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閑話究題 XX文学の館 秘本縁起

北明と袖珍本


書籍のサイズは大型の図鑑類から豆本まで様々である。最近は文庫本が幅を利かしているが、一般の書籍はA5判かB6判が大半であろう。戦前で言えば菊判か四六判である。地下本にしても同様である。戦前は四六判、戦後はB6判、これに半紙二つ折りのものを加えれば大半は網羅できる。しかし、その範疇を外れるものも中には存在する。A4判以上の大型のものを見ることは稀であるが、小型本ならば少なくない。豆本もあれば袖珍本と呼ばれるものもある。

昭和初期に軟派本を豪華な装幀に仕上げて次から次へと刊行した梅原北明にも小型本の刊本がある。発行所は記載されて無かったり、されていてもバラバラであるが、総て文芸市場社の刊行である。過去に詳しい解説が無く、実体の判然としないものも含め、他の北明本同様、稀覯化しているものもある。これらの諸本は、雑誌【カーマシャストラ】と平行して刊行が開始されたものである。俗にカーマシャストラ時代と言われる昭和二年後半から翌年の五月頃に掛けては、北明が地下に潜って出版活動をしていた時代であり、現在でも実態が明確になっていない点が多い。

このことは、北明自身の行動に止まらず、刊行された書籍に就いても同様である。信頼するに足るとは言い難いが、雑誌の【カーマシャストラ】には一応奥付もあり、発行年月が想定出来るが、書籍に就いては、奥付が抜けていたり、あっても信憑性に欠けるなどの不備がある。従って、刊年に就いては、当時の刊行案内に於ける【カーマシャストラ】の頒布時期と対応させながら想像する外は無く、著者や訳者に就いても判然としない。これらの解明は今後の課題であるが、現時点で判明していること、或いは確度の高い情報を元に、北明が関わった小型本の出自を解説する。


ヱル・クターブ上巻

表紙
見返し
目次
本文

判型頁数造本関連
菊半裁判85頁本文二度刷、オーナメント入り
著者ジョン・フレヂック・ジョーンス
発行ヱロテック・ビビ(ママ)リオン・ソサイテイ上海支部
刊年昭和三年三月頃
限定500部

トルコの性典「EL-Ktab」『原始篇』を訳したものである。本書は{愛に関する世界的古典}シリーズの第二巻として昭和二年の末頃刊行案内が出されたが、実際に頒布されたのは昭和三年三月頃である。当初は全編を一冊で刊行の予定であったが、途中上中下の三巻構成に変更になり、結局残りの中下巻が刊行されることは無かった。発行がエロテック・ビブリオン・ソサエテイ上海支部となっているのでカーマシャストラ時代のものである。上海支部とはなっているが、勿論印刷発行とも国内である。

黒のラシャ紙の表紙に書名の「EL-KtAb.」と巻数であるを打ち抜いた奇抜な発想の装幀である。「A」と「b」に就いては、打ち抜くと小片が欠けて文字にならないためか、輪郭線があるのみで実際には抜かれていない。抜いた後張り付けるという方法もあるが、手間がかかるため、そこまではしなかったようである。本文はオーナメント入り二度刷りで、局紙を使用することにより、薄っぺらで簡易な表紙ではあるが、豪華さを出している。

因みに、{愛に関する世界的古典}シリーズの第一巻は「アラビアンナイツ」で既刊、第三巻は「匂へる園」の予定であったが刊行されていない(昭和三年三月に「ジャルダンパヒューム」(薫園秘話)として、文芸資料研究会編集部から刊行されている)。同シリーズの詳細は梅原北明とその周辺を参照のこと。

尚、同書の全文を訳出したものが、昭和五年七月に風俗資料刊行会から竹内道之助訳で刊行されている。四六判、アンカットの仮綴じ本とクロス表紙で箔押しされたものの二種類を架蔵しているが、両者とも正式に刊行されたものか、個人が装幀し直したものかは判然としない。一般には仮綴じ本の方を風俗資料刊行会版としている。

風俗資料刊行会版「エル・キターブ」(参考)
仮綴版
装幀版

日本猥褻俗謡集

表紙
目次
本文

判型頁数造本関連
A6判本文339頁+目次13頁コールテン布装(革題箋)
本文用紙10色
著者
発行文藝市場社(?)
刊年昭和三年一月頃
限定400部(?)

