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閑話究題 XX文学の館 地下本雑考

地下本の口絵と挿絵


前口上

地下本と言えども本であるので、近世に於ける艶本と写真集である現代裏本を除けば当然のことながら文章が主体である。 勿論、絵や写真を中心とした画集や資料集のようなものも無い訳ではないが、過半は文章を読ませることで成り立っている。 しかし、多くの本に口絵や挿絵があるように、地下本にも見るための要素はある。 尤も、それらは文章以上に公開できないものが多い。

西洋に於いて蒐集対象になる書物は豪華本であることが多いが、好色本(秘密出版の本考で言う所の地下本)はその中でも一層贅を尽くしてあるのが普通である。 装幀は勿論であるが、挿絵も本職の画家が描くのは当然であり、時として芸術作品と呼べるものさえある。 本邦に於ける近世後期の御手版艶本と似ているとも言える。 翻って、本邦近代以降の地下本を見た場合、その差は歴然としている。 一部には有名画家の手に成るとされる挿絵を使用しているものもあるが、大半がその様なものとは無縁の駄本である。 装幀にしても、大正末から昭和初期のエログロナンセンス時代前後に活躍した梅原北明を初めとする一連の秘密出版には見るべきものがあるが、以降のもの、特に戦後に至っては皆無に等しい。 しかし、豪華な装幀と芸術的な挿絵を有する書物のみが書物では無いのもまた当然である。 むしろ、その様な駄本こそが近代以降の地下本の本道であるのも事実である。 依って、その本道たる駄本も含めた地下本の口絵、挿絵に就いて考察する。

尚、当館では書影を初めとした画像による地下本の紹介を積極的に行っているが、本考の対象とする口絵や挿絵は現在の Web の性格上そのままで公開することに躊躇するものがあるため、部分的な修正や拡大図版が少ないなど、他の論考に較べて視覚的な要素を制限しているが、了とされたい。


文芸市場社本

秘密出版とは言え、活字による印刷を個人で行うことには無理があるし、やはり商売としての印刷屋の助けが必要である。 本業が印刷屋であった文芸資料研究会福山福太郎のような例外はあるが、一般には刊行者の意気に感じた印刷屋か、金で拝み倒して請け負わせるかの何れかであろう。 どちらにしても当局の目に触れないように作業をしなければならず、刷り損なったものなどの扱いは紙幣の印刷と同等、或いはそれ以上に細心の注意を払っていたであろうことは想像に難くない。 しかし、その様に注意していても、やはり人目に付く危険性は少なくない。 活字に於いてもしかりである。これが挿絵のように誰が見ても、かなり遠くから見てもそれとハッキリ分かるようなものであるならば、余程口が堅い印刷屋か個人営業でもなければ無理であろう。 それでも危険の度合いは格段に上がる。そこまでして挿絵入りの地下本を造ろうと思うだろうか。普通は思わないであろう。 実際、戦前に問題になる様な挿絵を含んだ活字本というのは殆ど存在しない。

例外とも言えるのが文芸市場社から刊行された「ふろッしー」であろう。 昭和三年四月頃の発行で、梅原北明酒井潔の共訳と言われている。 背革、麻ダック装、扉は三度刷り、本文二度刷りの豪華本で四百部限定である。この出版は当局に気付かれなかったのか発禁にはなっていない様である。 詩人のA.C.スウインバーンの作とされ、原本はイギリスで五十部のみ刊行された。その後1908年にドイツ語訳が秘画六葉入りで四百部刊行され、これが日本語版の元本である。 表からは日本語訳が、裏(洋書と考えればこちらも表)からはドイツ語の原文がそのまま載っているという変わり種である。挿絵は貼り込みで四葉ある。 嘘か誠か雑誌【グロテスク】二巻二号(文芸市場社、昭和四年二月)掲載の北明『最近輸入珍書秘畫解説史』に『目下、某官立大學獨文科では、これが引っ張り凧で、教授にも學生間にも大變な人氣を呼んでゐるとのことだが…後略』とあるようなヨタ話もある。

ふろッしー
書影 日本語扉 ドイツ語扉
挿絵

補足:私の写真技術が未熟なのかデジカメの問題なのかよく判りませんが、緑色が出難い傾向にあります。実際の表紙はかなり濃い緑色です。

口絵や挿絵を本文と一緒に印刷して製本する危険性を回避、或いはより少なくするための方策は、挿絵の部分だけを別に印刷、単体で頒布することであろう。 先の「ふろッしー」もそうであったが、挿絵が別刷りの貼り込みになっているのは、挿絵の印刷方式を変えて綺麗なものにし、造本上の豪華さを出す意味合いもあろうが、危機分散の結果であるとも言えるのではないだろうか。 同時期に刊行された雑誌【カーマシャストラ】3、4号の口絵が貼り込みになっているのは同様な理由によるものと推察できる。

