発禁本がどのようなものであるかは城市郎氏の一連の著作などで割と知られていますが、地下本に就いてはあまり知られていないのが実状のようです。 そもそも、地下本の現物など見たことがない人が殆どではないでしょうか。発禁本と地下本を一緒くたにしている人もいるでしょう。 或いは、地下本と言うと所謂裏本のことを連想するかも知れません。 勿論、裏本も立派(?)な地下本ですが、本講座では手に余るので扱いません。別のどなたかが行ってくれることを期待します(その時は聴講させて頂きます)。
発禁本及び地下本の定義に就いては研究家により意見が多少異なるように見受けられますが、本講座では次のように考えます。
発禁本は、所謂発売禁止処分を受けた書籍のことです(当たり前ですね)。 |
それでは、発売禁止処分とは何ぞや?と言うことですが…
出版法(※1)と称する法律が戦前には存在しました。 これは、書籍の出版に当たって、内務省に発売前の納本を義務付け、検閲の結果出版するには不適当と判断されると発売禁止として販売及び頒布が出来なくなります。 印刷済の書籍は差し押さえられ、処分されてしまいます。この処置が発売禁止処分です。
出版法第三条 | 文書図画ヲ出版スルトキハ発行ノ日ヨリ到達スヘキ日数ヲ除キ三日前ニ製本二部ヲ添ヘ内務省ニ届出ヘシ |
出版法第十九条 | 安寧秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムル文書図画ヲ出版シタルトキハ内務大臣ニ於テ其ノ発売頒布ヲ禁止シ其ノ刻版及印本ヲ差押フルコトヲ得 |
雑誌に就いては新聞紙法(※2)が適用されるため、少し内容が異なりますが、基本的には同一です。
新聞紙法第十一条 | 新聞紙ハ発行ト同時ニ内務省ニ二部、管轄地方官庁、地方裁判所検事局及区裁判所検事局ニ各一部ヲ納ムヘシ |
新聞紙法第二十三条 | 内務大臣ハ新聞紙掲載ノ事項ニシテ安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スルモノト認ムルトキハ其ノ発売及頒布ヲ禁止シ必要ノ場合ニ於テハ之ヲ差押フリコトヲ得 |
上記二法は戦後になって廃止されたため、行政上の事前検閲、発売禁止処分は無くなりました。従って、書籍を刊行する上での制限は無くなったことになる訳ですが…
検閲制度は無くなりましたが、納本の制度は趣旨を変えて継続されることになります。
国立国会図書館法第二十五条1 | 前2条に規定する者(筆注:国、地方公共団体等の公共機関)以外の者は、第二十四条第一項に規定する出版物を発行したときは、前二条の規程に該当する場合を除いて、文化財の蓄積及びその利用に資するため、発行の日から三十日以内に、最良版の完全なもの一部を国立国会図書館に納入しなければならない。…後略 |
国立国会図書館法(※3)は刊行物を強制的に納本させるという手段を採ってはいますが、文化財としての刊行物蒐集とその利用、保護が目的であり、内容を問うためのものではありません。
出版法が廃止されたため書籍による安寧秩序の妨害は法律違反でなくなりましたが(現体制をどんなにボロクソに書こうがお構いなしと言うことです)、 風俗の壊乱に該当する書籍は別の法律で取り締まることで、出版の自由に対する制限は続くことになります。
風俗の壊乱に該当する書籍は所謂猥褻物の扱いになり、以下の法律の適用を受けることになります。
刑法第175条 (わいせつ物頒布等) | わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。 販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。 |
関税定率法第二十一条第一項第四号 (輸入禁制品) | 公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品 |
郵便法第十四条第四項 (郵便禁制品) | 法令に基き移動又は頒布を禁止された物 |
出版の立場から見れば問題は刑法第175条だけです(※4)。同法違反容疑で摘発され、該当書籍を証拠品として押収される、という順序になります。 押収されれば以後の販売は出来なくなり、刑が確定した場合は、押収された書籍は返還もされませんので、事実上の発売禁止処分と考えて差し支えありません。
以上のことから、公刊であれ、地下出版であれ、法律違反に対する行政行為という結果を伴った書籍のみが発禁本と言える訳です。 内容がどんなに過激でも法の目をかい潜ったものは(要するに、見付からなければ)、発禁本とは言いません。
一方、地下本は、文字通り地下出版された書籍のことですから、行政行為の結果では無く、出版行為に対しての呼称です。 |
その書籍が何らかの理由によりお上の知る所となり、法律に違反するとして行政処分を受ければ、発禁本にもなるのは当然です。
それでは、地下出版とは何でしょう?
一般的には、出版法施行下では先の納本(内務省検閲局)を行わない書籍、戦後は国立国会図書館法による納本義務を無視した書籍、と言うことが出来ます。
しかし、戦前で言えば納本を行う前に頒布を完了し、押収用の何十部かを準備して納本、予定通り発禁処分という知能犯もいます(※5)。 納本前(印刷中か製本中)に踏み込まれて差し押さえられた場合はどうなのでしょう。
また戦後でも、私家版なり限定版なりが総て国会図書館へ納本されているかと言えば、これも非常に怪しいと言わざるを得ません。極論を言えば店頭販売されているものが総て納本済かは疑問です(実際の所どうなんだろ?)。
第一納本されているか否かをどのように判別したら良いのでしょうか(国会図書館の場合、現在は検索システムがあり所蔵の有無は確認できますが、納本か収集か或いは寄贈かは判別できません)。
書籍の出版に係わる法律を無視した出版が地下出版であるのは論を待ちませんが、前述のようなケースをどう考えるかは議論の分かれるところでしょう。
結論、は出ないので、当館及び本講座では地下本を次のように規定します。
公刊する事を前提としていない出版物の内、性を主題として扱っているもの。但し、刊行当時公刊しても差し支えなかったと思われる内容のものは除く。 |
地下出版される書籍は、何も性に関するものだけとは限りませんが、近世以降今日に至る迄、一貫して法律違反の対象であり続けたのは性に関連するものだけです。 依って、性に関する地下出版物のみを地下本として扱います(館主の嗜好が相当入っていますが…)。
『公刊する事を前提としていない出版物』をもう少し具体的に記述すると、以下のようになります。
尚、狭義には、終戦直後から昭和三十年頃に掛けて、大量に地下出版された一群の書籍のことを特に指して地下本と言う場合があります。
現時点(平成十二年)に於ける猥褻出版物に対する行政側の扱いを概観すると次のようになるでしょうか。
当館のコンテンツで使われている関連用語を説明します。毎回少しづつ掲載します。
※1 | 出版法(明治26年4月14日〜昭和24年5月24日) |
※2 | 新聞紙法(明治42年5月6日〜昭和24年5月24日) |
※3 | 国立国会図書館法(昭和23年2月9日〜) |
※4 | 戦前も刑法175条違反での取締りはありましたが、より簡便な出版法を多用していました。 |
※5 | 本来出版法の手順通りに納本して発禁になった場合、頒布前の押収になりますので、世の中に出回ることはあり得ません。
しかし、現実には少なくない量の発禁本が出回っています。想定出来る理由として
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