閑話究題 XX文学の館 珍書屋 戦後の研究会 近世庶民文化
一号 〜 九号
創刊号から三号までは雑誌というよりはパンフレットと言った方が正しい代物で、一枚刷りの片面印刷に切込みを入れ、折り畳んで小冊子にしている。
片面印刷なので、総ページ数もわずか八頁である。記事も総て主宰者の岡田甫が執筆しており、完全な個人誌である。来年からは年一回は諸家の寄稿を仰ぐが、当面このままの個人誌で行く旨の案内があり、三冊毎に表紙を作成すると宣言している。
従って、この三冊には表紙に相当するものが無いが、後に予告通り三冊まとめて包むための表紙が頒布された。
さらに、他の号との体裁があまりにも異なるため、創刊五周年記念の折に三冊合本にして再版したものが昭和三十一年八月に作られている。
この当時は母袋未知庵と廣田魔山人がほとんど毎号のように寄稿しているが、両人共博識並ぶ者なし、の感がある。
創刊号〜三号 |
| 頁数 | 刊年 |
|
1 | 8頁 | 昭和二十五年十月三十日 |
2 | 8頁 | 昭和二十五年十一月二十四日 |
3 | 8頁 | 昭和二十五年十二月二十五日 |
創刊号
バレの語源的考察 | 1 |
女の作つたバレ句 | 2 |
註解餘滴 肥後芋莖 | 3下囲 |
考證 俳風末摘花註解(1) | 4 |
後記 | 8 |
二号
「末摘花」三篇に關する新發見 | 1 |
註解餘滴 りんの玉 | 3下囲 |
考證 俳風末摘花註解(2) | 4 |
來信一束 |
|
三号に初めて別丁の資料が付いた。この資料は以後も資料室という形で、雑誌本体に組み込まれたり、別丁の付録の形を取ったりして当分の間続くことになる。
三号
「バレ」再説 | 1 |
考證 俳風末摘花註解(3) | 3 |
長命丸の効能 | 4 |
〈来信〉 | 5 |
大津絵節のバレ唄 | 別丁8頁 |
諸大家の寄稿を仰いだ第一弾として四号が発刊され、ページ数も四倍、表紙も付いた雑誌らしい形態であった。目次を表紙の裏、裏表紙の裏及び裏表紙を編集後記に充てるなど本文ページ以外もフル活用し、掲載記事の充実を図る構成になっている。
表紙の柄も四ツ目屋のチラシをあしらうなど、いよいよ江戸文芸誌の本領を発揮して行く。冊子の形式は、表紙、本文共に綴じられてなく、包み表紙のままである。
年一回の予定であったこの形式が五号以降も継続され、この種の個人主宰雑誌として最長不倒への道を歩み始める。
四号 〜 九号 |
| 頁数 | 刊年 |
|
4 | 32頁 | 昭和二十六年二月十五日 |
5 | 32頁 | 昭和二十六年四月三十日 |
6 | 32頁 | 昭和二十六年七月三日 |
7 | 32頁 | 昭和二十六年九月三日 |
8 | 32頁 | 昭和二十六年十一月十日 |
9 | 32頁 | 昭和二十六年十二月二十五日 |
四号
目次 | 表紙裏 |
洒落本の埒外 |
尾崎久彌 | 1 |
末摘花研究の先駆者 五猫庵例外 |
齋藤昌三 | 4 |
「あなをかし」初刊本 |
魔山人 | 9 |
「末摘花」の詩 |
正岡容 | 11 |
雨鳥舍漫考 態位うたづくし
|
高橋鐵 | 14 |
川柳緬鈴考 |
未知庵主人 | 17 |
末摘花研究と岡田甫 |
原比露志 | 24 |
難解バレ句注解(遺稿) |
澤田五猫庵 | 27 |
東西通信 | 21下段 |
質疑應答 | 26下囲 |
茶室 | 30 |
編輯後記 | 裏表紙裏 |
次號豫告 | 裏表紙 |
古川柳の各々の句が言わんとしていることには、誰でも直ぐ理解できるものもあれば、現在では意味が分からなくなって解釈不能、或いは解釈がバラバラという所謂難句と呼ばれているものもある。従って、句の解釈が食い違うことは再々で、本当の意味を探し当てる作業が古川柳の楽しみ(苦しみ?)の一つでもある。その様な解釈の違いを巡る論議が初めて当誌でおこったのが第五号誌上の『東西南北』欄である。論議は次号まで続くが、一方的な解釈ミスという諸家の意見で決着を見た。参考文献を取捨する際の考え方など、当時(十五年程前)本誌をはじめて手にして読んだ館主にとっては目から鱗の論議であった。
五号
目次 | 表紙裏 |
「色道禁秘抄」私考 |
魔山人 | 1 |
洒落本の埒外(承前) |
尾崎久彌 | 4 |
フランスのなぞなぞ |
三宅一郎 | 8 |
[通信欄] | 9下囲 |
「謎々」追補 |
鐵井尚則 | 10 |
