今回は地下本作品の内、基本中の基本と目される作品を紹介します。これらの作品を知らずして地下本を語ることは出来ません。
地下本なるものを全く知らない人でも聞いたことのあるのは、おそらく「四畳半襖の下張り」でしょう。この作品はそれ程有名ですが、広く知られるようになったのはこの世界でも戦後です。 戦前戦後を通して常に有名であり続けたのは実は「袖と袖」という作品です。長編「乱れ雲」と合わせて、この三編が基本中の基本です。 何れも有名作家が係わったとされる作品です。
昭和二十七年五月に美和書院から、この三編を一冊にまとめた手漉き和紙使用の豪華本が刊行された際の書名が「好色三代傳奇書」でした。 この本はホットパート大幅カットの完全骨抜き版(そんな言葉あるのかぁ)ですが、それでも当局の注意を受けた程所載作品が問題小説(つまり猥褻)として著名であったと言うことです。 以後この好色三代傳奇書は三編をまとめて表現するときに使用される用語になりました。
尾崎紅葉の作品であるとか、尾崎紅葉が序を書き、門下生の小栗風葉が本編の筆を執ったとか言われた作品です。 しかし、現在では小栗風葉が序を書き、弟子の中川白鶴が本文を書いた、と言うことになっています。 正編と続編から成り、成立過程から正編も前後の二編ずつに分かれるとされています。 『春の夜』『里唄』の二章(この部分が中川白鶴作)がまず刊行され、続いて『町砧』『雪ぶすま』が異なる作家の手により追加、都合四章から成るものが正編とされます。 続編は『桃さくら』『通り魔』の二章から成っており、さらに別の作家の手に成るものと言われています。
先の二章が毛筆孔版により刊行されたのは明治四十年頃で、これが初出だそうです(※1)。書影が「袖と袖/むき玉子」(河出書房新社)他に掲載されています。
「袖と袖」が本来の作品名ですが、有名なだけあってあらゆる名称で刊行されています。
当館所蔵のものだけでも、
正編は「痴狂題」
「鴛鴦」
「鴛鴦記」等、
続編は「むき玉子」を筆頭に
「小夜時雨」
「月乃枕」
「徒然草」
「散りぬるを」等です。
また、各々の章が独立して刊行されたり、他の作品に紛れ込んだりと、大活躍しています。
詳細には触れませんが、ストーリーに若干の相違が見られ、登場人物の名前も固定していません。ただ、幾つかのパターンには分類できそうです。オリジナルを考えるよりは目先を変えて商売にしようとするこの手の地下本にはよくあることですが…
「袖と袖/むき玉子」 監修・城市郎 河出書房新社 |
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女中奉公しているお照は主家の長男要之助と関係があったが、数日後には嫁ぐことが決まっていた。 要之助の従妹に当たる常子も要之助に好意を寄せていたが、打ち明けられずに悶々としていた。 ある日常子が自らを慰めているのを垣間見たお照は、常子を不敏に思い、要之助との間を取り持つことにした。 かくて、お照の手引により常子は要之助との思いを遂げることが出来た。 常子の願いを叶えたお照であったが、二人の様子に我慢が出来なくなり要之助に愚痴を言いながら迫るのであった。 そんな三人の関係はお照が嫁ぐまで続いた。 |
と言うのが『春の夜』のあらすじです。もちろん全編の半分は閨房の描写ですが、割愛させて頂きます。 次章の『里唄』では舞台は要之助の鎌倉の別荘に移ります。 ちなみに、要之助はさる素封家の長男で学生です。
要之助が別荘に滞在して居るとき、常子は親友の君子、文子と一緒に遊びに来ていた。 文子を見初めた要之助はその夜文子の部屋に忍び込み、思いを遂げてしまう。 隣の部屋にいた常子と君子は、その嬌声を聞くと我慢が出来ずに、いつもの千鳥を使い二人で慰め合うのであった。 翌日要之助を寝取られたことに腹を立てた常子が文子をなじり、険悪な状況になったので、君子が機転を利かせ文子を別荘から離れさせる。 文子は恋人の三千雄(要之助の親友でもある)の居る??へ赴くが、不在であった。 三千雄の帰りを待ちきれずに迎えに行くと、途中の浜で三千雄にばったり会い、愛しさのあまりその浜で……。 |
『町砧』の舞台は、銀行家に嫁いだお照の住まいに移ります。
いつも帰りが遅い亭主を待つ寂しさを紛らわすために近所の子供二郎を連れ込んだお照がいよいよという段になって、何故か要之助が訪ねてくる。 流石に二郎よりは要之助の方が良いに決まっているお照は、二郎を帰させ要之助を座敷に上げる。 二人が昔の思いに浸りながら…、と突然外から「間男が何をしやがる」と響く声、驚いた要之助がそのままの姿で外に飛び出す、と言ったドタバタになる。 怒鳴り声を出したのは亭主では無く、近所のごろつき熊五郎であった。 熊五郎は中に上がり込み、二度も中断させられて中途半端なお照を自慢のものでよがらせる。 その有様を外から要之助がのぞき込み、哀れにも自らを慰めるという悲惨な状態になる。 一方お照はそのあまりの良さに熊五郎が気に入り、耽溺してしまう。 これに嫉妬した二郎がこのことを亭主に告げたため、お照は離縁となり、熊五郎と二人で姿を消してしまう。 |
