後に、昭和の、否、日本の発禁王と言われることになる梅原北明は、当初プロ文芸誌【文芸市場】を発行していた文芸市場社を拠点にしていた。 しかし、赤から桃色に転向したと言われた軟派出版に進出した時は、文芸資料研究会を起こし、雑誌【変態資料】を創刊するに当たっては、文芸資料研究会編集部を発行名義にした。同編集部が【変態資料】他の摘発で内部分裂を起こした後は、文芸市場社に活動拠点を戻した。分裂した他派が衰退していく中で、独り奮闘した北明は、文芸市場社の他ソサイテイ・ド・カーマシャストラ、グロテスク社、談奇館書局と名義を替えていったが、刊行の実態は総て文芸市場社であった。
文芸市場社は多くの軟派ものを刊行しているので、当然刊行案内や通信ビラも多くだしている。但し、案内が出たものが総て刊行されている訳ではないのは、他と同じである。叢書として案内が出たものに{愛に関する世界的古典}、{市場叢書}、{変態猥褻往来}が揚げられるが、何れも一、二冊刊行しただけで中絶しているため、刊行されたものは現在では単行本扱いになっている。
北明が軟派街道をまっしぐらに進ことになる出発点となったのが、雑誌【変態資料】の創刊である。ネーミングに限って言えば、既に{変態十二史}シリーズを始め、変態を冠したものが硬軟取り混ぜて刊行されているので、それ程のインパクトがあったとは思えないが、内容は全く別であった。度々引き合いに出される伊藤晴雨の妊婦逆さ吊り写真の(無断)掲載は有名であるが、佐藤紅霞の『性欲学語彙』や民俗、風俗関連の論考記事には見るべきものがある。
詳細は雑誌総目次【変態資料】参照のこと。
【変態資料】を離れた北明は、休刊状態であった【文芸市場】を復刊させ、完全な軟派路線に移っていった。軟派路線転向後の雑誌の詳細は【文芸市場】参照のこと。
この種の案内は通常封書によるが、これは葉書による通信である。根本的に改革された【文芸市場】(休刊状態後に復刊された六月号)の刊行、上海より邦訳される「愛に關する世界の秘籍」(後に秘籍が古典に変わる)第一回配本の案内が書かれている。【変態資料】がらみでのゴタゴタはあったが、まだ北明が勇名を馳せる前の時期なので可能であったと思われる。
俗に「文芸市場社本」と言われるものは、単行本の形で語られることはあっても、北明が意図した出版全体での位置付けで論じられることは少ない。この{市場叢書}裏表を初め、{愛に関する世界的古典}や{変態猥褻往来}といった、企画された叢書の全容が良く分からないのと、実際に刊行されていないためであると思われる。関係者が現存しているとは考え難い現在、それらを知る手段は当時の刊行案内以外には無く、これらが新たな北明論を促すきっかけにでもなれば、と考えている。
|
このビラは{市場叢書}刊行の趣意、と第一巻「淺草裏譚」の目次で占められている。
【文芸市場】の終刊号となる「九、十月合併号(世界デカメロン号)」(昭和二年十月)の刊行案内である。「急告!番外通信に就いて」と題した、フランス直輸入の絵葉書の案内も載っているが、宛名書きが大変なので、住所氏名を書いた封筒を送って貰えれば、中身を入れて返信する旨の記述があり、もたもたして当局に踏み込まれる愚を犯さないための合理化精神も発揮している。
{愛に関する世界的古典}の最初の刊行案内である。十六冊の書名が掲載されおり、内九冊に簡単な解説が付いている。
一千一夜物語 | 亜剌比亜 | 「アラビアンナイツ」酒井潔、昭和二年五月(発禁) |
色道禁秘録 | 土耳古 | 「ヱル・クターブ」昭和三年三月頃(発禁) |
