XX文学の館 発禁本 「秘帳」の完本
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XX文学の館 発禁本

「秘帳」の完本


女性が自らの体験を赤裸々に詠んだ歌集「秘帳」の存在は、つとに知られている。その評判だけではなく、実際の刊本も目録や古書展でよく見掛ける。最近(2002年2月)も林あまりのエッセイを巻頭に配して皓星社から刊行されている。初版が風俗文献社から刊行されたのが昭和二十六年十一月であるから既に五十年以上経っている。作者は湯浅眞沙子、初版が世に出た時、既に故人であった。

湯浅眞沙子の正体は、今日に至るも明らかになっていない。序文の中で川路柳虹が出版に至るまでの経緯を簡単に述べているが、その中に書かれていることが全てである。富山の出身で、東京に来てからは日大の藝術科に暫く通っていた、ということしか分らない。学籍簿が焼けて無くなっていたり、地元富山の新聞社が調査したりしたようであるが、結局不明のままであった。

風俗文献社版「秘帳」は 82mm×168mm の細長い縦長サイズで箱付である。全体が十五の章に分かれている。一首が二行(上の句と下の句の切れ目でない所で行が分かれているのは意味があるのだろうか…)で各ページに二首ずつ収載されており、各章には次のタイトルが付いている。

風俗文献社版「秘帳」

作者の人生に沿って、新婚生活から夫の死、後日譚を性愛を中心に詠んだものである。性愛という視点から見れば、特別変わった章立てではないが、『ターキー』だけは少し説明が必要かも知れない。ターキーと言っても七面鳥のことではなく、人のニックネームである。水之江滝子、松竹少女歌劇(SKD)で男装の麗人として活躍した女優である。章のタイトルになる程、当時の若い女性の憧れの的であった訳であるが、今や昔の話である(館主はジェスチャーの紅組キャプテンの印象が強いのだが…)。

「秘帳」には無削除本と削除本があると言われているが、風俗文献社版に削除された歌は無い。只、補遺として末尾に一枚追加されており、裏表で四首収載されている。

灯を消して二人抱くときわが手もて握るたくまき太く逞し
握りしめわがほどのへに當てがひて入るればすべてを忘れぬるかな
わらい繪をながめつつ二人その型をせんとおもへど出來ぬ可笑しさ
二度終へてまだきほいたつたくまきの尺八すればいよいよ太しき

昭和二十六年当時としては危ういと思われた歌を本文から外して巻末に集め、当局から警告があったならば、その部分を落として刊行する腹積もりだったようにも思える。最初に刷ったのは千部だったようであるが、刊行当初は特に問題になることもなく完売したようである。

有光書房版「秘帳」「秘帳」の原稿は出版を計画するに当たり、川路柳虹から、書痴として知られる斎藤昌三に渡され、最初は有光書房に持ち込まれたようである。同書房主が時節柄上質紙不足のため、仙花紙で出すことをためらっている内に、先の風俗文献社が手を挙げ出版したものであるが、色々な事情の末、有光書房から再刊されるに至った。昭和三十一年十二月のことである。判型は 101mm×167mm とほぼ同サイズ、箱も付いている。ページ毎に二首載せる形式も踏襲している。川路柳虹の序に初版の反響が今も続いているとの伝聞を追記しており、初版には無かった跋文を斎藤昌三が書いている。補遺として巻末にまとめられていた四首も、元々あったと思しき『紅閨』の章に組み込まれて、本来の体裁に成っている。従って、この版にも削除された歌は存在しない。

所が、この有光書房版は刊行される前に、雑誌【週間新潮】に取り上げられ、世間の耳目を集めてしまった。おかげで、本は飛ぶように売れたが、当局にも目を付けられてしまった。発行者であった坂本篤は二万部以上刷ったと「『国貞』裁判・始末」(三一書房、一九七九年七月)で述べているが、当局からの呼び出しがあったことも述懐している。収載されている歌の内、四十一首を削除しろと強制されたが、印刷の仕組みからいってもそんな器用なことは出来ないと、結局その部分の紙型を置いて来てしっまたらしい。

それでも注文が来るので、四十一首を除いて版を組み直して刷ったら、二度目の呼び出しがあり、削除したのだから問題ないだろう、出版するならもっと削る、との押し問答の末に絶版にすることを了承しつつ、さらに五千部程印刷したとのことで、都合三万部近く刷った、という話である。

この四十一首を削除した版が削除本と言われるものである。坂本篤の言によれば、無削除本の見返しはクリーム色、削除本の見返しは紫色だそうである。古書店で見掛けた時はご注意を、とアドバイスまで提示しているが、先の刊行部数が正しいとすれば、無削除本の方に当たる確率の方が高いのではないか。館主の経験からも、そのように思える。