終章の『雪ぶすま』では
お照とのドタバタに懲りた要之助は吉原で文子似の娼婦に会い登楼するが、似ても似つかぬ鮫肌であった、と更に悲惨さが増す結果となってしまう。 所変わって山根の屋敷のカルタ会に赴いた三千雄と君子は、駅まで行く人力車に揺られながら気分が高揚し、帰りの汽車の誰もいない車両を良いことに、車両の揺れを利用して座席の上で……。 エピローグで君子は或る法学士に、文子は某実業家に嫁ぎ、かの千鳥の行方は如何に、と結んでいる。 |
この『雪ぶすま』の後半部分は、破調荘書院版(残念ながら当館には所蔵されていません。「別冊太陽」に書影があります。)系統の終了の仕方です。 別の系統では君子の代わりに文子が登場し、列車内の一件の後に、要之助が文子との情交を夢に見た一件を手紙に綴ったものが唐突に追加されています。 また、前記のエピローグに相当する部分は無く、代わりに続編を思わせる予告が掲載されているのも特徴です。 刊行点数から見ると後者の系統が多いですが、故斎藤昌三は前者のストーリーを正調と捉えていたようです。
続編では要之助と常子、三千雄と文子は既に結婚しており、君子のみが一人でお手伝いのお仲と暮らして居るという設定です。『桃さくら』はそんな君子の所へ文子から一通の手紙が来たことから始まります。
結婚生活の素晴らしさを綴った文子の手紙に、独り寝の寂しさをヒシヒシと感じた君子を、突然三千雄が訪ねてくる。 人肌恋しい君子はお仲を湯屋へ行かせ、待ってましたとばかりに三千雄と一戦を交える。 そんなことが続いたある日、二人の関係を覗き見られたお仲の口封じにと君子を説き伏せた三千雄は、お仲の寝床に忍び込み…。 それを嫉妬の目で見つめる君子であった。 一方、要之助は文子と待ち合わせの公園に赴こうとするが、専務に誘われたのを断りきれず飲み屋で無為な時間を過ごすことになる。 約束の時間に遅れて慌てて公園に行った要之助はその場で文子と一戦に及んだが、実は全くの人違いで巾着のお花と呼ばれる高等淫売であった。 お互い味を占めた二人はお花の家へ行き、総てを忘れてどっぷり浸るのであった。 |
次の『通り魔』ではお花の所に居着いて帰ってこない要之助を待つ常子と乳母のお冬の住む家に強盗が侵入して来た所から始まります。
侵入者はお照と分かれた熊五郎であった。 二人を縛り上げた熊五郎が常子に手を出そうとするのを阻止しようとお冬はへそくり五十円と、自らの体を熊五郎に提供する。 熊五郎とお冬の痴態を見ていた常子は我慢が成らず、自ら脚を広げ熊五郎の目の前に体を投げ出す。 かくて、色と金の両方を手に入れた熊五郎は退散するが、常子とお冬はこのことを要之助には内緒にしておこうと決める。
お花と喧嘩別れして帰って来た要之助は三千雄が旅行で留守なので、という文子からの誘いの手紙を受け取る。 早速文子を訪ねた要之助は、行水をしていた文子に挑み、部屋の中でも一番という所へ不意に三千雄が帰ってくる。 旅行と称して君子の所へ赴いた三千雄であったが、君子の都合が悪く仕方なく戻ってきた矢先であった。 烈火の如く怒る三千雄に要之助は何でも言うことを聞くと平謝りすると、三千雄はそれでは常子をくれと迫る。 要之助は何でもと言ってしまった手前了承する。 文子と三人で常子の待つ要之助の家へ赴くが、状況を知らない常子と要之助が床に入る。 途中廁に立った要之助と三千雄は入れ替わり、常子もそれとは知らずに…。 事が終わって明かりが点けられ、真相を知った常子は驚くが、隣で要之助と文子が楽しんでいるのを知ると総てを了解した。 以後四人は一つ屋根の下に同居することになり、入り乱れた生活が続くのであった。 |
佐藤紅緑作と言われていますが、「三代伝奇書」の他の二編と比較してあまり研究が進んでおらず、未だに謎が多い作品です。
昭和四年に巫山房から刊行されたものが活字になった最初のものと言われています(これも当館にはありません。「別冊太陽」をご覧下さい。)。
「乱れ雲」の解説に必ずと言っていい程紹介される『乱れ雲には前編がある?』の論考は、【人間探求】(第一出版社)に掲載されて以来今日まで未解決のままです(※2)。
戦前では「乱れ雲」の他 「花亂咲」 「花の亂咲 前編」等、 戦後では「みだれぐも」 「白菊」等の完本の他、 各章が独立した作品として刊行されのは「袖と袖」と同様です。第一章の『たそがれ』と第六章の『湯の宿』が多いように見受けられます。 長編ですから、最初の数章のみで刊行される場合も少なくありません。 「蝶々牡丹 上」 「鹿の呼ぶ聲」等がそうです。