一方挿絵単体で頒布されたものとしては「バルカン・クリーゲ」が有名である。 本邦初の「バルカン・クリーゲ」は昭和三年五月頃に文芸市場社から刊行予定であったが、全冊押収されたため現存しないと思われる。 その後各所から陸続と秘密出版されたので、刊行点数は少なくない。 1927年にトルコ語の原本から独訳され、四百部限定で刊行されたのが元本である。作者はウイルヘルム・マイテル博士となっているが正体不明の人物で、好色本によくある仮託ではなかろうかと言われている。 この挿絵は十二枚から成り、既に昭和の初期に出ているが、発行所は不明である。 タイトルは「THE WAR AND LADIES' INSAIT」となっており、台紙が 228×286、絵の部分は 137×190 の大きさである。 全体にコントラストが弱いのは元々なのか時間の経過がそうさせているのかは不明であるが、脱色している様には見えないので、元々なのであろう。

この挿絵は戦後にも復刻刊行されており、【猫目石】5(プレス・ビブリオマーヌ、1963年12月)に写真入りで紹介されている。

バルカン・クリーゲ挿絵
ケース 挿絵

ガミアニ

「ガミアニ」は詩人アルフレッド・ド・ミュッセの作と言われ、1833年にベルギーのブリュッセルで刊行された二十六頁の石版刷りのものが初版とされている。これには同じく石版の挿絵十二葉が添付されている。 これの評判が良かったのか、その後も西欧各国で1927年までに四十点以上刊行されている(「BIBLIOGRAPHIE du roman erotique」Tome Premier,1930年版より)。

本邦に於ける初出は昭和六年一月に平凡社から刊行された{世界猟奇全集}の第一巻として丸木砂土の訳でサド『ヂユスチイヌ』『ジユリエット』と共に『歡樂の二夜』として伏字だらけで訳出されている。 これは発禁になっているが、公刊書のため当然の如く挿絵(ガミアニの)は無い。

初版に既に挿絵があった様に、以後の版でも挿絵入りは少なくない。 我が国で一般に知られる挿絵は、文芸市場社が昭和四年六月に刊行した「世界好色文学史」第二巻で紹介された『修道院長と猿』と『修道院に於ける驢馬』の二図を含むものではないだろうか。 どの版の挿絵であるのかは不明であるが、この一連の挿絵は昭和五十年十月にKKロングセラーズから刊行された「発禁本ガミアニ夫人」(岡林純一郎訳、小野常徳解説)にも一部をカットして使用されている。 本文より先に挿絵の方を紹介した「世界好色文学史」第二巻梅原北明酒井潔佐々木謙自の共著でバックスキン装の豪華本、挿絵のみで100頁、本文は1006頁に及ぶ大著である。 この第二巻は製本出来の日に全冊押収されたため、密かに印刷製本し直して頒布したとされてる。

世界好色文学史
書影 ガミアニ挿絵

当館所蔵の「ガミアニ」の挿絵は「世界好色文学史」に紹介されたものではなく、『Bruxelles 1833』と書かれた標題一葉を含んだ全十二葉のものである。 手刷り印刷のようなので、本当に初版の可能性もあるが、判然としない。ケースの標題が金箔押で「Gamiani」ならぬ「Gamiano」となっているところがポイントかとも思う。 サイズは用紙が 248×313、挿絵部分は 157×197 である。

ガミアニ挿絵(1833年版)
ケース 標題 挿絵

戦前地下本の挿絵

戦前の地下本としては数少ない、活字本で口絵を伴ったものが世界文学研究会名義で発行された{世界文学叢書}の第八巻に当たる「性界文学叢書 蜂之巻」である。 バイロスの「化粧台物語」から四葉、外国産の猥写真二葉を口絵に使用している。 世界文学研究会では他にも第七巻の付録として江戸艶本の口絵部分を別送しているようであるが、残念ながら未見である。

戦前の口絵写真より
バイロスより 猥写真
性界文學叢書 蜂之巻 なさけの仇浪

一方ガリ版の場合は発行部数さえ気にしなければ(つまり一気に儲けようと思わなければ)、全くの個人で出来るため、絵心さえあれば挿絵を入れることは可能である。 しかし、鉄筆という制限からどうしても線画になってしまい、多色刷りや手彩色も可能ではあるが、手間を考えた場合、実際的には難しく、表現力が乏しいのはやむを得ない所であろうか。 そのような中でも割りと手間をかけたと思われるものを紹介する。

「紅白譜」は着物の柄や髪の生え際などかなり細かく描いている。 「謎の女」は人物などかなりまともな部類に属するが、着物や背景にアミを掛けているようであり、実際の製作手法はよく判らない。 「寝室の戯れ」は人物などの表現は稚拙であるが、三度刷りという手前を掛けている点が珍しい。

ガリ版による挿絵の例
紅白譜 謎の女 寝室の戯れ

戦後地下本の挿絵

地下本に於ける印刷形態は活字印刷とガリ版による謄写印刷が大多数を占める。残りはタイプ孔版とこんにゃく版と呼ばれる平版印刷である。 稀に、カーボンコピーによるものもあるが、手間の割には商売として成り立ちにくいため、一般的ではない。 また、それぞれの印刷形態毎に口絵や挿絵にも特徴があるのは当然と言えようか。

