大正九年または十年頃からガリ版による資料の頒布に移行して行きましたが、その初期の時点から大正十三年二月迄に頒布されたものです。配布されたのは短いものでは一枚、長いものになると五十枚近くと量的なバラツキはありますが何れも貴重な資料です。この当時の資料には頒布年月が記載されていませんので、正確な頒布時期は分かりません。
「假目録」はガリ版での頒布開始から大正十三年二月までに頒布された総ての資料の目録です。頒布年月は記載されていませんが、頒布枚数の記述はあります。目録の内容は、「『相対』異聞」の第二期 ガリ版時代初期を参照下さい。
「相対」は第八集が問題になった後、組織を改め規約を制定(改訂?)していますが、その規約には、資料には所有者の氏名と番号(会員番号?)、割印を押すことが定められています。しかし、御覧になると分かると思いますが、そのようなものを施した形跡はありません。但し、昭和十二年再開以降の資料には所有者のイニシャルと思しきものと割印が押されています。この辺りの事情が『満二十年に際して』と題された会員通信に記載されていますが、その他の新事実も含めて「『相対』異聞」改訂三版に反映させる予定でいます。
『泣き出した女』、『十七になる女』、『病院の女』はいずれも復刻版では『醫務室をめぐる女達』にまとめられています。
『AB通信』の再刊はこちらです。『夢』と『或年の十月の記録』は復刻版では『春感雑話その他』としてまとめられています。
『拔萃帖』も復刻版では『春感雑話その他』としてまとめられています。このことで分かるように、『春感雑記』は『雑話』に変えられています。
『私の春的生活の中から』と『ノートの中から』は復刻版に洩れている資料です。『私の春的生活の中から』は論文『性的経験概論』の例として一部引用されている個所が復刻版に残りましたが、原資料としては復刻されていません。このタイトルで続きもあるのですが、間が跳んでいるようにも見受けられ、全体像がハッキリしません。しかし、小倉ミチヨの自叙伝としても貴重なものと思います。詳細は別の機会に譲りますが、参考までに『私の春的生活の中から』の小見出しを掲げておきます。『ノートの中から』は清三郎の日記のようなものですので、復刻の際に落とされたものと思われますが、関東大震災で無くなった会員の実名が載っていたり、伊藤野枝が相対のガリ版を切っていたことがあるなど、貴重な情報が載っています。
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『親子の縁』も同様に『性的経験概論』に転載されていますが、前書きに当たる一枚目は復刻されていません。