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閑話究題 XX文学の館 談話室

別冊太陽「発禁本III」
ちょびっと補遺


別冊太陽の発禁本シリーズ第三弾「発禁本III」(構成・米澤嘉博)が刊行された。三冊でシリーズが完了したということで、巻末にシリーズ全体に亘る書名と人名の索引が付いている。資料として使うためには欠かせない配慮で、このシリーズの価値を一層高めるものである。今回は、前回の「地下本の世界」とは打って変わって、サブタイトルに「主義・趣味・宗教」とあるように、思想や宗教の発禁本に力点が置かれている。第一弾の「発禁本」の時からメインになっている城市郎氏の蔵書に加え、国立国会図書館、長尾桃郎文庫、向坂文庫からもセレクトしている。

どの様な分野の蒐集でも、特定の分野を突き詰めて行くと壁に当たる。見ることも不可能な稀覯本であったり、高価すぎて手が出なかったり、揃い物の一冊が抜けていたり、と事情は色々であろう。地下本や発禁本という分野に於いても事情は同じである。世の中に存在しないことが前提の戦前の発禁本は、全てが稀覯本とも言えるが、違法とも言える頒布方法を採ったものは存外に残っている。残っていないのは、頒布前に摘発押収されたもので、流石に手に入り難い。そもそも、存在するのかどうかを推定することすら出来ない。無いなら無いで仕方がない、と諦めもつくが、ひょっこり出てきたりするので始末に負えない。出てきて初めて存在していたことが確認された、という結果のみの世界である。

本来は、出てきて初めて確認されるというのもおかしな話で、以前の所蔵者はそのことを知っていたはずである。この種の書籍がマニア以外の一般の家庭に眠っていることは稀であろうし、蒐集した本人が亡くなっていたとしても、生前は意識して所蔵していたはずである。 それが、公にならないのは、外に向かって発信しないからであり、「真の蒐集家は蔵書の自慢はしないものである」なる言葉を聞いたこともあるが(公には知られていない大蒐集家は大勢いそう)、独りほくそ笑んでいたのであろうか。してみると、突然出て来たように見えるのは、それを入手したおしゃべりな連中がいるために他ならない。例えば、館主のように…。

地下本ではその傾向が更に顕著である。秘密裏に出版するのであるから、刊行書目のようなものは、はなから存在せず、江戸艶本と異なり、蒐書目録のようなものも無いであろう。しかし、千を単位とする数が刊行されていることも、ほぼ間違いない。突き詰める所か、集め始める前から既に壁にぶち当たっているという情けない状態が出発点である。別冊太陽の発禁本シリーズは、その点からも評価されるべきものであろう。初めて公開された蒐書目録なのであるから、「わぁ、スゲー」ではなく、「よし、俺も」となる人が出てきて欲しいものである。そこに一冊あるということは、他にもほぼ確実にあると思って間違いない。肉筆ではなく、印刷物なのであるから。

しかし、そのようなものが出てきたからといって、全く手が出ない程の高値であることは少ない。サラリーマンの小遣いとしては法外でも、高価すぎて手が出ないという程の壁は最近はあまりない。あるとすれば一括で出て来た場合であろうが、これはどの分野でも同じである。余力のある人が何とかしているのであろう。

個人で特定の分野をまとめきるのは難しい。地下本や発禁本の世界に於いては特にその感が強い(誰でも自分の分野が一番難しいと思っているのでしょうが…)。従って、入手した人は何らかの手段でそれを公開して欲しい。稀覯本だからといってしまい込まないで欲しい。そこから新しい展開がなされる可能性を信じて。「発禁本」シリーズがその嚆矢である。

今回の「発禁本III」は、思想や宗教などの発禁本が主になっているので、館主の手に負えない。色気以外に興味のない館主としては、先行する二冊に就いて指摘したような補遺が作れない。かろうじて、趣味や限定本の分野がかすっているのであるが、限定本を目的に蒐集したこともなく、集めたものがたまたま限定本であった、という分野違いである。重箱の隅をほじくるようにして何点か拾い出したが、あまり役に立つようなものにはなっていないと思われる。シリーズが完了したということで、この補遺シリーズも綺麗に締めたかったのであるが、広範囲の分野をカバーしていない館主の力量不足が祟り、まともな補遺は作れないという惨めな結果に終わってしまった。補遺が出来なかったので、ダラダラと駄文を連ねてしまったが、何とかくじった、いや、ほじった重箱の隅をご笑覧下され度。

凡例
:明らかに間違っているもの
:間違っていると疑われるもの
正しいと思われるもの
:確認できないが正しいであろうと推定されるもの
追加すれば完璧になると思われるもの
:館主個人の感想(独り言)です

