本とは直接的な関係がないものを番外編として取り上げました。
「バルカン・クリーゲ」には有名な挿絵が存在します。多くの解題で、昭和二年に文芸市場社が刊行した、とされている十二枚構成のものです。ケースの題僉には「THE WAR AND LADIES'INSAIT」と書かれていますが、「戦争と婦人達の狂気」とでも訳すのでしょうか("INSAIT"の意味が不明)。しかし、梅原北明自らが書いている、「バルカン・クリーゲ」の解説では、挿絵集に就いて全く触れていません。輸入したとされる画集のリストにも入っていません。雑誌【グロテスク】の刊行案内も兼ねた「亡者が娑婆に歸宅を許されたる話」の中で、雑誌【文芸市場】終刊号(昭和二年十月)から、昭和三年の春に市ヶ谷刑務所に収監されるまでの間に、刑法百七十五条で摘発を受けた絵はがきや画集の一覧が載っていますが、その中にもありません。昭和二年の早い時期に出したため、リストの対象外になっているのかも知れません。或いは、当局の目を逃れたため口を拭っているのかも知れません。しかし、あの北明が一言も触れていない点はどうしても腑に落ちません。
そのように思う理由は、画集以外にこの挿絵が現れるのが、雑誌【変態資料】臨時特別号「性慾學語彙(下巻)」(文芸資料編集部、昭和二年六月)の口絵にあるからです。挿絵集内の一枚が、『婦女掠奪』というキャプションで、『掠奪婚』の参考資料として掲載されたものです。「バルカン」の「バ」の字も見当たりませんが、描かれている背景が広いので、こちらの方が原図と思われます。従って、初出もこの口絵だと思います。この頃は北明が【変態資料】から離れた時期でもありますが、「性慾學語彙」自体は前年の十二月には出せる状態にあったため、この口絵の存在を北明が全く知らなかったと考えるには無理があるからです。従って、何らかの理由で黙殺していることになり、その一つが自らの手で刊行出来なかったからではないか、と考えています。
更に、この臨時増刊の刊行時期は、北明がドイツ語訳が出版されたとする一九二七年十月より四ヶ月前ですから、挿絵だけが先行して手に入ったというのも、あり得ない話です。冒頭に北明の解説よりも佐藤紅霞の解説に信を置いている、と書いた理由がここにあります。紅霞説であれば、一九二六年の刊行ですから、この矛盾は発生しません。十二枚という数とも一致しています。北明と袂を分った紅霞は、活躍の場を文芸資料研究会に置いていましたので、穿った見方をすれば、この挿絵集も案外その辺から出たのかもしれません。これだけ立派な作りですから、頒布案内が有るはずですが…。何れにしても、今後の研究課題です。
昭和八年に、紙魚之世界社から複製の頒布があったそうですが(【人間探求】第十一号『古今奇書艶本總覧』、第一出版社、昭和二十六年五月)、戦後にも復刻が出ているようです。何れも当館には所蔵されていませんので、情報のみです。
物語の濃厚さに較べてそれ程直裁的な図柄はありませんが(浮世絵と比較してしまうからでしょうか)、拡大画像を公開することには躊躇するものがありますので、縮小図だけにします。また、図には説明や番号がありませんので、正しい順番が分かりません。取りあえず、思いつくままに並べましたので、その点はご承知置き下さい。
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