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2.資料概観

此の資料は、元回春堂病院長、雑誌『性と愛』主幹、ドクトル山尾清氏の追憶をめぐって結成させた第三次木曜会の同人が蒐集した性生活記録を、同会解散後、同人中若干の有志が整理したもので、文章調整にあたって、無味乾燥な単なる手記々録に過ぎなかったものに、聯か文学的潤色を試みた。

で始まる紹介文「『高資料』に就いて」と共に最初の資料である『輪姦願望』が発表されたのが、雑誌【生活文化】(生活文化資料研究会・会長広橋梵)十号誌上である。昭和二十九年二月(雑誌の発行は通常一月早いので、一月が正しいかもしれない)「高資料」と称する性生活記録集の存在と、高伴作なる人物が初めて世に出た時である。「高資料」にまつわる謎もこの時に始まる。

「高資料」【生活文化】に四回に亘って二編が分載され、二編目『窃視録』前編発表後の【生活文化】十三号(この号に「高資料」関係の記事は無い)と一緒に{高資料文庫}刊行案内が同刊行会の名前で会員に配られた。「高伴作先生編限定私蔵版」と銘打ち、十一巻の発表案内と共に、資料Noなる整理番号(?)が付加されていた。記録の内容に就いては、千姿万態、類型のものは無く、極めて現実的な内容を持ち、フィクションの類では無いことを力説している。資料(記録)全体が二百数十編に及ぶことにも初めて言及しており、【生活文化】に掲載された二編は、その中の整理済みのものの一部である旨の解説がなされている。

しかし、{高資料文庫}が実際に刊行されることは無かった。同年五月下旬に第一巻「肉慾下道」を配本予定であったが、配本を開始する前(版組、印刷、製本のどの段階まで進んでいたかは不明であるが)の六月一日に司直の手が入り、刊行会が置かれていた生活資料文化研究会本体が潰れてしまったためである。この六月の騒動は【生活文化】のみならず、当時の軟派出版界(会員制のと付け加えた方が正しいかもしれない)全体に及んでいる。軟派出版界の活動が、「相対」を除いて丸々一ヶ月停止したこの事件に就いては、別の機会に述べることもあるかと思う。

生活文化資料研究会が潰れた後、その志は造化研究会(会長川崎清一)に引き継がれた。{高資料文庫}{風俗資料}と名を替え、造化研究会内の風俗資料刊行会から発刊されることになる。当然(?)のことながら「高資料」の名称はもとより、高伴作の名前も消えている。回春堂病院はK病院になり、ドクトル山尾清はY博士として登場する。高伴作が退場したため、資料の成り立ちは編集者である広橋梵が、己の信条と共に序文に書くことになってしまった。

内容に就いては、『肉慾下道』として案内のあった資料が、『閨鬼』として一巻に発表された以外は、{高資料文庫}に案内の資料は何も発表されなかった。これは現在に至るも未発表のままである。{風俗資料}は三巻まで刊行(発刊時期は推定)されたが、その母体であった造化研究会もまもなく潰れ、更にその後を継いだ新生活研究会(会長川崎清一)には最早「高資料」を発表するだけの余裕は無かった。

昭和四十五年六月、沈黙を守っていた「高資料」が、突如公刊誌である【えろちか】12(三崎書房)に発表された。唐突とも思えるこの発表は、新たな展開を見せた。高伴作が昭和三十八年に死亡したこと、「高資料」は第三次木曜会が集めた資料のみならず、高伴作自身が蒐集した資料も含むこと、その資料が大学ノート百冊に及ぶこと、などが解説『高資料について』で述べられている。高伴作が死亡したため、資料は高資料整理委員会なるものが整理し、発表する、という形をとることになり、以後の発表は総て同委員会の名の元に行なわれる。

