきでしょうか。
新註 俳風末摘花(重版) | 末摘花詳釈 | 影印末摘花 |
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東都古川柳研究會 | 有光書房 | 太平書屋 |
〈しんじょう はるさめぎぬ〉と読みます。 江戸末期に吾妻雄兎子(吾妻男一丁)〈あずまおとこ〉こと梅亭金鵞によって書かれた人情本風の墨摺三編九冊の中本です。 読み和ですから挿絵は普通の人情本と変わるところはありません。
戦前では「眞情春雨衣」二冊、 「旅枕」、 「風雲秘集」、 「屋島の合戦」に各々所載されています。 戦後は美和書院が貴重文献保存会名義で刊行した{紅鶴版}シリーズの五冊目に本作品が伏字表付で所載されています。
明治後刷り版 | 明治後刷り版挿絵 |
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〈しゅんじょうぎだん みずあげちょう〉と読みます。 柳亭種彦が文を書き、婦喜用又平〈ぶきようまたへい〉こと歌川国貞が絵を付けた色摺半紙本三冊です。 本文は勿論ですが、絵もそのものズバリですから、近年に至るまで公刊による完全復刻は出来ませんでした。
戦前では「旅枕」、 「風雲秘集」、 「屋島の合戦」、 {世界珍籍選集}第三巻などに所載されています。 戦後では「水揚帳」などがあります。 公刊の「春情妓談水揚帳」(藤井純逍、三星社書房、昭和二十七年一月)は危ないと思われる個所を暗号化しましたが摘発を受けています。 また、美和書院の{紅鶴版}シリーズの七冊目(伏字表付)、 {秘籍江戸文学選}の五巻(日輪閣、昭和五十一年八月)に本作品が所載されています。 平成六年十一月には太平書屋から佐藤要人校註訳で全丁の影印、活字化、通釈、語註と至れり尽せりで覆刻されています。 惜しむらくは、費用の関係か挿絵の覆刻が一部のみ原色で、大部分がモノクロであることでしょうか。
春情妓談水揚帳 | 春情妓談水揚帳 | 絵の復刻と活字化 |
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三星社書房(発禁) | 太平書屋 | 地下出版 |
〈しゅんじょう はなのおぼろよ〉と読みます。 真情春雨衣同様、この作品も吾妻男一丁によって書かれた読み和、墨摺中本三冊です。 梅亭金鵞晩年の作で、人気は相当あった様ですが、春雨衣に較べて文学的価値は低い、と言うのが一般的な評価の様です。
戦前では「文学論」、 {世界珍籍選集}第一巻、{世界文学叢書}第九巻などに所載されています。 戦後では好色庵夜話などがあります。 美和書院の{丹頂版}シリーズの四冊目(伏字表付)に本作品が所載されています。
〈ちぐさのはな ふたつちょうちょう〉と読みます。 淫水亭種清の文に恋川笑山が挿絵を付けた三編からなる中本ですが、両人は同一人物ですので自画作になります。 種清の作品は殆どが自画作で、しかも多作ですから数多くの作品がありますが、地下本の世界では本作品が尤も有名なものです。
江戸艶本に原本(初編、二編の二冊)が展示してありますので合わせてご覧下さい。
昭和初期に「江戸文学選」として刊行されたのを始め、 「屋島の合戦」、 {世界珍籍選集}第五巻、{世界文学叢書}第一巻などに所載されています。 戦後では「風流文学選」、 「千種花二羽蝶々」、 「絵入江戸艶本叢刊」などです。
公刊されているのを見たことがないのは、艶本としてあまりにも有名すぎるためでしょうか?
中国、戦国時代末期の漢楚の興亡を題材にした「通俗漢楚軍談」を春本化した柳亭種清の全十三編からなる長編です。
戦前では「通俗堪麁軍談」の他、 「通俗三國誌」などが出ています。 また{世界文学叢書}第四巻、同第五巻『大和三國誌』にも所載されています。 長編のためか戦後はあまり刊行されず、日本生活心理学会で六編までをガリ版で刊行した他は、長い間沈黙を守ってきましたが、平成九年に太平書屋から挿絵を含む全巻の活字化が行われました。
通俗堪麁軍談 初編、二編 |
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太平書屋 |
中国清朝の初め頃に書かれた艶笑小説で、それを漢文のまま「肉蒲団 一名覚後禅」四冊として宝永二年に出版されました。
戦前では「ねざめの花」、 「耶蒲縁」、 「綾錦大和 肉布團」、 「肉布團」があります。 戦後は伏見冲敬の訳で雑誌【人間探求】に連載していたものを、同じ出版者から単行本化したものが出ています。
宝永二年版の後刷り(明治) | 同 序 | 肉布団 |
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伏見冲啓訳 第一出版社 |