小咄ト川柳 |
オカ・イチロウ | 13 |
難解バレ句注解(續) |
澤田五猫庵 | 15 |
岩波文庫「柳多留」(一)の正誤竝びに追補 |
山澤英雄 | 17 |
探本欄、受贈書籍雜誌 | 19下囲 |
東西南北 | 20 |
資料室 肥後端喜巻樣種々
- 〓〓〈いんよう〉手事巻
- 實娯教繪抄
- 艶道日夜女寳記
- 端喜余談(魔山人)
|
| 24 |
俳風末摘花註解(4) |
岡田甫 | 26 |
茶室 | 30 |
質疑應答 | 32 |
後記 | 裏表紙裏 |
營業部より | 裏表紙裏 |
次號豫告 | 裏表紙裏 |
六号
目次 | 表紙裏 |
「末摘花」五―八篇の出所 |
山澤英雄 | 1 |
名垂翁の翻案振 |
尾崎久彌 | 4 |
受贈雜誌圖書 | 4下 |
通信欄 | 5下 |
川柳の疣胡瓜 |
未知庵主人 | 7 |
東西南北 | 14 |
かむ論うき説 |
魔山人 | 23 |
岡田甫と私達 |
原比露志 | 20 |
「うきになる」ニツイテ |
オカ・イチロウ | 20下 |
自句自解 |
無價迂人 | 21下 |
資料室 色道實語教
|
| 27 |
茶室 | 25 |
一つの提案 | 32 |
質疑應答 | 裏表紙裏 |
後記 | 裏表紙 |
七号
目次 | 表紙裏 |
五月禁房説 |
魔山人 | 1 |
「末摘花」五―八篇の出所(承前) |
山澤英雄 | 5 |
半歳回顧(1) | 8下 |
「風俗秘語辭典」に引用の柳句について |
未知庵主人 | 9 |
川柳切落し |
大村沙華 | 17 |
半歳回顧(2) | 9下 |
新常陸振 |
山路閑古 | 20 |
「~の田艸」破禮句一題 |
高橋痩蛙 | 22 |
「ものにかかり」小考 |
久能清人 | 24 |
「ものにかかり」其他 |
K川五郎 | 25下 |
「註解」の著者へ |
諸家 | 26 |
俳風末摘花註解(五) |
岡田甫 | 28 |
茶室 | 30 |
質疑應答 | 32 |
「末摘花註解」の夕べ | 裏表紙裏 |
研究會御案内 | 裏表紙裏 |
後記 | 裏表紙 |
資料室 眞似鐵炮 | 別丁32頁 |
八号
目次 | 表紙裏 |
江戸語の「七兩二分」と川柳語の「五兩」
|
阿達義雄 | 1 |
定本末摘花の刊行(1) | 4下 |
「珍具考」に引用の川柳について |
未知庵主人 | 5 |
定本末摘花の刊行(2) | 10下 |
明治末摘花 |
礒邉鎭雄 | 11 |
「面白草紙」 |
高林秋之介 | 13下 |
「~の田艸」破禮句一題(2) |
高橋痩蛙 | 14 |
津液考 |
伏見冲敬 | 18 |
雜報 | 18下段 |
「~の田艸」(1)私見 |
山澤英雄 | 20 |
「末摘花註解」を讀む |
魔山人 | 21 |
茶室 | 25 |
資料室 さしまくら | 28 |
研究會抄録 | 裏表紙裏 |
雜報 | 裏表紙裏 |
研究會御案内 | 裏表紙裏 |
後記 | 裏表紙 |
次號豫告 | 裏表紙 |
本号の話題は「中條」流を何と読むかの考察である。俗に女医者とも呼ばれた、今で言えば婦人科に相当する医者の流派である。但し、古川柳に於いては、概ね堕胎専門の医者のことを指す。主宰者の岡田甫の主張は、江戸では「チュウジョウ」であると考えるが、「ナカジョウ」という読みの文献はあっても、「チュウジョウ」の読みを振った文献が見当たらないので残念である、と述べている。
他の二氏も本誌七号の資料室『眞似鐵炮』の句から「ナカジョウ」説を支持しており、自らの首をしめた恰好になってしまった。
九号
目次 | 表紙裏 |
雛の傾城について |
稻垣武雄 | 1 |
張形の觀察 |
魔山人 | 4 |
「珍具考」の川柳(補稿) |
未知庵主人 | 8下 |
岡田甫のトランク |
原比露志 | 9 |
マイクで |
奈良一彦 | 10下段 |
「~の田艸」破禮句一題(3) |
高橋痩蛙 | 12 |
チユウ條?ナカ條? |
佐藤秀太郎 山澤英雄 岡田甫 | 16 |
謎々あれこれ |
石曽根民郎 | 21 |
俳風末摘花註解(六) |
岡田甫 | 23 |
茶室 | 26 |
質疑應答 | 28 |
資料室 さしまくら(續) | 29 |
研究會報告 | 裏表紙裏 |
[眞似鉄銀(ママ)砲十三頁から] | 裏表紙裏 |
後記 | 裏表紙 |
發行所より | 裏表紙 |