活字印刷の場合は殆どが口絵に写真を使用している。所謂猥写真と呼ばれる数枚ないしは十数枚一組で秘密裏に頒布されたものの中から、本文とは関係なく何枚か取り上げたものである。 従って、全く関係ない二冊の本の口絵写真が同じシリーズ内のものだったりすることも珍しくない。稀に洋物の写真が使われることもある。 また、猥写真ではなく普通のヌード写真が使われることもあるが、数は少ない。恐らく需要も少なかったであろう。 本文はザラ紙でも口絵にはアート紙を使うことが多く、通常は一葉または二葉であるが、それ以上の場合もある。片面のみか両面共使用しているかは個々バラバラである。 挿絵はあることが稀で、口絵の写真だけの場合が殆どである。

写真を使用した例
茜雲 寒牡丹 女の味
猥写真からの転用 普通のヌード

写真ではなく、絵が使われる場合もあるが、ガリ版とは異なり、本格的なものになっている。挿絵が無く口絵のみの場合が多いのは写真を使用した場合と同じであるが、活字印刷による出版の特徴と言えようか。

絵を使用した例
上之巻 中之巻 1巻
人面鬼 おにあざみ

ガリ版印刷の場合は、当然のことながら口絵もガリ版である。写真を使用したものもあるのかも知れないが、管見にして遇目したことがない。 また、折込であることも少なくない。時によっては、多色刷り、或いは手彩色によるバリエーションもある。 口絵があるものの多くは挿絵も存在する。 写真版の場合は画質の善し悪しは多少あるにしても、それ程大きな差はないが、ガリ版に於ける絵の巧拙の差は想像以上に大きい。 専門の画家が描いたと思われるものから、子供の落書きの様なものまで種々雑多である。 他人の絵をトレースしただけでも、もう少しましなものに成りそうなものだと思われるが、オリジナリティを大切にしているのか、素人の思い付きで金目当ての刊行のため手元にその種の絵が無かったのかは判然としないが、 よく恥ずかしげも無く描けるな(しかも金まで取る)、と思うのは偏見であろうか?

挿絵の例
幻想 仇花 紅の華
稚拙な挿絵の例
浮世の旅路 朱日向

同じ孔版印刷でもタイプ孔版のものは活字と同様写真を口絵にしていることが多い。 写真を使うくらいならば活字印刷にしても良さそうに思えるが、費用の関係なのか安全面を考慮してなのかはよく分からない。 印刷は同じなので、ガリ版同様手書きの絵を使ったものがあっても良さそうであるが、鉄筆に自信がないのか実際にはあまり存在しない。

タイプ孔版の例
薄化粧

江戸艶本の覆刻

地下本には江戸期の艶本の活字化や覆刻も含まれる。通常それらは口絵と本文から成り立っており、口絵の扱いに特徴がある。 戦前のものは、活字化にせよガリ版による刊行にせよ、口絵が入ることは殆どなかった。原本をトレースしたと思われる稚拙な線画によるガリ版のものも無い訳ではないが、極めて稀な存在である。 但し、口絵部分だけの別刷り頒布は少なくないと思われる。 戦後になると主に軟派系の特殊雑誌を刊行していた組織による江戸艶本の覆刻がブームになり、絵の部分も写真凸版かコロタイプ印刷により覆刻されている。 中には彫刻し直して版画による覆刻をしているものもある。 本文は雑誌などで活字化しているとて、口絵の部分だけを製本して発行したものも多いが、製本せずにバラのままで参考資料として頒布しているものもあり、その辺は戦前の江戸艶本に対する刊行態度と同様である。

戦後も十年近くなると様々な印刷技術を駆使したものが現れ、図版に関して言うならば、コロタイプ印刷と写真凸版印刷が普通に使用されるようになる。 左は近世庶民文化研究所から頒布された写真凸版による膝寿里日記である。 写真凸版の場合、本文も原本のまま再現できるので変態仮名の勉強にも最適である、との方針から同研究所では写真凸版による資料の頒布が数多い。 右は生活文化資料研究会から昭和二十九年一月頃頒布されたコロタイプによる旅枕五十三次である。 本文の活字化も同時に行われているので状況は少し異なるが、写真凸版と比較して趣が全く異なることが分かるであろう。

写真凸版とコロタイプ版の比較
膝寿里日記 旅枕五十三次

その他にも頒布された江戸艶本の例が展示室第三回 特殊雑誌会員に頒布された資料にあるので参照されたい。


口絵、挿絵の実体調査

点数はそれ程多くないが、現時点(平成十三年三月)の当館所蔵の地下本で、口絵、または挿絵の有無を調査した。 戦前(と思われる)のものと戦後のものの区別は厳密には行えないので、混在した状態での結果である。


書籍点数口絵写真口絵のみ挿絵のみ口絵挿絵共
活字4249837321
ガリ版2360284865
タイプ孔版165200
その他110020
合計687103675386

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