この作品も完全版が文庫で公刊されています(「乱れ雲」河出書房新社)。
「乱れ雲」 監修・城市郎 河出書房新社 |
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第一章 たそがれ 第二章 深更 第三章 眞晝 第四章 夕顏 第五章 故郷 第六章 湯の宿 第七章 かけおち 第八章 覺醒 第九章 避暑 第十章 嵐 第十一章 雨の日 第十二章 密會 |
父の郷里での知人である商事会社社長宅に居住まいしている俊次は帝大の学生であるが、郷里にいた時からその美貌で大いなる発展家であった。 同家の姉妹である京子、富子とも関係を持ってしまう。 京子は従妹の糸子が入院しているのを見舞っていたが、俊次が郷里に帰っている寂しさに、糸子の夫中島と関係を持ってしまう。 一方、郷里に帰った俊次は幼い時分からその道の手ほどきを受けた年上のお新と温泉に来ていた。 二人で逢瀬を楽しんでいたが、突然お新の亭主が乗り込んで来て、お新を連れ帰ってしまった。 嫉妬も絡んでお新の亭主は一晩中責め続けるのであった。そんな事が数日続いたためお新は憔悴しきり、遂には俊次と駆け落ちしてしまう。 |
前半の主人公俊次はこうして舞台から消えて行く。そして後半の主人公秋山少年の登場である。
小間使いのお春は京子の部屋で春画本を見つけ、一人慰めている所を使用人の秋山少年に見られてしまう。 我慢が出来なくなった秋山はお春を突然襲うが初めての悲しさ、上手くいかないかったが、二度目は合意の上で首尾は遂げることが出来た。 暑い八月の中旬、富子が鎌倉の別荘に友達と避暑に行くことになったが、京子も親友と参加することになった。秋山とお春も随伴することになった。 お春は夜中に秋山の許に行く旨を告げていたので、秋山が心待ちにしていると、果してお春は訪れて来た。 一方京子は親友の幾子が持って来た千鳥で…。この騒ぎに目を覚ました鈴子と秀子はお互いに…。 さらに富子と清子も…。 夜明け前に秋山の許に来たのはお春ならぬ秀子であった。 二日目の夜も同じことが更に発展した形で繰り返されたが、秋山の許を訪れたのは鈴子であった。 結局三週間の避暑の間富子を除く全員が秋山を中心に展開していくことになる。 避暑から戻った京子と富子は俊次が出奔したことを聞かされて愕然とするのであった。 |
京子は避暑に行った三人の学友と共に、幾子の友人で文学雑誌記者の田崎と散歩する約束をする。 当日四人で赴くと、田崎も三人の友人を連れて来ていた。一頻り散歩の後待合風の料亭で食事した後男女八人は入り乱れて…。 一週間後田崎家で文学同好会の茶話会の催しがあり、京子ら四人も招待された。昼の食事になって、田崎が突然たち上がって演説を始めた後、二十人の男共は四人の乙女達に襲い掛かり…。 |
妻の糸子の治療のため家を空ける中島は、留守に女中のお花一人では物騒、と秋山に留守を頼むのが常であった。 或る日秋山は偶然鏡に映ったお花のはだけたものを見て…。 その日、治療から戻ってきた糸子はお花を用事に出し、秋山を誘って…。 体調を崩して病院に通う秋山は診察室から出て来た令嬢光江に一目惚れする。 数日後、公園で会ってほしい旨の手紙を渡すと、当日光江は現れた。 秋山は賑やかな街中にある旅館に光江を誘い…。 |
ご存じ永井荷風の作品です。本人は否定していたそうですが、詳細な研究も有り、ほぼ間違い無いと言って良いでしょう。 昭和二十五年に問題となった時も騒がれましたが、昭和四七年、雑誌【面白半分 7】に全文無削除で掲載された時の方が、世間的には話題になりました。 正式裁判で争い、最高裁まで行って、昭和五十五年に有罪が確定しています。 短編で出版しやすい故か、三十点以上は刊行されていると思われます。 他の作品と異なり、あまりにも有名すぎるためか、「四畳半襖の下張」以外のタイトルで刊行されている例を知りません。
本編は文芸作品であって猥褻では無い、と言うことで裁判を起こした訳ですが、当時の普通の感覚で読めば、趣は確かにありますが、猥褻そのものと言っても過言ではないと思います。 荷風が江戸後期の艶本(恋川笑山あたり)に習って書いたと言われるものですから、当人も猥褻を意識していたと考えても間違いは無いでしょう。
また、通常の学校教育を受けた程度では文章が難しすぎて内容など理解できず、従って猥褻感など微塵も感じるはずがない、と言う論調が当初からありました。 自国民の国語能力をこれ程バカにした発言もどうかと思いますが、個々の単語や言い回しを理解できなくとも肝心の所が読みとれれば、それはそれで猥褻感を充足できる訳ですから、やはり猥褻と言ってよいでしょう。
