性体験記録とされるものの原点であり、バイブルであるとされ、長期に亘る膨大な量の資料、官憲との壮絶な戦いと不屈の闘志が強調される、ある意味伝説上の存在となっているのが相対である。近年、当局による規制が緩和されたためか、嘗ての禁制品であった地下本や発禁本が生のまま出版される時代になり、相対もその例に漏れず、無削除のまま公刊されている資料もある。しかし、資料である「相対」或いは「相対会研究報告」、組織である相対会、主宰者であった小倉清三郎、ミチヨ夫妻に関する研究は、殆ど行なわれていないのが実状である。戦前に頒布された原本は元より、戦後に刊行された復刻版の入手さえ難しいという蒐集上の問題が事態を混乱させ、難しくしているのは明白である。原本の完全な蒐集は不可能と思われるが、出来た範囲での事実の公表と、それらを元にした「相対論」を試みる。