本書は稀覯本の一つである。当時の軟派出版界を詳細に解説した【談奇党】第三号(洛成館、昭和六年十二月一日)や刊行書籍のリストである【匂へる園】第二輯(風俗資料刊行会、昭和八年十月五日)にも書名があるのみで、解説や記事は存在しない。戦後になって、ようやく「日本艶本大集成」(艶本研究刊行会、昭和三十四年四月)に簡単な解説が載る。

昭和も後半になると「日本の奇書七十七冊」(自由国民社、昭和五十五年七月、「日本の艶書・珍本・総解説」として再刊されている)に内容の一部と解題が掲載された。 但し、その解題も『二四年ごろに筆写されたものによった。』とある通り、原本では無く戦後になってからの写本を元にしている。従って、写本のタイトルに「CHANSON DE L'AMOUR」と書かれてあるのを『筆写した人が、ちょっとしゃれたらしい。』と誤解してしまっている。

本書はコールテン布のカバーに先の「CHANSON DE L'AMOUR」という書名を箔押しした革を題簽として貼り付けるなど愛書家好みの装幀に仕上がっているが、「日本猥褻俗謡集」とは何処にも書かれていない。内容が濃厚な物語でも何でも無く、単なる替え唄による春歌集であるため、今まで見過ごされていたのではあるまいか、とすら思える程である。

本書の刊行案内には『今度小生友人某君(特に暫く秘す)が物好きにも左の如き珍品を編纂し、同好者に頒けてくれと言って來ました。』とあって、『部數 四百部限定(但し當社取次は約百部程)』と続く。また翌年初に出した「号外附録」と題するパンフレットに『御存じのないかたにはお頒けしてあげるために特にあと五十部だけ手に入れました。』とある。これだけ見ると本書は文芸市場社とは関係ない所から刊行されているように見える。しかし、雑誌【グロテスク】の刊行案内を兼ねていた「亡者が娑婆に歸宅を許されたる話」と題する小冊子には北明が上海に逃避する直前から帰国後収監されるまでに発禁処分を受けたものの一覧が掲載されているが、本書も『(3)日本猥褻俗謡集』として掲げられている。本当に取次だけであれば、このようなリストに掲げるとは思えないので、資料の提供者はともかく、発行は文芸市場社で間違いないであろう。頒布は先の刊行案内などから昭和三年一月頃と推定できる。

資料の提供者(編集者?)に就いては関西在住であった文献派の人物を想定しているが、現状では推測の域を出ないので、不明として置く。

春歌を題材にした地下本は何点か出ているが、戦後に出た「かなりや」「おとなのうた」なども小型横本の歌集である。大半は普通の民謡や歌謡曲であるので温泉場辺りで売られていたものであろうか。何れも小型であるのは、持ち運びを考慮した実用を念頭に置いているためであろう。

戦後の小型本春歌集
かなりや
おとなのうた

志とり古

函にセット
表紙
本文全体
本文

判型頁数造本関連
93×11674帖帖本、本文ニ度刷
麻布装、函付
著者
発行カーマシャストラ協会
刊年昭和三年四月頃

{市場叢書}と銘打ったシリーズの案内が文芸市場社から出た。第一巻は石角春之助「淺草裏譚」である。同時に{市場叢書プライウ(ママ)エイト}と称したものの案内も出ている。いわば裏版である。この第一巻に当たるのが酒井潔「日本張形考」である。

表版は刊行されたが(但し第一巻の一冊のみ)、裏版は発行前に事件になったため未頒布である(注)。そのため、「日本張形考」の予約者に対して、代替えとして頒布されたのが本書である。元々予約者のみに頒布と言うことであったため発行部数は判然としないが、後に未予約者のために五十部追加募集している。この辺りは日本猥褻俗謡集と同じような経緯であるが、少しだけ増刷、という点が購買者の欲求を刺激するのであろうか。

『よがり声の研究』と言う触れ込みであったが、むしろ閨房に於ける嬌声を集めた用語集と言った方が良いであろう。荒い麻のクロース装で本文ニ度刷り、折帖仕立ての小型本である。黒の厚手の用紙を使った蓋付の函は、書名が見られるようにΙの字のくり抜きがある。正確にはΙの下の横棒は平では無く山形になっているので、何かをシンボライズしたものと思われる。その様な函の意味もよく判らないが、「志とり古」という書名はもっと判らない。何とも不思議な書物である。

扉に『Shanhai Verlag von Kamashastra Society』とある通り、カーマシャストラ時代の刊行で、実際の頒布は昭和三年四月頃である。

戦後芋小屋山房から復刻版が出たようであるが、未見のため詳細は不明である。

注)「大正昭和艶本資料の探求」(斎藤夜居、芳賀書店、昭和四十四年一月)に略…江戸期艶本の挿画図譜を製版したパンフレット程度の画集に「日本張形考挿絵篇」があり、当時の上海消印の封筒のままで保存された資料を見たことがあるが、…略とあり、全冊書影が付いた軟派本の売り立て目録「偏書目録 奥の院痴羅利 初会版」貳(進和文庫、昭和六十年八月)に「日本張形考挿畫」が掲載されていることから、完本に至らないまでも、一部押収洩れがあったものと思われる。


フィルム式漫画(淫画)集

表紙
記番ページ
第一図
第八十図(最終図)

判型頁数造本関連
101×157全て片面刷りで
記番頁+表紙+80図(頁数は無記)
横綴
著者
発行無記載(文藝市場社)
刊年昭和四年冬(?)