匂へる園 | 亜剌比亜 | 未刊 |
愛の聖典 | 印度 | 「アナンガ・ランガ」のこと、未刊 |
愛の秘密 | 印度 | 「ラティラハスヤ」のこと、未刊 |
娼婦の奥義書、媒介者の栞 | 印度 | 未刊 |
猥な花、リブル・ド・ボリユーブテ | 東洋諸国 | 未刊 |
情海異聞類聚 | 波斯 | 未刊 |
風流色懺悔 | 西班牙 | 未刊 |
不謹慎な寳石 | 仏蘭西 | 未刊 |
戀愛術 | 羅馬 | 未刊 |
亜剌愼艶話集 | 伊太利 | 未刊 |
春色戀紫 | 独逸 | 未刊 |
娼婦繪物語 | 希臘 | 未刊 |
素女妙論 | 支那 | 未刊 |
老人若返法 | 英国 | 未刊 |
国名が総て漢字であるなど(一つだけ空では読めなかった)、時代を感じさせる。この叢書として刊行されたものは、「アラビアンナイツ」と「ヱル・クターブ」のみであるが、「薫園秘話」(上森健一郎、昭和三年三月)は文芸資料研究会編集部から、「愛の聖典」は「愛人秘戯」(竹内道之助、昭和三年十二月)として文芸資料研究会から刊行されるなど、北明の傍系によって一部が現実化している。また、北明自身も、ガラスや板を表紙に使った奇抜な装幀の「不謹慎な寳石」(耽奇館主人、国際文献刊行会、昭和四年十月)、「戀愛術」(山東社、昭和六年一月、上巻のみ)を刊行しているので、各々の作品に対する入れ込みは強かったことが予想される。
「老人若返法」は国際文化研究会から刊行案内が出たようであるが、現存するのは、ガリ版によるペラペラの部分訳のみである。{世界珍籍選集}の第九巻に収載されていることから、単行本としても存在したはず、との説もあるが未詳。
|
|
|
{市場叢書プライベート}の第一回「日本張形考」の刊行案内が主内容ですが、【文芸市場】倍大号や表の{市場叢書}第一回「淺草裏譚」の発送に関する通知、「番外通信」としてフランス直輸入の絵葉書の案内などが盛られています。
【文芸市場】の後続誌として刊行した【カーマシャストラ】を中心とした時代である。北明が最も地下出版的な刊行を行っていた時期でもある。従って、残存している関連資料も多くはない。
雑誌の詳細は【カーマシャストラ】参照のこと。
【文芸市場】の最終号刊行の後、上海に渡る直前のものと思われる読者通信のビラである。
この通信ビラに書名が載っている叢書、{市場叢書}と{愛に関する世界的古典}の内容を次に掲げるが、大部分が未刊である。「日本張形考」が刊行された事実はないが、一部(見本刷り?)出まわっているようである。
市場叢書 | ||
---|---|---|
淺草裏譚 | 石角春之助 | 昭和二年九月(伏字表が発禁) |
全訳「金瓶梅」 | 酒井潔 | 未刊 |
日本浴場史 | 酒井潔 | 未刊 |
市場叢書プライベート | ||
日本張形考 | 酒井潔 | 未頒布 |
日本性愛猥淫辞典 | 佐藤紅霞 | 未刊 |
変態性欲犯罪史 | 梅原北明 | 未刊 |
{愛に関する世界的古典}の最初の刊行案内が手に入り、全容を上記に追加しましたので、ここのリストから削除致しました。
【カーマシャストラ】の続刊案内と、毎度お馴染みの送金依頼、その他刊行状況などのチラシと、「世界猥褻名画集(第二集)」の刊行案内である。この時期、北明は雑誌や単行本の他、性を題材にした画集も色々頒布している。
