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3.高資料整理委員会

第三次木曜会が蒐集した性生活記録である資料を整理して発表した時に、個人名である「高」の名を冠し、整理を行なったとされる有志に就いては何ら言及されなかった。{高資料文庫}高伴作編として案内され、整理委員会という名称も存在しなかった。第二期の発表時に初めて、死亡した高伴作に代わり資料の整理を行なっていたとされる高資料整理委員会が登場する。しかし、この整理委員会なるものは実に不可思議な存在である。構成メンバーは元より判然としないが、肝心の何をどのように整理したのかを理解することも、発表された資料からは難しい。原資料を整理し、「高資料」として発表したのは明白であり、何をいまさらとの言もあろうかと思うが、「高資料」にまつわる不透明さを解く鍵の一つがここに存在する、と考える立場から高資料整理委員会の仕事に就いて考察して見る。

構成メンバーに就いては全く手掛かりが無い訳ではなく、数少ない資料から、龍膽寺雄氏がその一人であることが想像できる。これは三崎版「高資料」の後書きで、氏自身が「その中のごくごく一部分だけれども、その資料の整理をこころみた」と述べていることから窺い知ることが出きる。更に付け加えるならば、同書が高資料整理委員会編として刊行されたにも拘わらず、刊行案内の掲載された雑誌【えろちか】26(昭和四十六年八月)では龍膽寺雄編となっていた事実も有力な傍証となろう。但し、これは後にお詫びと訂正が掲載された。

そもそも「高資料」にまつわる人間で所在のはっきりしている人物は何人かいるが、出版関係者を除けば(最も「高資料」に近い出版人は雑誌【生活文化】の発行人であった広橋梵であろうが、彼を含めて、直接「高資料」の蒐集、整理には関係が無かったと思われる)、資料の原点とも言うべき山尾清三崎版「高資料」に絡んで明らかとなった龍膽寺雄氏の二人だけである。しかも、氏は高伴作を良く知っていたらしいことが同書の後書きから推測できる。高資料整理委員会、右代表龍膽寺雄という所か…。

問題の整理されたとされる資料に就いて検討してみよう。最初の疑問は、目録を眺めていると直ぐに気が付くことであるが、資料No112とNo216が重複している点である。No112は{高資料文庫}『少年嗜好』【えろちか】三崎版「高資料」も同じ)の『此の小さな悪魔』、No216は同じく{高資料文庫}『春早譜』東芸版{高資料}第一巻『寝玉門を犯す』である。何れも{高資料文庫}と重複している点が共通している。内容が同一であれば資料番号が重複するのは当然であるが、{高資料文庫}刊行案内の説明(刊行されていないので全容は不明)を見る限りに於いては、全く異なっている。『少年嗜好』は思春期前の少年を性的に玩弄する話であり、『此の小さな悪魔』は逆に性的に早熟な少年に翻弄される話である。『春早譜』は高校生の男女十数名の桃色遊戯の話であるが、『寝玉門を犯す』は新婚旅行で同じ新婚旅行中の他人の新妻を誤って犯してしまう話である。

元々資料番号とは整理したという証ではなかったのか?整理したはずの番号に何故重複が(しかも二編も)発生するのであろうか?{高資料文庫}高伴作生前の発表案内であり、高伴作自身による整理であるが、当時はまだ存在していなかった高資料整理委員会とは整理の方法が異なるのではないかとの言は当を得ていない。資料番号が八十三冊の整理ノート(高伴作が作成している)に記載されているものであることは、三崎版「高資料」他に明記されており、整理委員会が新たに付与したと考えるには無理がある。高伴作の整理の段階で既に重複していたのであるならば、重複している資料の発表時にその旨のコメントが合っても良いはずであり、それこそが整理委員会の存在意義であるはずである。

次に、資料の内容に就いて言及すれば、六篇が重複している{高資料叢書}東芸版{高資料}の内二編、資料No107及びNo214に人名他の異同がある。No214『女子寮物語』では寮の管理人夫妻の夫の名前が網野三郎であるが、『女子寮エロ奇譚』では網野喜太郎になっている。No107『一盗二婢』『女の味は一盗二婢』では異同はもっと激しく、次のようになっている。


一盗二婢女の味
四人姉妹の三女、四女の名前朝子、周子周子、稲子
湯宿の主人の妻筆子千枝子
女中の一人大原絹代大原君代
女中に対する礼金三千円一万円

これらの異同に就いては、好意的に考えて、所謂潤色の範囲とすることも可能であるが(勿論、何故変更しなければならないのかの回答を得ることは難しい)、異なった資料であるにも拘わらず、その内容の一部が重複しているケースはどのように解釈すれば良いのであろうか。

問題の資料は、Y-22『少女教育の一つのこころみ』及びNo216『寝玉門を犯す』に於ける各々私の少年時代の思い出であり、非常に酷似した内容である。違いは、同級の友達の名前が前者ではE、後者では敏夫、その妹U子六歳くらいが、後者では梅子十四歳、になっていることと、私の頼みに対して前者では何も起らないが、後者では最後まで行ってしまうことである。その他の状況設定は、場所も時間も妹の容姿も全く同一である。名前はともかく(行為の有無は見逃せない問題ではあるが)、シチュエーション(文章表現も)が同一であるのは資料の信憑性から見て重要である。

資料番号の混乱はもとより、その内容にまで混乱を生じたまま発表を続けた高資料整理委員会とは何であったのか、彼等のした仕事「高資料」の整理とは一体何であったのか、不可解の一語に尽きる。これらの疑問に対する答えとして、整理委員会の名称は同一でも刊行毎に組織を再編しているため、一貫性に欠けるのではないかとも推測できるが、この仮説では「高資料」の一貫性、しいては原資料の存在にまで疑問が広がってしまい、肯首し難い。別の解として、元々整理委員会という組織は無く、従って、資料が整然と整理されていないのは当然である、との考えがある。この説をとると、先に想定した整理委員会代表龍膽寺雄の立場をどのように考えるのかとの新たな疑問が湧いて来る。

疑問が疑問を呼ぶ(これが「高資料」が面白く興味の尽きない所以であるが)「高資料」の謎を解く鍵、高資料整理委員会を見てきて更に深まった疑問、総ての疑問の根がその名称となった、高伴作という人物にあるのではないかとの観点から、次回は高伴作に焦点を当てて見る。


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