趣味と研究
戦前戦後を生きた趣味人たち
134それに、戦後参列していった岡田甫、林美一、花咲一男……。
岡田甫が「末摘花」を始めとする古川柳や、近世軟文学の研究で活躍したのは確かに戦後であるが、戦前の雑誌「古今桃色草紙」(確認済)や「でかめろん」(未確認)にも寄稿しているので、戦後に参列(参戦?)というのは、当たらないと思う。本シリーズの一冊目「発禁本」の90頁に、『岡田甫編「性的珍具辞典」「匂へる園」終刊第5輯付録 昭和8年』が載っているが、当時の名だたる軟派雑誌の一つに個人編集で付録を付けるなどは、尋常の関わり方ではないと思われる。
川柳と艶笑
154「末摘花」「俳風柳樽」は、その性のあけすけさのため禁書扱いであり、研究・解題など大半が当局の忌諱に触れていた。
「末摘花」に就いてはその通りであるが、「柳多留」もそうであろうか。確かに、「末摘花」は「柳多留」から抜粋した句が多くを占めているが、「柳多留」の大半は性とは何の関係もない句集である。「柳多留」という言葉に当局がピリピリしたという話は寡聞にして聞かない。確かに、浮世絵と言えば春画、川柳と言えば卑猥、という連想があったとは思うが…。

限定本と地下本
珍書から限定本へ
187『DER NACKTBALL IN DER ANNAGASEE』には括弧書か何かで「ウイーンの裸体倶楽部」と入れておくと親切かな。
戦後の発禁限定本
197『無題』のタイトルは「Galante Exerzitien des Pater Benedikt」「ベネディクト神父恋の修行」とでも訳すのでしょうか(日本語にもその気がありますが、それ以外の言語には全く不自由していますので、間違っていたらごめんなさい)。昭和初期に刊行されたものを書き直したもの。
愛好家に夢を与えた美和書院主、馬淵量司
珍書から限定本へ
200紅鶴版第3輯『江戸三大綺聞集』の収載作品に、「逸著聞集」が抜けている。これが無いと『三大』にならない。
『江戸三大綺聞集』の伏字表が掲載されているが、紅鶴版第一巻『好色三大伝奇書』を除く全てに伏字表があることも述べて欲しかった。 紅鶴丹頂(美和書院一件) を参照。
201紅鶴版第七輯『水のゆく末』の収載作品「春情妓談水揚
帖ではなく、が正しい。重箱の隅だぁ。
202丹頂版第5輯『話をきく娘』の収載作品に、「夜の秋」が抜けている。
性関連限定書屋の今
210太平書屋の『珍冊春冊』が掲載されているが、巻頭口絵の内、江戸艶本の分を載せている。しかし、発禁本をテーマにする本シリーズの立場からは、一部とは言え、初めて公開された「論語通解」のカラー図版を紹介すべきであろう。Web上の制約から、部分図ならば当館でも公開しているが…。
211『風俗資料(「高資料」)』(全3巻)に復刻元の銀座書館を追加する。同書館では、他にも「セイシン・リポート」と同様な形で「相対会研究報告」も出しているが、載っていないのは何故であろうか。

書名索引
本編の誤りをそのまま持ち込んだり、抜けている部分があるのは、ある程度は仕方がないと思う。全体を検証する時間も労力も今は無いので、致命的なもののみを指摘する。
294「い」の項の茨の垣
「茨の垣」は、『いばらのかき』ではなく『ばらのかき』と読むのが正しい。美和書院、紅鶴版の配本予告には確かに『いばら』とルビが振ってあるが、原本には著者自身の手で『ばら』とルビが振ってあるので、こちらが正式な読み方である。秘本縁起内の、山路閑古の秘本茨の垣』を参照。
278「安江と云う女」の叢書名が「世界艶笑文庫」になっている。
「安江と云う女」は、同じ紫書房ではあるが、「むらさき文庫」のシリーズである。
277「るつぼはたぎる」の叢書名が「世界文学叢書」になっている。
「るつぼはたぎる」は、世界文学研究会からも頒布されているが、「世界文学叢書」のシリーズではない
このことは、当館開館を決断するきっかけの一つでもあったのだが、戦前にそのことに就いて触れたものは知る限り無く、戦後程なくして唱えられてから五十年以上、誰も反証しないまま既成事実化しているものである。結局、幾ら証拠を出しても、当館の知名度の低さからは、如何ともし難いと言うことか…。気長に待とぅ。 『世界文学叢書と「るつぼはたぎる」』「戦前の刊行案内と通信ビラ」『世界文学研究会』を参照。

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