ここ数回批判めいたことが続いたので、久しぶりに昔話などを一くさり。第一回そもそもの初めでこの世界に首を突っ込み始めたころの話を書いたが、その当時はこれ程奥の方まで踏み入ることは想定していず(と言うよりは、踏み込めると思っていなかった)、ある特定の本を何としても読みたい、と考えていただけであった。この世界のことは何も分からない時なので、ガイドブックのみで楽しんでいた時代、そんな時に目にした本が阿刀田高氏(直木賞を取る前で、著者近影が実に若々しい)の「江戸ぽるの」(国宝社、昭和四十八年十月)である。文庫にもなっていたかと思うが、どこの文庫かは記憶が曖昧で思い出せない。申し訳ない。
同書は『艶句あらかると』、『禁断らいぶらり』、『小咄まんだら』の三部構成で成っている。第一部の『艶句あらかると』は「末摘花」などのバレ句をテーマ毎にピックアップし、読み物風の解説を行っている。専門の解釈書ではないので、出典などは記載されていないが、一般読者向けとしては、機知にとんだ氏独特の筆致が興味をそそる。初めてバレ句に接する人にとっては面白い読み物であり、これに興味を持って古川柳の世界に入っていく人がいるかも知れない。この本が最初であったどうかは既に記憶の彼方であるが、館主が古川柳に強い興味を持ったきっかけの一つであったことに間違いはない。第三部の『小咄まんだら』は所謂艶笑小咄であり、江戸の小咄が主題ではあるが、フランス小咄と対比させたりした解説は、なかなかに面白い。
で、今回取り上げる「本当に読みたかった地下本」であるが、同書の第二部『禁断らいぶらり』で取り上げられた諸本である。当時でも既に地下本とは呼べないようなものも含まれており、江戸艶笑本とでも呼ぶのが正しいのかも知れない。以下の十編が収載されている。
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総てを直ぐ読みたかった訳ではないが、現在から見ても実に適切なセレクトであると言える。従来江戸艶本といえば読みワの長編『真情春雨衣』、『春情花の朧夜』、『春情妓談水揚帳』辺りが代表的なものであるが、それらではない所が慧眼である。もっとも、最後の『雲雨』を除けば、これらも昔から著名なものばかりであるから、特に奇異な感じはないが、艶本と言うよりは戯文、戯書と言った方が適切であろうか。元々、週刊誌に連載されていたものであるらしいことと、一般の読者を対象とした場合、着想がバラエティに富んでいるものの方が飽きが来なくウケけやすい、というのも理由の一つかも知れない。
平賀源内の『長枕辱合戦』は物語の展開に興味を持ったし、森田軍光の『大笑下の悦び』には艶笑ものの本道の一つ、肩すかしの面白さを感じた。西村定雅の『色道禁秘抄』も、もう少し見てみたいと思った。名前だけは聞いていた『壇ノ浦夜合戦記』も詳しい内容が知りたかった。それぞれに面白さがあり、どれも本物を読んでみたいと思ったのであるが、中でもこれだけは何としても読みたいと念願したものが『阿奈遠加志』と『大東閨語』であった。
前者は江戸三大奇書の一つで、会津藩の国学者沢田名垂(「さわだなたり」と読みます)により雅文体で書かれた、前後二編、全四十二話からなる伊勢物語風の艶笑歌物語である。同書にはこの内の三話が紹介されていたのだが、本編のキーでもある歌を見て残りも全部、という思いに駆られた。第一部の『艶句あらかると』に引用されているものもあり、併せて記載する。但し、解説は致しません。
最後の二首は一話の中で詠まれている対になる歌である。
もう一編の『大東閨語』、巷間伝えられている所の虚実入り交じった伝聞を元に、奈良時代から鎌倉時代までの歴史上のカップルの房事を漢文で洒脱に描写した短文集である。作者は平安金羅麻(本書も含め金麻羅としているものが多いが、「きんたま」のもじりなので、金羅麻が正しい)、正体に就いては諸説あるが確定していない。乾坤二巻、併せて三十三話から成っている。本書に紹介されているカップルは、源高明と紫式部、藤原行成と清少納言、大江匡衡と赤染衛門、平忠盛と祇園女御、平清盛と仏御前の五組である。
中でも、当時随一の学者であった大江匡衡と、歌人でもあり、「栄華物語」の作者でもあった赤染衛門の平安中期教養人夫婦、二人の閨房に於ける態位に就いての会話は逸品である。一つは女性上位、一つは後背位を実践しながら、各々の由来を問答形式で語りあっているのであるが、その答えが奮っている。いずれも、「かかるここちよき体位、いつの世より始むることぞ」との問に、女性上位に就いては「この始まりは舜王においてか」であり、後背位に就いては「かかるおかしき体位」は「殷の紂王においてか」であると。意味が分かりますか。流石にこれだけでは教養人カップルにも判りかねたとみえ、「なんぞもって、これを知るや」との問いに理由が付け加えられる。曰く、「舜王は庶民の生まれにして帝女と婚す。妻を敬い尊ぶのさま、かくのごとくにやあらん」であり「紂王の愛せし姐妃は、野狐の妖怪なり。交尾のさま、かくのごとくにやあらん」と。実際の当人同士にそんな会話があったとは思えないが、江戸時代の教養人の備えている当然の知識をベースにしたものであった。いや、態位をではなく、会話の元になっている話をである。
昔から歴史が好きだったこともあり、他にどんなカップルがいて、どのような場面が展開されているのかに強く興味を抱いた記憶がある。もっとも、歴史教育では男女の閨房は教えない。歴史好きと言うよりは、スケベ心であろうか。
時間が問題を解決し、上記の諸本は「雲雨」を除いて読むことができた。『大東閨語』に就いては、洒脱な絵を見ることもできた。『大笑下の悦び』は原本を手に入れた。月並みではあるが、読んでみたい、手に入れたい、という執念が大事であることを実感した。翻って今、蒐めたいと念じている本は当時と比較にならない程多い。本当に時間が解決してくれるだろうか。否、時間に体が付いて行ってくれるだろうか。まだそこまで考える歳ではないが、事故と病魔には何時襲われるか分からない。近頃、一期一会という言葉が頭を過ぎるようになってきた。勿論、一会の相手は人ではなく書物である。一寸意味が違うか……(と書いていたら、この間の「開運なんでも鑑定団」で同じようなことを言っていた人が居た。マニアの心って……)
補足)上に揚げた作品の内、『阿奈遠加志』、『壇ノ浦夜合戦記』、『長枕辱合戦』の全文が裏長屋で公開されています。『阿奈遠加志』は「江戸三代奇書」に、その他は「艶本集」にあります。興味のある方はそちらをご覧下さい。直接リンクを張らないのは該当サイトが十八禁のためですので、悪しからずご了承下さい。(平成十三年七月二十五日追加)
参考までに、各作品に関連する当館所蔵書を掲げる。この他に「日本の奇書七十七冊」(自由国民社、昭和五十五年七月、最新版は「日本の艶本・珍本 総解説」に改題)、「地下解禁本」(小野常徳、KKベストセラーズ、昭和四十九年六月)に各々数編の解題と一部活字化がある。また、雑誌【人間探求】(第一出版社、昭和二十五年五月 〜 昭和二十八年八月)、【あまとりあ】(あまとりあ社、昭和二十六年三月 〜 昭和三十年八月)などにも解説や部分的な活字化があるが、ひっくり返して確認するが大変なのでやめた(ごめんなさい)。
尚、リンクされているものは地下本で、リンク先に書影などがあるので参照されたい。いつの間にこんなに増えたのだろうか…