当初三巻で刊行案内が出、後に全四巻として宣伝されていた「世界好色文学史」(文芸市場社)であったが、実際に発行されたのは二冊のみである。しかも、第二巻は印刷出来の日に全冊押収され、少部数のみ再作成して頒布したとされている。そのような状態の中で予約募集した第三巻は遂に刊行に至らず、予約した人に対してのお詫びの意味で送られたのが「フィルム式漫画集」である。という解説は古くからあり、それなりの信憑性を持って信じられて来たが、肝心の「フィルム式漫画集」なるものがどのようなものなのかが判然としなかった。書影も解説も知る限り存在しなかった。

体裁は、記番用のページには原題と思しきものが『Galante Exerzitien des Pater Benedikt』と掲げられているが、番号は記載されていない。漫画集と言うだけあって、文章は全く無く、絵のみで構成されている。ストーリー自体は単純で、絵だけで物語の内容は理解できる。娼婦と堕落した神父の顛末を滑稽に描写しているが、一旦咎められて留置(?)された二人が、反省するどころか、留置されている壁の節穴を利用してことに及んだことで、肉体的な刑罰を受けるまでを文字通り描いている。絵は総て片面印刷であり、そのような所からフィルム式と命名したのであろうか。サイレントの映画を見ているようであるとも言えるが、紙芝居の方がイメージ的には近いかも知れない(勿論子供には見せられないが……)。

解題の存在は知らないが、図を引用して、その図に就いて説明したものは過去にもあった。日本生活心理学会から頒布された「紅閨秘資料図譜」「りんが・よに参考資料図譜」第九図譜である。本そのものに就いての解説は勿論無く、前者は弄根に就いての参考図として、後者は聖職者を堕落させた罪に対する処置として行う人為的な鎖陰の例として提示されている。

最近、某所で「五行山荘限定版書目細見」(佐々木桔梗、プレス・ビブリオマーヌ、1979年6月)が少し話題になったので、取り出して眺めていたら、次のような文章が飛び込んで来た。

ドイツ本の復刻で『フイルム式漫画集』(番号記入頁付・ポストカードサイズ横綴じ黒表紙80図)

書誌情報が書かれている文書としては数少ないものの一つであろう。

刊年の昭和四年冬、というのは前述の【談奇党】第三号の記述をそのまま転載したが、「世界好色文学史」の第一巻が昭和四年一月、第二巻が同六月であることから、妥当な所であろう。冬では少し範囲が広すぎるが……。

最近刊行された別冊太陽「発禁本III」(構成・米澤嘉博、平凡社、2002年10月)の『戦後の発禁限定本』の項に、『無題』として二図(模写のように見える)が掲載されているので、戦後になって復刻頒布されたものも存在するようである。【談奇党】第三号では、「フィルム式淫画集」となっているが、同じものである。


株林奇縁

表紙
目次
本文

判型頁数造本関連
110×118115丁四目綴装
著者
発行創造社書局(文藝市場社)
刊年中華民國十八年九月(昭和四年九月)

本書も稀覯本である。しかし、書影を載せた解説が【猫目石】3号(プレス・ビブリオマーヌ、1963年7月)にあるので、「日本猥褻俗謡集」よりはましな状況と言える。それによると

城市郎氏蔵の百二十頁本は本文の飾り罫が緑色刷りとなっており、五号・二十八字・九行組。他の一種は九ポ・三十一字九行組、百十五頁。奥付に至る迄九ポにて通してあるが、表紙、題簽は同一、僅かな部数のものに全く異った組版、印刷のもののあるのは、いずれかゞ製本中押収され、再度別途に組版をして出したゝめと考えられる。

とあるように、頒布前全冊押収された版と再作成された版の二種類が世の中に出回っていることになる。どちらの版も殆ど見掛けることがないので、再作成されたものも元々部数が少なかったか、再摘発されたかの何れかであろう。同じように、製本出来の日に全冊押収され、再版が極少数のみ頒布された、とされている「世界好色文学史」第二巻(梅原北明、酒井潔、佐々謙二共著、文芸市場社、昭和四年六月)が一巻とセットで割とよく見掛けるのとは好対照である。

印刷中、或いは頒布前全冊押収と記録に残っていても何故か世間に存在するという不思議がこの世界にはあるが、本書もその一つである。

奥付に『中華民国十八年九月發兌』『發行者 陳敬濟』とあるなど中国で発行された書物の如く装っているが、末期の文芸市場社から昭和四年九月頃に刊行されたものである。目次は返り点付の漢文であるが、本文は日本語である。先の解説に『内容は中国にて一般に『株淋野史』といわれている春秋戦国時代の淫蕩なる美人夏姫(素娥)の一代記で、峨眉鳳眼、花容月貌に加えて仙人より授けられた不老と閨房の秘法にて三だび王后となり、七たび諸侯の夫人、九人の男を腎虚せしめたという。』とあるが、『株淋野史』なるものを知らないので、詳細は不明である。


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