猥褻にまつわる筆禍事件が起きる度に、議論の焦点は『芸術か猥褻か』になりますが、『猥褻でも芸術』と言えるものはあり(定義にも依りますが)、 本来の争点は『猥褻ではなぜ悪いのか』であるべき、との考えに賛同します。 芸術的でない猥褻に就いても同様です。誰も猥褻が大手を振って歩いても良いと言っている訳ではないのですから…
尚、現在では文章での猥褻表現は全く問題になっていないと言って良いでしょう。それとも、文章による猥褻な表現と言う概念が無くなってしまったのでしょうか? 大手を振って歩いる現状、それはそれでまた別の問題のような気もしますが…。
「面白半分」掲載 |
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現在無削除の原文を読める公刊書はありません。(平成十二年十一月)
売りに出されている待合いを気に入って購入した金阜山人という馬鹿の親玉がここかしこに手を入れる折、母屋から濡椽づたいの四畳半、その襖の下張に何やら文字がびっしりと書かれている。 目ざとく見付けた山人、経師屋から水刷毛を奪って一枚一枚剥がしながらそれを読むと… 二十の頃は金にあかせて女を買う四十、五十の輩を、あの爺何という狒々ぞ、と思っていたが、自分もその歳になると同じことをしている、と言う自重気味な話から始まっていた。 そして、元は芸者で今は自分の女房との初めてのことが微に入り細に渡って語られている。 |
本作品の肝ではあるが、閨房での詳細な記述は本講座の主旨ではないので別途考えるとして、簡単に言えば
芸者は早く埒をあけさせんと急るが、終わると見せかけて終わらない、を繰り返すことで、やがて芸者の方が本気になってくる、と言った過程を詳細に綴ったものである。この一戦で互いに気が合い馴染みを重ねて行くことになる。 家にきまった三度の飯(女房)があるから、屋台の立ち食いも、おやつも味がある、と勝手な理屈をこねて女遊びを正当化しているが、旨いものも食べ続ければ飽きる。 やがて切るの切れぬのとこたごたの末きれいに片をつけるが、ひょんな事から焼棒杭に火が付いて…女房の座に収まった。他にもあちらこちらの待合茶屋で好き勝手し放題、 「…女のいやがる事無理にしてたのしむなんぞ、われながら正気の沙汰とはいひがたし。」と結ばれている。 |
この作品も一般の人が知っている(何となくでしょうが)有名なものです。同一テーマの作品はそれこそ江戸時代からあり、雅文体、漢文体とバラエティーに富んでいます。 作者も塙保己一(雅文体)であるとか頼山陽(漢文体)であるとか言われていますが、例によって仮託と思われます。 明治以降も連綿と続いて今日に至っているのは、漢文体の作品の内、「幽燈録」と称する作品の系列です。 解説によっては「流石に頼山陽の作だけあって名文である」との言もありますが、専門家(漢文の)は用語に俗語が多いなど「美文ではあっても名文ではない」と一蹴しています。
江戸時代からある作品としては「平大后快話」、「はつはな」などが上げられます。 近代になってからは「壇之浦戦記」、 「壇の浦夜合戦記」など「壇の浦何々」というタイトルの作品が多くなっています。
内容は源平合戦の最終戦となった壇ノ浦の戦いに勝利した源義経が、自害しそこなった安徳天皇の生母である建礼門院徳子を口説き落として情交に及ぶ経緯を綴った全七章からなる中編です。
銀河書房版(発禁) | 三崎書房版(発禁) |
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現在無削除の原文を読める公刊書はありません。(平成十二年十一月現在)
壇ノ浦の戦いに勝った源氏方の総大将源の廷尉義経は、一旦入水はしたものの救い上げられてしまった皇太后徳子を慰めるため宴を催す。 母や子(安徳天皇)を失って落胆している太后の気は晴れないが、宴が終わると家臣が各々女官を連れて引き下がる。 残った二人の耳に、隣の部屋から武蔵坊弁慶の声が聞こえて来る。 『夫れ如何。夫れ如何。』『それ君真に七道具を備ふ。始めに…』『尚汝の一具に如かず。…汝実に是強敵なり』と、 たちまち大喝一声して止む。しばらくして『我生来始めて之を為す。…再び用ふるべからず。』と。弁慶の最初にして最後の房事であった。 廷尉は太后の気を和らげるため、脅したりすかしたりの末何とか懐柔に成功する。 太后を引き寄せた廷尉の手が裾へ分け入り…。 |
斯くて第一ラウンドが開始される。
廷尉の掌中に弄ばれた太后は「唯死者の如く目を閉ぢ口を開き手を投じ足を捨つるが如き」状態であったが、酒を含ませて気を戻し、いよいよ本戦へと進む。 最初はうまく行かないが、「六韜三略の秘奥を究めた」廷尉の手練により、やがて佳境に…。 |
第一ラウンド終了の後。
疲労のため昏睡している太后を廷尉が弄んでいると、やがて気がつきそのまま二回戦へ。 今回は地天泰から横著へと形を変えながらの一戦であるが、さらに変化しながらクライマックスへ…。「…珊瑚声ありて夜更に幽かなり。」で結ばれる。 |