前半部分は、フックスの「カリカチュアにおけるエロティックの要素」初版から取った挿画集の取次案内である。五百部限定の内、百部足らずを入手したので、頒布する旨の案内であるが、何か怪しい。第一に発行元があやふやである。輸入ものなのか、国内の何処かで発行されたのかが判然としない。輸入であるならば、限定数の二割が日本に輸入されるというのは信じられない話であるし、国内で製作されたものであるならば、信憑性の点からも、もう少し詳しい出自が必要に思われる。恐らくは、原書を手に入れた北明が国内で印刷したものであろう。
後半は「日本○○俗謡集」の案内になっているが、「日本猥褻俗謡集」、表紙タイトル「CHANSON DE L'AMOUR」のことである。この案内には『今度小生友人某君(特に暫く秘す)が物好きにも左の如き珍品を編纂し、同好者に頒けてくれと言って來ました。
…略…部數 四百部限定(但し當社取次は約百部程)』
とあり、文芸市場社とは関係ない所、もしくは個人が四百部刷り、文芸市場社頒布分として百部を分けたように見える。しかし、後で出てくる「亡者が娑婆に歸宅を許されたる話」と題した近況連絡通信には、発禁処分を受けたリストに『(3)日本猥褻俗謡集』
も入っていることから、文芸市場社の刊行と見て間違いないであろう。
この号外付録が何の号外に於ける付録であるのかの確証はないが、新年の挨拶があるなど時期的なことから、【カーマシャストラ】二号別冊と称されているものに添付されたものではないかと推測できる。この付録は菊版原紙半裁の大型判であり、中味は盛り沢山である。
「お客づら御免」として百五十名の会員を除名する旨の声明文、叢書{変態猥褻往来}の刊行案内、「日本張形考」が事件になったための代替品「志とり古」の刊行予定と未予約者に対して五十部を追加作成すること、「日本猥褻俗謡集」五十部追加のお知らせ、「エル・クターブ」発送予定のお知らせ等である。
{変態猥褻往来}は十二冊が予定されていたが、実際に刊行されたのは昭和三年三月に出た第一集の「夜這いの巻」(発刊時のタイトル「夜這奇譚」)のみである。
夜這いの巻 | カイヤの巻(婦女誘拐) |
魔窟の巻 | 乞食の巻 |
寄席芸人の巻 | タカモノの巻(曲芸団其の他) |
泥棒の巻 | 妾畜の巻 |
淫浪淫売婦の巻 | 不良少女の巻 |
お座敷落語の巻 | 香具師の巻 |
|
|
|
市ヶ谷刑務所に拘置されていた北明が仮出所し、公刊誌【グロテスク】を創刊、軟派関係ではない一般人の耳目も集めていた時代である。
【グロテスク】の刊行案内を兼ねた出所挨拶、『亡者が娑婆に帰宅を許されたる話』は、北明が関係して、刑法百七十五条や出版法違反で摘発されたものの一覧が載っているなど、資料的な価値は高い。このリストを見ると、書籍の形になっているものは出版法(もしくは新聞紙法)、画集や資料集のように、直接目で見るようなものは刑法百七十五条の適用を受けていたようである。 【文芸市場】の終刊号(昭和二年十月)から【カーマシャストラ】第六号(昭和三年五月頃、未頒布)迄の間に摘発されたものの一覧であるが、疑問点もある。
雑誌【グロテスク】と平行して刊行していた{談奇館随筆}の第五巻、「ナポリの秘密博物館」他の刊行案内である。斎藤昌三の「蔵書票の話」は、本邦初の蔵書票に関する文献だそうであるが、未見のため詳細は不明。
「ナポリの秘密博物館」は羽塚隆成の訳で、添付予定の図版が引掛かり、即日発禁になった、と伝えられている。第六巻の「続秘戯指南」よりも発行月が遅いのは、その辺の事情によるものであろう。刊行案内の扉が「バルカン・クリーゲ」の挿絵になっている理由もよく分らない。{談奇館随筆}は半地下出版的な手法で刊行されたものであるが、発禁の連続であった。