さて、本論の主題であるが、「秘帳」の完本というのは、句が削除されていない風俗文献社版、または見返しがクリーム色の有光書房版のことかと言えば、そうではない。昭和三十一年十二月頃頒布されたと思われる一枚のガリ版刷りがある。表は『特別会員の皆様へ』と題された特別会員用頒布資料の作成進捗状況や分譲本の案内があり、裏に『歌集秘帳』と題して有光書房版「秘帳」に就いての記述がある。

略…前に十字屋から出たときに取り次いだことがあったが、その時分は大して売れなかった。…略…今度有光書房で改定して出したら大ヒットである。増刷又増刷で一万部以上も出たというから…略

といった感想などの最後に次の文章が載っていた(十字屋風俗文献社の本名。ニセ本の最後の段を参照)。

ある性学者との会話。「”秘帳”はニセモノだってね」「ニセモノ?」「いや、大ぶん手を入れた箇所があるってことだが」そこで草稿を借りて有光書房版と対比して見た。その訂正箇所を本誌会員だけにそっと知らせておく。

「瓦版」『歌集秘帳』「瓦版」訂正箇所拡大図削除された句が無い完全版である、とされている有光書房の初期の版にも手を入れた箇所があるという驚くべき話である。このガリ版刷りペラの正体は近世庶民文化研究所の会報「瓦版」である。ノンブルが通常の「瓦版」とは別になっているので、特別会員だけに頒布したのか、これだけを別に頒布したのかは定かでないが、主宰者が岡田甫であるだけに、内容の信憑性は高い。ある性学者とは、恐らく高橋鐵のことであろう。

問題の訂正箇所であるが、「瓦版」に掲載されている部分を拡大して掲げる。見れば分かる通り訂正の字句しか載っていない。所謂伏字表というやつであるが、これだけでは字句の嫌らしさだけが目立ってしまうので、一首全体を載せて比較する。強調されている部分が問題の箇所である。

出自
48刊本かたみにぞしたしきものかさくら紙のやはらかき皺手になつかしむ
草稿かたみにぞ拭い合ひたるさくら紙のやはらかき皺手になつかしむ
59 刊本灯を消して二人抱くときわが手もて握るたくまき太く逞し
草稿灯を消して二人抱くときわが手もて握る陰莖太く逞し
刊本われ惱ますこの太きものあるからになべての男憎むなりけり
草稿われ惱ますこの陰莖のあるからになべての男憎むなりけり
60刊本眼つむりて君たはむれの手に堪へず思はず握る太しきものよ
草稿眼つむりて君たはむれの手に堪へず思はず握る太き陰莖
61刊本握りしめわがほどのへに當てがひて入るればすべてを忘れぬるかな
草稿握りしめわが陰門に當てがひて入るればすべてを忘れぬるかな
刊本わが息の切なくなるを感じつゝ夢みる味の忘れや忘る
草稿わが息の切なくなるを感じつゝもち上ぐる味の忘れや忘る
67刊本二度終へてまだきほいたつたくまきの尺八すればいよいよ太しき
草稿二度終へてまだきほいたつ陰莖の尺八すればいよいよ太しき
68刊本わがボタンキスしたまえばつよき刺戟身うち轟く心地こそすれ
草稿核がしらキスしたまえばつよき刺戟身うち轟く心地こそすれ
69刊本わがボタンキスさるゝとき思はずも放つわがこえうらはづかしき
草稿核がしらキスさるゝとき思はずも放つわがこえうらはづかしき
119刊本ターキーのうつとりする眼をみればキスする時の女をおもふ
草稿ターキーのうつとりする眼をみれば自慰する時の女をおもふ

Webで公開して良いのだろうか、という不安がよぎる程直裁である。川路柳虹『女性みずからの肉體的慾情を露はに歌つたという點で、一寸類がないものと思う。いはゞ曝露症的表現で…』としたのもむべなるかな。最新の皓星社版有光書房版を底本にしているということなので、これらの箇所は当然ながら元のままである。管見の範囲では、他に那須書房が小型の枡形本を刊行しているが、これは有光書房の削除本を元にしているようであり(立ち読みしただけなので数までは不明)問題外として、地下出版された紅閨秘歌も元版は有光書房版であり(しかも省略されている章もある)、他と変わりがない。

信憑性は高いが、これをこのまま百パーセント正しいとして良いかどうかになると、躊躇するものが無い訳ではない。余人は知らず、斎藤昌三が持っていた原稿であるならば、今でもどなたかが所蔵している可能性があるのではないか。それが出て来て、初めて「秘帳」の完全な姿が確定する。表題に掲げた「秘帳」の完本とは、これらが全て訂正されたもののことを想定している。従って、知る限りに於いては「秘帳」の完本は存在していない、と言いうるのではないだろうか。もし原稿が残っていなかったならば、……、「秘帳」の完本は永久に闇の中である。


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