ここでは、【えろちか】に六編、その後の三崎版に二編、計八篇の新資料が発表された。三崎版は、【えろちか】に発表された資料を基本に(題名は若干異なっているが)、『少女教育の一つの試み』『マコト会始末記』の二資料を追加したものである。第一期に比較して不完全燃焼の故か、迫力不足のためか、他の何らかの理由によるものかは全く不明であるが、【えろちか】そのものが、その後も昭和四十九年まで続いたにも拘わらず、何故か新たな発表はなされないまま姿を消してしまった。やはり「高資料」に公刊書は似合わないのかもしれない。

この第二期には資料そのものの発表の他に、資料にまつわる種々の環境が公になっている。先の大学ノート百冊もその一つであるが、『ある副業の効果』の後記に於ける「高資料整理ノート(整理ノート六十二冊、未整理ノート二十一冊)の後記で、高伴作氏はこう書いている。」という記述から、百冊といわれるノートは、実際は八十三冊であることが分る。同様に、『夜這いの経験』の解説には「ドクトル山尾清氏の手元から出された資料と、本資料の編纂者・高伴作氏自身が蒐集したものがあって、それらはいずれも原資料番号の肩に、前者はY、後者はKの記号が付けられている。Y記号の資料は、大学ノート二冊(最後の十六ページが空白)で」とあり、山尾清が蒐集した資料はたったの二冊、他の大部分は高伴作のノートであること、資料番号にYとKがあることも、初めて明らかになった(尤も、Y番号で発表された資料はY-12『少女教育の一つの試み』だけであるが…)。また、『マコト会始末記』の解説には、高伴作が整理した資料及び自身で蒐集した資料は総て神楽坂某文具店の店名入りの原稿用氏に書かれている旨の記述もある。


補足
この時点では、第三次木曜会は何処かへ行ってしまい、山尾清高伴作のみが資料を収集したかのようにとれる記述になっています。

昭和五十八年、三度目の登場は、再び公刊書としてであった。{高資料叢書}(桃源書房)第一期十巻として案内されたが、これも四冊が発行されたのみで、頓挫してしまった。資料の内容は、前書き『高資料について』「本叢書は、高氏の生前及び死後に、整理委員会が部分整理し、某誌に潤色して発表したものを中心に、性ドキュメント・シリーズとして、第一期十巻を個々に発表するものである。」と述べている通り、第一巻は一期(伏字が施されている)及び二期の資料が再録されている。残りの三冊は新発表の資料である。


補足
本稿を書いた時点では、【小説官能読切】の内容を知りませんでしたので、「某誌に潤色して発表したもの」の某誌が、【生活文化】【えろちか】だと思っていたのですが(第一巻の内容はそうであった)、実際は【小説官能読切】に連載していたものが大半を占めていた訳です。

二年後の昭和六十年、{高資料}(東洋芸術院貴重文献刊行会)全十二巻の案内があったが、六冊を刊行した所で三度中絶してしまった。しかも、発表された二十一編の資料の内、六篇が{高資料叢書}と重複する。重複とは言いながら、全く同一ではなく(最も大きな違いはホットパート削除の有無であるが)、題名、小見出し、及び登場人物名の一部に異同がある。未発表のため、想像の域を出ないが、題名などから判断して、他にも三編から四編が重複していたと考えられる。重複を確認している資料は次の通りである。

高資料叢書東芸版高資料
第三巻
好きな女妖僧の淫溺祈祷
卍ともえ合戦三つ巴色事遊び
女子寮物語女子寮エロ奇譚
第四巻
小さな色魔赤貝と蛤
淫蕩尼淫蕩尼物語
一盗二婢女の味は一盗二婢

追記
本稿を執筆中、十年程前から「高資料」を発表し続けている雑誌の存在が判明した。公刊誌であり、凡そ「高資料」とは縁の無さそうな雑誌_ため、見落としていたものである。この件に就いては、整理が済み次第本誌に発表の予定である。


補足
実際のリストは最終回の末尾に載せたのですが、今回は体裁の関係から作品一覧中にまとめました。ここでも、重複している資料の元は【小説官能読切】であることが、後日判明しました。

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