戦後になって登場して来た作品です。長い間作者不詳とされていましたが、総て同一の作者で、執筆当時女子大の化学の教授の職にあったという驚愕の事実も、今日では明らかになっています。 「茨の垣」("ばらのかき"と読みます)は前後編二冊の大作ですが、昭和艶笑文学の最高傑作であると言うのが今日の評価です。 「僧房夢」のみ活字ですが、それ以外は筆者自ら原紙を切り、印刷製本したガリ版です。 また、「貝寄せ」にのみ口絵として篭に盛られた貝(本物の貝です。念のため)の生写真が使われています。
これらは地下本の紹介をする時に欠かせない作品群ですが、 同一作者の 「賢愚経」 「春しぐれ」 「糸遊」(公刊)、 「由奇」(非公刊)は、あまり紹介されることがありません。 因みに、「由奇」も上下二冊の長編で、短編「垂乳根」が併載されています。
「茨の垣」原本、前篇扉 | 同下篇、書き出し |
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何れもそのままでは公刊できない作品ですから、貴重文献保存会名義で美和書院から公刊された時は伏字表付でした。
の五点ですが、「夜の秋」は、別の作者の作品である「話を聞く娘」に併載される形でした。
これらの詳しい解説は山路閑古の秘本をご覧下さい。
現在無削除の原文を読める公刊書はありません。(平成十二年十一月現在)
主人公陣内正雄の女性遍歴とその顛末を描いています。テーマはインポテンツです。 七歳の時女中のはまに愛され、九歳の時実父の後妻の義母(二十二歳)に通じて子を産ませ、さらに小学校の担当教師(四十女)を孕ませる。 後妻が二人目の子を妊娠するに及んで、遂に廃嫡され、実父の弟の豪農陣内氏の許に養子として貰われて行く。 叔父の陣内氏の物は役立たずのため、妻女は女の喜びを知らない。この家でも行儀見習として来ていた女中を押しこかし、叔父の妻女に通じ、二人共々孕ませてしまう。 更に、叔父が県教育委員である所轄の中学校の代用女教員二人とも関係を生じ、叔父の名誉職に泥をぬる始末となって養家を放逐される。 養家を追われた彼は友人の手引きで東京のある華族の許に書生として住み込む。この邸で女中や奥方から歓待を受けるが、これらは彼に殿様の相手をさせるための準備工作であった。 殿様も女性相手では役に立たなかったのである。半ば合意の上とはいえその攻撃はすざまじく、全治三ヵ月の負傷の後、生まれ故郷の土地に帰って来る。時に十八歳であった。 既に実父も義母も亡くなっていたが、住まいは女中のはまの兄の大工が早くから建ててくれたものが有り、老婆とその孫娘が留守番をしていた。 この娘が奉公先(妾奉公)から貰って来たという外国種の匂いの強い白バラが父母の墓の辺りに咲き乱れていた。 このバラを娘に頼んで根分けして貰らう。 この娘りゑの奉公先の西洋さん(欧米人のため近所ではこう呼ばれている)は普通では役に立たず、 SMチックな行為でしか元気にならないため、りゑの体は傷だらけであった。 このりゑとも西洋さんの目を盗んで同衾を重ねた末、身ごもらせてしまう。 ある西洋さんが留守の日、りゑが彼を呼び出し、ことの最中に突然西洋さんが戻り、ピストルを向けられ、麻酔を嗅がせられる。 西洋さんは秘書の男に昏睡している彼の先端を切り落とさせる。この事により、彼も全く役に立たなくなった。 傷が完癒した後、彼は西洋さんを傷害罪で告訴し、西洋さんは姦通罪で応酬した。裁判で争っているる内に、りゑは玉のような男の子を生むが、目玉の色は黒でも青でもなく、茶色であったといわれた。 裁判の結果、姦通罪は成立せず、傷害罪の方は西洋さんの国外退去を条件として示談が成立し、りゑ親子をつれて国外に去った。 「茨の垣は、その年から花を持ち始め、年々多くの花を咲かせて行った。さうして誰云うともなく、ちんないさんの、○○○○茨といふ名が広まった。」 |
注)原文は○○ではありません。自粛です。
専務の志保礼(シボレイ)は出自の問題から子供を作ることに極度の不安を抱くため、その心配のない妊婦しか相手にしない。 庶務課長の出村(ダイムラ)はそのような志保礼の相手を探す役目も担っていた。 同郷の事務員の蔵井すら子(クライスラ)に目星を付けた出村は、自分に対するすら子の気持ちがまんざらでもないことを見抜き、待合へ連れて行く。 一儀の後その話を持ち出す。最初は嫌がっていたすら子も出村の必死の説得に了承する。 但し、妊娠が条件であるから、そうなる必要があった。しかし、出村には最早その能力がない。 やむお得ず、すら子には内緒で馴染みの待合に連れて行き、女将の計らいで、三助の兼吉にその役目を委ねるべく、祝言の真似事を行い奥座敷へ…。 一方出村は女将と…。 |