「ぺるしゃ・でかめろん」は下條雄三の訳で昭和四年十一月に刊行されたが、発禁処分を受けている。「ナポリの秘密博物館」と「ぺるしゃ・でかめろん」の発行元は文芸市場社であるが、発行名義人は鈴木喜一郎になっているので、北明が同社を去った後の刊行になる。
らぶひるたぁ | 酒井潔 | 昭和四年三月 | 発禁 |
秘戯指南 | 梅原北明 | 昭和四年五月 | 発禁 |
香具師奥義書 | 和田 | 昭和四年五月 | |
同性愛種々相 | 花房四郎 | 昭和四年五月 | 発禁 |
ナポリの秘密博物館 | 羽塚隆成 | 昭和四年十一月 | 発禁 |
続秘戯指南 | 梅原北明 | 昭和四年八月 |
|
|
大部の好色本解説書「世界好色文学史」(昭和四年一月、六月)もこの時期の刊行である。全三巻の予定で案内が出、全冊購入予約者に対する進呈品の案内ビラもある。刊行案内の表紙裏に装幀見本の書影が載っているが、良く見ると、原本の背に日本語で「世界好色文学史」と書かれた紙(布?)を張っただけの代物であることが分かる。勿論、出来上がったものは総革装の立派なものであるが(原本は紙クロース)、短期間で次から次へと新刊を出し続けている中では、仕方のないことかも知れない。
談奇館書局の元に刊行を企てた「ビルダー・レキシコン」は「絵入」と冠されるように、図版を多用した性の百科事典である。文芸市場社五周年記念出版として上下二冊の大部の冊子になる予定であったが、発刊前に事件になり、分冊の形で刊行が実現した。しかし、それも、五冊刊行したのみで中断してしまった。刊行案内には「A〜Z」迄の見出し語のサンプルが十九ページに亘って列記されていたが、結局日の目を見たのは、「E」の途中までである。
刊行案内の表紙(裏表紙も)に、本文中の図版から、コンドームに関連する写真を使用するという大胆な企画が実行されたが、このような刊行案内が当局の検閲を通るはずもなく、秘密裏に頒布されたのは確実である。最後のページに、【グロテスク】八月号の刊行案内が添付されている。
{世界性愛談奇全集}全六巻の刊行案内(未見)が山東社から出て発禁になった。北明と小生夢坊の編集になる叢書である。叢書として完結せず、二巻のみの刊行で潰れてしまったのは、時代がこの種の出版を否定し始めていたためであろうか。何れにしても、北明が軟派出版から足を洗うまでの時間は後少しである。
絵入恋愛術(上巻) | 梅原北明 | 昭和六年一月 |
絵入恋愛術(下巻) | 梅原北明 | 未刊 |
絵入日本性愛奥義編 | 尾高三郎 | 未刊 |
絵入世界性愛文学編(上巻) | 小生夢坊 | 未刊 |
世界艶情小説集 | 梅原北明 小生夢坊 | 昭和六年五月 |
東洋艶情小説集 | 青山倭文二 | 未刊 |
【グロテスク】を離れ、史学館書局を起こした北明が、未刊のままであった「世界好色文学史」第三巻の刊行を再度試みた時の刊行案内である。「明治大正綺譚珍聞大集成」下巻を三百部限定で刊行したが、五十七部しか申込が無かったことの報告を前段に、「世界好色文学史」の続刊を読者に相談している内容である。 応募人数により刊行の実現性や価格などを決定する旨のお知らせと、それに対するアンケート葉書が添付されている。組版は終わっているが、先の状況に懲りたため、採算の面から三百部以下の予約申し込みでは絶対に刊行をしない、と明記している。人数が集まらなかった(現にアンケート葉書の一枚は送付されずにここにある)のか、別の理由によるものかは分からないが、第三巻は遂に発行されることはなかった。本当に組版が済んでいたかどうかの確認は出来ないが、「近世社会大驚異全史」のような大部の出版などで力尽きてしまったのであろうか。