前回、文芸資料研究会編集部から南柯書院への移行と衰退についての関連資料を提示しましたが、中に書局梨甫の創立に関する報告がありました。雑誌『談奇党』三号(洛成館、昭和六年十二月)の「珍書屋征伐」(耽好同人)「珍書屋のトリック」に主な刊行物の限定部数と実際に頒布された部数の一覧が掲載されていますが、この書肆から刊行された『イヴォンヌ』は唯一実頒布数不詳とされています。
昭和四年十月付けで「東京市下谷區御徒町三ノ六九 書局梨甫同人一同」名義の会員通信兼刊行案内です。創立の御知らせでは横浜の本牧に創立したことと、西谷操、神波勇藏、其の他一同の連名でしたが、今回は東京の御徒町で同人一同とだけしか記述されていません。『イヴォンヌ』刊行にまつわる経緯、既発表刊行物の状況と決意、新刊の案内などで構成されています。『イヴォンヌ』の刊行案内で留置され、「一回印刷中押収され、二回目の本で思ふやうに出來ず、わづか一週間でこさえ上げた本です」の結果又留置され、といった大弾圧時代の弱小珍書屋の典型のように見えます。
この会員通信の重要な点は「イヴォンヌは九月一八日出來即日送本いたしましたが、一人の處へ二冊も三卅もとゞいてゐる處もあるかと思ひます(名簿整理の暇が無く見當でお送りしたので)頒布部數はごく少數で大方押収されてゐます為珍本になってゐます」の一文にあります。切迫感のある中とはいえ、同一人に複数冊送付するなどの失態はともかく、頒布されているという事実が重要です。ごく少数が何部なのかは分かりませんが、十冊前後ということはないでしょうから、もう少し多いかとは思います。