次の部分は美和書院版では「春しぐれ」の方に移されている。
同じ頃、西銀座で女性洋装店を経営している加手らく子(キャデラック)は蔵井すら子と同郷と言うこともあり、すら子の弟達人(ダットサン)をアルバイトに使用していた。 らく子は大の映画好きで、今日も達人を連れて映画見物に行くのであったが、混雑のあまり達人と離れてしまう。 漸く引き戻した達人と一緒になれたらく子が映画に見入る折、達人の手がらく子の前の方に…。 しかし、達人と思ったは全くの別人で…。 映画が終わって外に出たらく子は漸く達人に逢へそのまま芝公園へ行く。 意気投合した二人は公園のベンチで…。さらに、姉のすら子が泊まりで留守なのを良いことに、らく子は達人の住む大井町のアパートに赴き…。 |
出村の出張を上野駅まで見送りに来たすら子と兼吉は、台風の雨でびしょ濡れになりながらも、兼吉が居候している叔父の風呂屋へ赴く。 兼吉は叔父の女房、つまり義理の叔母と密通していた。そのことを叔父に隠すために女性を連れ込み、恰もその女性と楽しんでいる振りをして叔母と通じていた。 連れ込んだ女性は同輩の金蔵に任せるのであったが、生憎今は留守であった。叔母とかち合わないかと不安ながらも先ずはすら子と…。 出村との約束ですら子を妊娠させるべく奮闘して三ヶ月経つが、一向に気配がないのを気にし、もう一人の同輩の若い男留次郎に預ける。 最初は拒んだすら子であったが、留次郎の初さに惹かれ本気になってしまう。 留次郎が寝ている中兼吉の元へ戻ろうとするが、部屋の中に二人の気配を感じたすら子が様子を窺っていると、叔父が現れ、女房と勘違いしたかすら子の後ろから…。 |
後編は美和書院から刊行された「春しぐれ」のみで、原本は存在しません。冒頭に「風流賢愚経」で落とした部分を転載し、話は先に進みます。
大会社の社長である笛藤(フェートン)はらく子に入れあげていたが、何時ものらりくらりと逃げられていた。 達人の子を身ごもり先行きに不安を感じていたらく子は、笛藤の二号となり、その不安を解消しようと決心する。 らく子は笛藤の経営する旅館に二人で行った時に妊娠の事実を告げるが、笛藤は認知するか自分の籍に入れればいいと鷹揚に答えるのであった。 安心したらく子は…。 |
すら子が妊娠しないので焦っていた出村は、すら子の言動から妊娠を悟り、打ち合わせのため夜半にすら子の住まいに赴くことを告げる。 当日は召集されていたすら子の昔の恋人説楽延(シトロエン)が来ることになっていたので、二人を相手にしなければならなくなってしまった。 初めに説楽が訪れ、久々の逢瀬を楽しんだ後、かち合わないように押入に隠す。 遅れて来た出村は部屋が少し煙たいことから先客が居ることを感ずくが、兼吉であろうと合点して詮索はしなかった。 すら子が妊娠したことにより、出村は晴れて北海道の子会社に理事として栄転、すら子は志保礼の秘書になった。 |
業務が多忙なため志保礼に全く構われなかったすら子であったが、漸く二人で熱海へ行く機会が訪れたが、鞄持ちとして法戸(フォード)が同伴することになった。 熱海に別荘の着いた一行は風呂で疲れを取るはずが…。 その夜三人が寝た中ですら子と法戸がいちゃついていると、突然目を覚ました志保礼が…。 |
笛藤は戦時下に於ける経営不振の建て直しのため、今は商務大臣になっている志保礼との面談を希望していたが、叶わぬ日々が続いていた。 らく子は臨月を迎えていたが、笛藤のためにと志保礼の待つ料亭にすら子と赴く。 さすがに前は無理と判断したすら子は…。 衝動でらく子は産気づき、産まれた子供は志保礼の籍には入った。 笛藤の会社と志保礼の会社は合併し、やがて出村が社長に納まるのであった。 |
京都の葵祭りの夜、東京の人心寺の住職、田村上人(47)が会合で酔い、常宿の四条水月旅館に帰ってくる。 上人を介抱する宿の娘知恵子は既に二十六になっていたが、女学校から絵画専門学校を出た美人で、いつも田村の係りであったため、妾であると云う噂が立っていた。 知恵子の両親も上人に娶ってもらいたいと思い、上人も人手が必要と考えていたため夫婦になって東京に行こうと誘う。 知恵子から上人の話を聞いた両親は大喜びする。 しかし知恵子は東京には行きたがらなかった。 |
それもそのはず
知恵子は女学校三年のとき、花鳥という二十歳過ぎの尼僧と親しくなり、同性愛者であった花鳥から離れられなくなっていた。 上人の二号と言うことにして、誰も近寄せないように画策したのも花鳥の知恵であった。 「尼僧の間に人知れず流布されて居る、西国三十三番札所巡礼と称するものがあった。…念仏を唱えて、もし快くなった時も、うわごとなど云うてはなりませぬ。…第一番は那智本宮の奥の院や。この地に追い手おいて昔、法皇は女御の…続いて二番目は…」 |
