この会員通信は昭和四年一月の日付で『世界好色文学史』第一巻予約金未納者に対する送金催促の連絡ですが、注目すべき点があります。「既に入金濟みの方へは昨年末送本しましたが、堂々九百頁を超ゆる大冊で……略……七十枚の挿絵は容易に得難き當代の逸品を集錄しました。」の一文です。ここに書かれていることが事実であるならば、昭和三年には出来上がっていて、同年に発送まで行われていたことになります。もう一点は挿絵が七十図であるという点です。以前ある本屋さんから「所蔵の本の挿絵は七十枚でしょうか?八十二枚でしょうか?」といった旨のメールを頂いて意味が分からず、「八十二図です」と返事をしたのですが、図版の数が異なる二種類の『世界好色文学史』第一巻が存在している、ということになります。同書は収集の初期に二冊そろって手に入りましたので、詳しい調査はしていませんでしたが、どちらの方が残存数は多いのでしょうか?
従来『フィルム式漫画集』として伝わっていたものの刊行側としての正式名称は『ヒルム式回転秘画集』ということです。この会員通信で重要なことは文末に小さな文字で書かれている「因みに、我が談奇館と文藝市場社とは異體同心ではありますが、その出版良心と経済的責任に就いて一言いたして置きます。今夏八月以来、談奇館の責任者は梅原北明で、文藝市場社は鈴木喜一郎が責任者であります。」の一文です。 文章内の記述から昭和四年十一月か十二月初旬の頒布と思われます。
左の会員通信は 「秘本縁起」内の「バルカン・クリーゲ」におけるバルカン戦争挿絵の頒布案内です。従来同画集は昭和二年の頒布とされていますが、このチラシから昭和五年二月が正しいと思われます。チラシ内にはバルカン戦争云々の文言はありませんが「戰爭に對する艶めかしげなる戰慄と恐怖、婦女奪掠に對する壓倒的サデイスムス」とあるように、内容は「バルカン戦争」を示唆しています。尚、このチラシの冒頭には「グロテスク」二月号以降が刊行できない理由が述べられています。右の会員通信は裁判で禁固五ヶ月の判決を受けて控訴した旨の記述がありますが、北明の活動は一旦ここまで(昭和五年二月)で終了と思われます。尚、両チラシ共北明の署名が入っています。
談奇館書局から昭和五年七月頃に出た『談奇館秘史』の刊行案内に、「例の出版法で此の間まで市ヶ谷の未決監に保養してゐた。これで三度目の奉公(?)だが」とあるように、二月下旬か三月頃に収監された後に出所したことを述べています。ここで三度目と言っていますが、一度目は雑誌「グロテスク」創刊前ですので、二度目は「グロテスク」刊行中ということになりますが、「グロテスク」二巻六号騒動の時か、二巻十一号が発行できなかった時なのか、時期が不明です。結局『談奇館秘史』は刊行されませんでしたが、この刊行案内の末に折込の一枚が追加され、表は『談奇館秘史』の目次ですが、裏面は「梅原北明 出版 輸入 發行 發禁書に就いて」と題した、北明が関わった全発禁リストになっています。
「亡者が娑婆に帰宅を許されたる話」には北明が文芸資料研究会から離脱して文芸市場を再編成した後から「グロテスク」創刊前までの発禁リストが載っていますが、このリストは文芸資料研究会発足から三度目の収監前までの北明が直接関わったほぼ総ての対象刊行物が列記されています。単行本、雑誌、画集、絵葉書の四部門に分類し、それぞれ十九、四、九、九の計四十一項目にわたっています。雑誌は項目毎に発禁になった巻号を括弧内に記述する形で「亡者が娑婆に帰宅を許されたる話」のように一冊一冊列記しているわけではありません。疑問点が無いわけではありませんが、今までに無かった資料として有用であると思います。このネタ帳では詳細な解説は行いませんが、全く知らなかったことを一点上げると単行本の(17)希臘風俗史(原書)でしょうか。本当に輸入販売もしていたのかと……