このことを知恵子から聞いた上人は一計を案じ、花鳥も東京に連れていこうと考える。 知恵子も花鳥と一緒でなければいやだと言う。 口には出さずとも思惑の一致した知恵子は上人に花鳥を合わせる手筈を整える。 元々、花鳥も水月旅館を定宿にしており、来館した時は常に知恵子と同衾する習わしであった。 それを快く思っていない両親が花鳥と別れさせるためにも上人にはやく嫁がせたがっていた。 やがて二三日後に花鳥が訪れ、いつものように知恵子と同衾した。 知恵子から話を聞いた花鳥も高僧として著名であった上人に近づきたいと思い、三者の利害が一致した。 暫くして知恵子が上人の部屋へ行き、上人が知恵子の部屋へと赴く。 上人と花鳥も話が合い、善の門と悪の門をに対して…。 その様子は知恵子の両親に一部始終見られていた。 |
東京に戻った上人は
早速、知恵子の両親に知恵子を貰い受けたい旨の手紙を出すが、先の花鳥との一件を見てしまった両親は打って変わって返事を渋っていた。 一方知恵子は花鳥と示し合わせて東京へ来てしまう。 知恵子は上人と一緒に、花鳥は初音町に上人が借りた邸宅に住まうことになる。 元々上人は人心寺が戦災で焼けたのを復興させ、本山大徳寺の評議集にも選ばれていた高僧であったが、その手腕を買われ、愛知県にある孔雀寺の再建も任されることになった。 しかし、再建のための費用は馬鹿にならず、人心寺も料亭のような副業によって潤い、資金を集めていた。それを切り盛りするために知恵子が必要であったのである。 一方、上人は一気に資金を集めるために暖めていた企画、大黒天讃仰会を実行に移そうとする。こちらには花鳥が重要な役目を担っていた。 花鳥は初音町に囲われて居たが、例の「西国三十三番札所巡礼」を駆使して、女性信者の心を掴んでおり、中には代議士や実業家もいた。 その打ち合わせのため上人は久しぶりに花鳥を訪ねる。先客には先の女性代議士が来ていた。 この代議士は今度の企画の世話役の一人でもあった。 代議士が帰った後、上人は花鳥の所に止まり、京都以来の…。 |
大黒天讃仰会の当日は企画の噂が広まってか信者で大賑わいであった。 花鳥の読経も佳境に入り、信者も「奄麻訶迦羅、大黒天神」と合唱して行く。 信者一同が合唱しながら見守る中、次々と女性信者が焼香を行い、その後、前をはだけて…。最後は花鳥が両側から信者に裾を広げられ…。 大黒天讃仰会は大盛況の内に終わり、お布施もたんまり、という所で…。 |
おひさとおえい姉妹の夫は共に出征していて、消息を絶っていた。元々番頭で、現在は独立していた直吉が戻って来て商売を見、三人で一つ屋根の下に寝起きしていた。 直吉との間に子供が出来ていたおひさは直吉と一緒になることをおえいに相談したが、おえいも直吉の子を身ごもっていると知って、三人で床を並べて暮らすことに一決する。 少年時代を木曽で過ごした直吉は、戦火が始まると幼馴染の木樵の三蔵の家に妻のおしげと二人の子を疎開させた。 三蔵の家でも家内を失って人手が足りない所であったため、快く引き受けた。直吉は月に一度生活費や宿泊料を届けかたがた妻子に会いに来た。 或日直吉は三蔵に瘤つきだがおしげを貰って欲しいと話し掛ける。 手ごめにしてでも良い、と誘いを掛ける直吉に三蔵もその気になり、その夜脅したりすかしたり、果ては直吉の本心まで明かし、おしげを説き伏せてしまう。 直吉が木曽を訪れたのは三年の後、戦争は既に終わっていた。三蔵とおしげの間にも二人の子が出来ていた。 その夜、おしげは三蔵と直吉の間を行ったり来りするのであった。 |
京都の大学に通っている増田賢は父の死を聞き、取るものも取りあえず帰郷した。 回りの勧めもあり、色々と葬儀の面倒などを見てくれた父の遠縁に当るとされる杉田直吉を訪ねた。杉田は大きな材木店を経営していた。 賢は葬儀の時の例を述べた後、学費の話を切り出した。杉田は成業の上は返済する約束で月一万円を出す旨を約す。 その冬帰郷した賢は、墓地の世話までしてくれた杉田に例を兼ねて挨拶に行ったが留守であった。 指定された小さな料理屋に杉田は居た。そこで杉田が兄かもしれないことを料亭の女将おえいにほのめかされる。 新学期が始まる頃杉田は商用を兼ね、おえいと一緒に京都を訪れた。 おえいは杉田が仕事で和歌山へ行った後、賢と一緒に食事をした場で杉田が腹違いの兄であることを話す。 旅館に戻ったおえいは賢を帰さないで、部屋に上げ、彼の筆下ろしが…。 |
賢の下宿の主婦は小山なつという産婆であった。彼が外泊の後酒や煙草を嗜むようになったのを見て彼の素行によからぬ影響があったことを感じていた。 おなつが仕事柄夜いない時など、賢はおなつの子供に添い寝してやるのだが、或日そのまま寝てしまった彼が気が付くと、隣の床におなつが寝ていた。 賢が抱きつくと目を覚まし、おえいと上手くいかなかったので、練習して見る気になったと語る賢の言い訳を聞いていた。 おなつは学業をおろそかにしないことを条件に承諾する。 翌日から練習が始まり、先ずは構造と名称と機能から…。『六法全書はなかなか暗記出来ないけれど、これは目をつぶっても脳裏に全景を描くことが出来た』賢は、『最も熱心におなつの臨床講義を聴聞したのであった』。 講義が終わると『学んで時にこれを習う』とばかり実習に入るのであった。 BC(筆者注:バスコントロール)ばかりでは面白くないと言う彼に、おなつは、商売人との他流試合は病気が怖い、素人はお腹が大きくなる、と思案の果てに、隣に住んでいるおさきという妾に話をすると乗ってきた。 祇園祭の最後の晩下宿に来たおさきは賢と祝言の真似事をして、床に着く。 おさきは旦那と旦那の客、旦那の犬との話などの体験を語りながら、一日、二日、三日と…。四日目にはおなつも中に割って入り奇想天外の房事競べが展開される。 旦那はおさきの行動が耳に入ったため、急いで妾宅を探し、引取りに来た。 |
帰郷していた賢は厠でサックが溜壷に浮かんでいるのを発見し、母新子の性行が心配になった。 杉田を疑った賢は杉田に会うべくおえいの店へ行った。杉田は自分ではないと告げ、新子の再縁を進める。 疑いが晴れた二人は店へ戻り、おえいと三人で…。 賢が京都へ戻った後、法事の相談にかこつけて新子の許に赴いた直吉は、再縁の話しを持ちかける。 一周忌が済んだ後、直吉は縁談相手として医者を薦め、新子も乗り気になってきたが、実は、と新子が若い大工に鑿で脅され強姦された旨を話す。 直吉は問題の大工が善太郎である事をつきとめ、呼び出した。善太郎は脅かした訳ではなく、新子から誘われたのだ、と言う経緯を仔細に話た。 鑿は脅しに使った訳ではなく、新子が小道具として…。 善太郎は新子と一緒になる積りでいたが、直吉が金で解決し、鑿も取り上げてしまった。 善太郎との別れ話が決まったことを新子に告げに行った直吉に、新子は結婚して間もない頃に出入りの大工に鑿で脅された時のこと、賢の出生、そして今回の件の因果応報を話すのであった。 総てが氷解した直吉は八方を丸く治めるため新子と…。 |
法学部を卒業した賢は検事として奉職していたが、後に彼の妻になる女性との間に交わされた体験手記の女性側の告白が綴られている。 母の浮気、自身が高校生の頃妻子持の教師川本との間にあった出来事などが詳細に語られる。 川本は技師としアメリカの会社に採用され、妻子共々渡米するが、彼を終生の夫と心に決めた彼女は、決意を固めるために黒髪ならぬ別の所をすりおろしていた。 『私は夫にお願いする。私を還俗させないで、このままで愛して頂きたい。』 |
小児麻痺のため杖が無ければ歩行が困難な増蔵は従妹のおれんと一緒になっていたが、戦火が激しくなってきたため田舎に疎開していた。 増蔵は針仕事を、おれんは野良仕事の手伝いをしながら生計を立てていたが、終戦になってもそのまま借りていた離れに住んでいた。 同じように疎開していたお直婆さんは、アンゴラ兎を飼っていたが、戦後息子達の家業を手伝うために東京へ戻るに当たり、丹精して数を増やしてきた兎を一匹づつ村人達に分け与えて行った。 増蔵達が間借りしている離れの持ち主は村でも一二を争う地主の甚太郎であった。 兎は甚太郎と増蔵の所へも来た。 数カ月が過ぎ、兎の繁殖の時期が来ため、村中で互いの兎による種付けが行われていた。 増蔵の所も甚太郎の兎と掛け合わせることになり、三人が見守る中種付けが行われた。 増蔵の不具のため、夫婦関係の無いおれんは上気していた。 湯上がりの浴衣姿のおれんは甚太郎と納屋の中で、と言う時に甚太郎の女房が物音に気が付いて流れてしまった。 子のいない増蔵夫婦はおれんに変な噂が立つ前に子供をこしらえ、普通の夫婦然として居ようと決め、甚太郎に白羽の矢を立てる。 今日は帰らないかもしれない、と言ってご馳走になっていた爺さんの所で、村の噂はその先まで進んでいるのを聞いた増蔵は、急におれんが人に抱かれることに嫉妬を感じ、心焦って家路を急ぐ。 家へたどり着いた増蔵は杖で雨戸を叩くと、既にことを終えていたおれんが出てきたが、甚太郎がまだ内にいるため、縁側の隅に隠すが、役に立たないと思っていた増蔵の物が…。 |
今回は造本関連の用語です。書物一般に共通です。
「増補・編集印刷デザイン用語辞典」(関善造、誠文堂新光社、1990年5月)を参考にさせて頂きました。
※1 | 最近この現物を見る機会を得ましたが、造本にかなりの不満があり、個人的には初出説に疑問を持ってしまいました。 |
※2 | 近年、同好の知人がこの謎を解くことになると思われる書籍を入手したようですが、いつ発表するのかが楽しみです。 実は、そうとは知らず館主も注文していたのですが、取り損ねました(無念)。 |